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2015.06.07

「戯作者銘々伝」を見る

こまつ座「戯作者銘々伝」
原案 井上ひさし『戯作者銘々伝』『京伝店の烟草入れ』
作・演出 東憲司
音楽 宮川彬良
出演 北村有起哉/新妻聖子/玉置玲央/相島一之
    阿南健治/山路和弘/西岡徳馬
観劇日 2015年6月6日(土曜日)午後6時30分開演
劇場 紀伊國屋サザンシアター 11列20番
料金 7500円
上演時間 3時間(15分の休憩あり)

 ただひたすら、井上ひさしの不在を感じてしまった。
 ネタバレありの感想は以下に。

 こまつ座の公式Webサイトはこちら。

 こまつ座の新作である。
 この「戯作者銘々伝」という芝居は、井上ひさしが書いた短編小説集(だと思う)「戯作者銘々伝」、「京伝店の烟草入れ」から山東京伝ら数人にまつわる小説を選び、再構成し、東憲司が戯曲に書いて演出した、という形なのだと思う。
 だから、「原案」なんだろう。
 そういう意味では、先日に見た「夜想曲集」と似ている感じがある。短編小説集から何編かを選び再構成し戯曲を書いて上演する。
 ただ、井上ひさしは戯曲を書く人であり、井上ひさしの戯曲を上演する「こまつ座」という制作集団があり、これまでも井上ひさしの書く芝居がずっと上演され続けてきているというところは大きく違う。

 こまつ座の芝居は、私が見に行く芝居の中ではもうダントツに客席の年齢層が高い。それもあって、恐らく、昼公演の方が観客が多いのだと思う。今回のこの公演も昼公演の方がチケット代が500円高い。
 そして、男性の観客がかなり多めである。
 この方達は多分、井上ひさしの書くお芝居が好きで、必ず見に行く、という方達なんだろうと思う。
 この回の客席は後方の席がかなり空いていて、こまつ座の芝居でこんなに空席が目立つ芝居は久しぶりのような気がした。

 見ているこちらも「こまつ座の芝居」には、説明できないのだけれど「こういう芝居」という強烈なイメージを持っている。
 無理矢理に言葉にすると、役者は数人のことが多く、一人が何役も演じることが多く、音楽劇であることが多く、風刺と笑いが絶妙のバランスで配置され、評伝もあり、どんでん返しなどのケレンが仕込まれていることもある。
 その「イメージ」は、多分、井上ひさし亡き後、こまつ座にとって最初の新作となったこの「戯作者銘々伝」の作り手の方々には、さらに強烈にあったし、それを守ろうとしたんじゃないかという印象が強い。
 音楽劇の枠組みも守っていて、こちらは一人で何役もこなした新妻聖子がさらに歌も担っている。

 始まりは、西岡徳馬演じる蔦屋重三郎が幽霊となって三途の川を流れる船に乗っているシーンである。
 三途の川を渡らずに流れている訳で、つまりは平成の世である今での成仏できずにいるようだ。そこに北村有起哉演じる山東京伝の幽霊が合流し、その他、江戸時代の有名無名の戯作者たちが合流し、「江戸時代の戯作者を語ろうではないか」という話になった、ような気がする。
 戯作者というよりは「黄表紙の作り手」だろうか。
 曖昧なことで申し訳ないのだけれど、そういう感じだったと思う。
 この始まりは休憩までの間はずっと踏襲されて、だから、山東京伝がまず語った「自分の死後の話」は、語り手は幽霊の山東京伝で、その寸劇は他の幽霊たちに対して見せている。観客であるこちらは、劇中劇を見ている感じだ。

 そのまま、幽霊たちの「寸劇を見た感想」や「当時の思い出話」を挟みつつ、阿南健治演じる湯屋の三助が語る「曲亭馬琴と式亭三馬」の話や、朋誠堂喜三二自身が語る恋川春町とその女房の話と続く。
 三助が盲目の老人の背中を流しながら、「自分が式亭三馬の弟子だったときにこんなに酷い目にあった話」は、実は全くの創作で、その作り手は馬琴の亡くなった息子の嫁お路であったというオチが付く。そして、三助は、そのお路から「この老人が曲亭馬琴だと気がついていないように振る舞う」ことも求められている。
 馬琴は、三馬の悪口を聞くと活性化するらしい。そして、八犬伝が完結した後で来た湯屋で馬琴は何度も聞いた(けど忘れている)この話を聞き、涙したという。

 山路和弘演じる喜三二が語る恋川春町が「自殺ではなく家中の者に殺されたのだ」という話も壮絶である。
 ここに登場する戯作者たちは皆、松平定信の治世で締め付けを受けた人々で、だからこそ登場シーンでは皆手鎖を受けている。
 喜三二と春町も例に漏れず、黄表紙を生んだ春町と、その春町と合作をしていた喜三二はともに武家で、江戸留守居役を務めており、だからこそ幕府からの締め付けをより強く受ける立場だったようだ。
 お咎めを受けて自殺した(ことになっている)春町の妻は当然藩から追われ、ずっと見舞いにも来なかった喜三二を恨んでいたようだけれど、酷いことになる寸前で幸運に恵まれて何とか生きて来たのだと春町の墓の前で喜三二に宣言し、去って行く。
 しかし、実は彼女の「幸運」は喜三二が作り出したもので、喜三二は春町の心残りだろう彼女のことを、彼に直接頼まれずとも、声に出して引き受けなくとも、しかしずっと気に掛けていたのだという話だ。

 ここで再び場面は「幽霊達」に戻り、戯作者たちが蔦屋重三郎に対して「金儲けのために、筆を折ろうとした春町に書かせ、そして殺したのだ」と責める。
 蔦屋重三郎は、もちろん、そんなことは認めない。しかし、何故か刀を持った戯作者の幽霊達に、彼は串刺しにされてしまう。
 ここで休憩だ。

 こう来たら、休憩後は蔦屋重三郎の話になると期待するではないか。それまで「プロデューサーだ」「戯作者を発掘して世に出してきたのだ」と自信満々で語っていた彼の「別の顔」が露わにされるのではないかと期待するのが人情というものである。
 ところが、休憩後、芝居の趣自体が全く変わったのには驚いた。
 相島一之演じる蜀山人が語り手に変わり、幽霊達の姿は消え、山東京伝が手鎖50日の刑を受け、妻を亡くし、筆を執らなくなった頃に時代が戻る。
 蔦屋はそうした京伝に対して筆を執るように盛んに言い募るけれど、京伝は煙草屋を開業している。

 この後半は、山東京伝と、玉置玲央演じる若い花火職人の新吉(漢字は違っているかも知れない)と、二人の話だ。
 浅草の花火の前座である「昼花火」で、花火の音で曲を奏で、次の年には花火から傘を飛び立たせた新吉は、来年は夜の花火を作らせて貰える、そうしたら夜に太陽を出現させたいと熱く語り、京伝はその花火に出資しましょうと言い出す。
 同時に、京伝のところには、松平定信の使者が現れ、「黄表紙本にことばがきが欲しい」だの「京伝が手鎖50日の計になったのは見せしめである」とか、京伝を打ちのめすようなことを次々と言う。

 花火の打ち上げと、定信からの求めと、その間で京伝は煩悶し、亡くなった妻の菊はそうした京伝にふがいなさを感じているようだ。
 京伝が「夜の日輪」と名づけた三尺玉の花火が打ち上げられようというその日、しかし幕府のお咎めを受けて打ち上げは中止され、新吉は江戸所払いとなる。
 しかし、新吉は京伝の家に挨拶に行き、打ち上げる筈だった花火と同じ名前の煙草入れ(だと思う)を京伝から渡されると、作り上げた三尺玉を打ち上げる。
 その花火は、見事なものだった筈だ。

 そうして、場面は再び幽霊達が集う三途の川に戻る。
 彼らはまだまだ成仏できない。成仏できないまま平成の世を見つめている。「江戸はいいのか」と歌いながら、今の時代こそこれでいいのかと憂い、自由がなくなっているのではないかと憂う。
 正直に言うと、こういう「作者が言いたいことをそのままセリフにしてしまう」のが私はあまり好きではない。そして、このお芝居の場合には、「作者が言いたいこと」ではなく「きっと井上ひさしが言いたかったに違いないと作者が思っていること」なのが、どうしても気になる。

 井上ひさしのお芝居を受け継ごうという意思が強く出たお芝居だったと思う。
 でも、同じには作れないし、同じに作る必要はないんじゃないかという風にも思う。「こまつ座っぽい」お芝居だったかも知れないけれど、「っぽくしよう」という気持ちが前面に出すぎていたような気がする。
 だからこそ、余計に、井上ひさしという人の唯一無二感や不在を強く感じてしまった。
 同時に、井上ひさしだったら、もっと捻っていたんじゃないかとか、前半と後半のつながりがよく判らなかったとか、どんでん返しとか「実は!」みたいな、前半の式亭三馬や恋川春町のくだりにあった驚き感が芝居全体にあればいいのにと思ってしまうのだから、こちらも勝手なものだ。

 それにしても、この7人の役者さんたちの芸達者ぶりはもの凄い。
 紅一点で歌もメインで担い、ほぼすべての女役と読売などの役まで違和感なく演じきり演じ分けてしまった新妻聖子の存在感が大きい。山東京伝の母親を含め、イヤ〜な感じの山東京山から噺家から松平定信の使者までこれまた見事に雰囲気まで違えていた山路和弘も見事だ。
 阿南健治と相島一之という東京サンシャインボーイズに所属していたお二方の軽みと誠実な佇まいはこの芝居の中心を実は支えていたと思う。
 玉置玲央は私的に最近のイチ押しで、動けて声がよくて滑舌がいいって素晴らしいと思う。
 そうした芸達者な役者陣に囲まれて主役を張った北村有起哉が、周り負けせず一人勝ちせずの絶妙なポジションをキープしている。
 役者の力とアンサンブルを堪能した舞台だった。

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