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「メアリー・ステュアート」
作 ダーチャ・マライーニ
演出 マックス・ウェブスター
出演 中谷美紀/神野三鈴
観劇日 2015年6月20日(土曜日)午後7時開演
劇場 パルコ劇場 A列17番
料金 8500円
上演時間 1時間50分
ロビーではかなり立派なパンフレットが販売されていた。
ネタバレありの感想は以下に。
席に着いたら、舞台奥の一面に鏡が貼ってあって、自分がそこに映っているのが見えてぎょっとした。
観客を舞台に登場させるこういった鏡の舞台セットを初めて見た訳ではないのだけれど、やっぱり驚く。かなり前方のほぼ中央の席だったので余計に驚いたのだ。
舞台は、昼間に見た「蜜柑とユウウツ」と同じように能舞台っぽく一段高く作られ、両脇に降りられるようになっている。向かって左手に食卓テーブルと椅子が置かれ、鏡の手前にはいくつかの箱や布が置かれている。
そして、向かって左手の一段下がったところに、リュート演奏の方がいる。
幕開けは、そのリュートの演奏である。
そして、黒いドレスというかワンピースの上に、麻っぽい生地に銀で模様の入った衣裳の中谷美紀演じるメアリー・スチュアートと、同じ生地に金で模様の入った衣裳の神野三鈴演じるその乳母が登場する。
メアリーが牢獄に入っているといえばいいのか、幽閉されているといえばいいのか、そういう状況から舞台は始まる。もちろん、メアリーはこの状態を脱しよう、イングランドの王位継承権を認めてもらおうと様々に画策しているのだけれど、一方、何故だか本気でエリザベス1世を「お姉様」として慕い、自分を救ってくれる存在だと信じているように見える。
そして、衣裳を替えることも照明が変わることもなく、後ろを向いていたり、舞台の暗闇で座って待機したりしている状態から、本当に一瞬で役柄が変わる。
今度は、神野三鈴演じるエリザベス1世と、中谷美紀演じる彼女の侍女の登場である。
二人とも、役柄が変わると声も変わり、表情も変わり、演技が変わる。
女王として舞台の上にいるときは、背筋を伸ばし、低い声で威厳を見せる。
一方、乳母として舞台にいるときは体を屈めしゃべりがゆっくりとなり、侍女として舞台にいるときは声が高くなり上目遣いとなる。
その役の入れ替わりは本当に一瞬で見事だ。
こうして、交互に役を入れ替えながら、恐らくは時系列に沿って、メアリー・スチュアートが断頭台で処刑されるまでが語られて行く。
その状況を、二人だけで、あるいはメアリーやエリザベスを演じているときはまるで落語のように相手役の台詞も語ることがあり、「メアリーの夢の中」という設定で二人してマイクを持って歌い踊るシーンあり、とにかく役者として演出としてのテクニックが駆使されているのが判る。
また、昼に見た「蜜柑とユウウツ」と同じで、台詞が聞き取れないということがまずない。それって本当に素晴らしいことだと思うのだ。
そして、エリザベス1世とメアリ−・スチュアートという二人の、当時もライバルと目されていた女性二人を演じて、中谷美紀と神野三鈴という二人の女優が、どちらかの一人勝ちにならず、終始、拮抗した力を見せ、緊迫感を維持しているのが凄いと思う。
見ているときはそんなことは頭に浮かばないのだけれど、見終わってから振り返って、本当にきちんと成立していたんだなとしみじみと思うことになった。
エリザベス1世とメアリー・スチュアートの物語は、これまでも多分様々に舞台化されているし、それぞれを主人公にした舞台も見たことがある。
だけれど、やっぱり私にはその時代的背景だったり、二人のキャラクターだったりが掴めておらず、しかし、この舞台では割りとその辺りは「みんな知ってるよね、一々説明しないけど」という感じで進んで行くので、「知っていればもっと楽しめるのに、もっとこのシーンの意味が判る筈なのに」という焦りが生じてしまう。何だか自分がもの凄く勿体ないことをしているように感じられるのだ。
でも、この芝居での二人の対比は、カトリックとプロテスタントといった宗教上のことや、権力を握った者と権力を求めた者(というよりは当然に権力があると思っていた者、かも知れない)という部分ではなく、ほとんど結婚や男女関係、性的な部分に焦点があったと思う。
ダメ男と次々と結婚し、脱獄しようというときにも男に頼るメアリーと、議会や顧問から「ご結婚は?」「ご懐妊は?」と責められ侍女からも「あなた様がご結婚をして世継ぎをもうけなければ、メアリー様の王位継承権が強化されます」などと賢しげに言われるエリザベス。
どちらも極端である。
しかし、極端な違い、対比というものは、その見る方向を変えれば「ひとつの物事に対して極端な反応を示す」という意味では同じなんじゃないかという印象をもたらす。
メアリーはずっとエリザベスに会って慈悲を請えば必ず救われると信じ、エリザベスはメアリーに会ったら許してしまいそうだから会わないと決めている。
しかし、この舞台では、その二人が会ってしまったがために、逆にメアリーを処刑すべしという圧力にエリザベスが屈してしまったように見える。
最後、断頭台に向かうメアリーは、そのときだけ、深紅のドレスに身を包んでいる。
そして、一瞬だけ崩れ落ちるものの、しかし、それも乳母の前でだけであって、一歩、人目にさらされる場に出れば、女王としての威厳を見せる態度を保ち続ける。
この舞台のタイトルは「メアリー・スチュアート」で、始まりのシーンと終わりのシーンに登場しているのはメアリ−・スチュアートとその乳母である。
その乳母がメアリー・スチュアートを語り、雪が降る中で照明を浴びていたメアリー・スチュアートがすっきりした表情を見せ、舞台の照明が落ちる。
カーテンコールに出てきた二人の女優がくしゃくしゃの笑顔を見せているのを見て、この舞台で登場人物が笑うシーンは何と少なかったのだろうと思ったのだった。
いい舞台を見て、いい役者を見た。
そんな満足感に溢れる舞台だった。
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コメント
ひびき様、コメントありがとうございます。
メアリーステュアート、良かったですよね。
ちらしのドレス姿のお二人を見られると思い込んでいたので、それがちょっと残念でしたけど(笑)。
タイトルの付け方も色々あるのでしょうが、この芝居はメアリースチュアートというタイトルでは勿体ない、もっと「二人の」ということが判るタイトルの方がふさわしいのにと思ったことでした。
ひびきさんも、東海道四谷怪談をご覧になったのですね。
「乙女の祈り」はどうなんでしょう。私の場合は「この曲を知ってるけどタイトルを思い出せない」ことに神経が行ってしまったので、一番だめだめな観客、という感じがします。
「乙女の祈り」の最後の転調して盛り上がる部分が何故か使われず、テーマ部分を変奏曲のように繰り返していましたので、ちょっと冗長だなという感じはしました。
どうして最後のところを使わなかったのかなぁと未だに思っている私です。
またどうぞ遊びにいらしてくださいませ。
投稿: 姫林檎 | 2015.07.01 22:52
こんばんは~♪
私もメアリーステュアートをA列で観劇しました~♪
でもサイドブロックだったので鏡にはうつりませんでした…残念(笑)
鏡の演出は裁判のシーンなど一気に傍聴人のように見えて「へぇ~」と思いながら観てました。
姫林檎さんのおっしゃる通り、本物の女優の本物の舞台を観たなぁ~と満足感いっぱいで帰路につきました。
舞台装置や衣装がシンプルだった分、余計にお二人の力量を見ることができて本当に良かったです。
あと↑東海道四谷怪談ですが、乙女の祈りの感想をお聞きしたかったので良かったです♪
私は、あそこでの乙女の祈りに賛成派だったのですが(ジーンとすらしてしまった…笑)席の周りでは、ラストシーンで爆笑されてる人もいたので、やっぱり「???」と思う方が多かったのだと思います!
投稿: ひびき | 2015.07.01 21:40