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2015.07.26

「マクベス」を見る

PARCO Presents 「マクベス」
作 W.シェイクスピア
日本版演出 ANDREW GOLDBERG
出演 佐々木蔵之介/大西多摩恵/由利昌也
観劇日 2015年7月25日(土曜日)午後7時開演
劇場 パルコ劇場 H列22番
料金 8500円
上演時間 2時間5分

 ロビーではパンフレット(1500円)と、佐々木蔵之介のサイン入りフォトブック(マクベスの舞台を旅した写真とエッセイ入っている、2700円)が販売されていた。

 ネタバレありの感想は以下に。

 「マクベス」の特設Webサイトはこちら。

 佐々木蔵之介が一人20役、マクベスを演じきるという舞台である。
 場所は精神病棟である。そう舞台上で明らかにされている訳ではないけれど、Webサイト等に書かれているので、私は知っている。冷たい感じの薄い水色のタイル、設置された監視カメラ、出入りには暗証番号が必要な施錠されたドアなど、隔離病棟であることも伝わる。
 何しろ、最初のシーンが、スーツを着ていた佐々木蔵之介が二人の医療従事者(これまた、Webサイトを見ると医者と看護師であることが判る)に着替えさせられ、何やら検査されているシーンなのだ。

 始まってしばらくは、この二人の医療従事者はほとんどしゃべらない。舞台上の患者には何やら話しかけているけれど、「何かを話しかけている」ことが判る程度であって、客席にはその内容はほとんど届かない。
 そして、患者を着替えさせると部屋から出て行ってしまう。
 出て行こうとする二人に、患者が「いつまた会おう三人で」と声をかけるけれど、一瞬、振り向いただけで二人はやはり出て行ってしまう。
 監視カメラがありつつ、それとは別にこの部屋の高い位置には窓が開いていて、そこから時折り、無言で見下ろしている。なかなか怖い絵面である。

 いくつかベッドがあるけれど、ここにいるのは佐々木蔵之介演じる患者だけのようだ。
 そして、治療の一環なのか、本人がやりたいのか明らかには示されないけれど、医療従事者二人が出て行こうとしたときに投げかけたセリフが契機なのか、一晩寝て起きた後(だったと思う)、患者は、マクベスを演じ始める。
 バンクォーと戦勝後に帰還しようとするシーンからだ。
 最初のこのシーンでは、実は二人の演じ分けがよく判らなかった。同年代の同じような立場の男二人だし、例えばダンカン王を演じるときには主に椅子に座って声色も変えていたし、マクベス夫人を演じるときは口調が変わっていたけれど、この二人にはそういう大きな違いがない。
 このまま行かれると辛いなぁと思ったりもした。

 でも、舞台が進むにつれて、その「演じ分け」ということはあまり気にならなくなってくる。
 三人の魔女は、上着を脱いで背中を見せ、筋肉にくっと力を入れたことで人物と場の変化を知らせてくる。魔女のセリフは、舞台に設置された3台のカメラが撮影し、舞台に設置された3台の画面に映し出される。多分、その場で撮影してその場で映し出している。
 魔女が消えると、画面も消える。

 役の演じ分けは、椅子に座ってしわがれた声でやけに親しみやすい感じに作られたダンカン王や、登場シーンが何故か全裸での入浴シーンだったマクベス夫人、人形を役に見立てたダンカン王の息子やバンクォーの息子は判りやすい。
 その他の人物たちは、佐々木蔵之介がくるっと立ち位置と向きを変えることで「別の人物をこれから演じます」ということを表す。特に役名を連呼して知らせるという感じでもなかったので、ストーリーを知っている私は何となく誰になったか判ったけれど、初めてマクベスを見るとなると混乱したかもしれない。

 混乱するといえば、ときどき、場面が「マクベス」ではなくなって、精神病棟に戻る。
 例えば、マクベスが王を暗殺して血みどろの手になった後、場面は突然精神病棟に戻って二人の医療従事者がかけつけ、手を洗い、注射をし、ベッドに寝かしつける。
 寝かしつけられた患者を監視カメラが映し出す。
 この辺りのタイミングというか、場面転換が必要なのかなぁという気もする。

 割りと最近も何かの芝居を見て思った記憶があるのだけれど、「一人でマクベスを演じきる」というこの芝居は、それと同時に「精神病棟に入院した男がマクベスを演じる」という枠組みを付け足したとも言えると思う。
 この「枠」というのは、芝居を成立させるため、あるいは何かを強調するため、その他諸々の狙いがあると思うけれど、それっていい翻案なのかなと思うのだ。
 最初から最後まで「マクベス 一人芝居 一本勝負」で行っちゃダメなのかしらと思う。ダメなのかというよりも、その方がスケールが大きい芝居になるんじゃないかな、そちらこそが王道じゃないかなと思うのだ。

 そして、それができたよね、とも思う。
 舞台上にいる役者は佐々木蔵之介一人で、パルコ劇場の舞台は確かに奥行きはあまりないけれど、決して狭い舞台ではない。
 ベッド数台や階段、衝立に監視カメラにバスタブなどのセットがあったとはいえ、この空間にほとんど佐々木蔵之介が一人で立っていたのに、スカスカという感じは全くなかった。というよりも、会話している様子を演じるためにくるくる回っているときなど、むしろ舞台が狭く感じた程である。
 たった一人で舞台を埋めてしまうって凄いことだと思うのだ。

 そうして、時々精神病棟に舞台が戻り、例えば患者が後生大事に抱えていた紙袋に入っていた子供用セーターがマグダフの子供に見立てられて水死させられたり、後半では、ずっと医療従事者役に徹していたお二人がマクベス夫人の主治医とお付きの者としてそちらの世界に参加したり、マクベス王主催の晩餐会の席にスーツ姿のダンカン王が現れたり、あるいは、舞台上には現れないダンカン王の幽霊(だと思われるスーツ姿の男)がモニターにだけ映っていたり、そうしたいわば「小技」を繰り出しつつ、舞台は進む。

 マクベスの最期は、患者がバスタブに頭までつかり、まるで水死体のような風情が監視カメラによって映し出されて表される。
 マグダフとの戦いが、「水に潜る競争」で表されているということだと思う。
 この最後の辺りは実はちょっと判りにくくて、マグダフがマクベスを倒したことも、誰が次の王になったのかということも、よく判らなかった。

 そして、舞台は精神病棟に戻る。
 再び、医療従事者二人が出て行こうとしたときに、患者が「いつまた会おう、三人で」と声をかけ、暗転である。

 見ているときは気がつかなかったけれど、この男女二名の医療従事者のうち、女医(とサイトには書いてある)を演じていたのが大西多摩恵だと知って驚いた。全然判らなかった。随分久しぶりに舞台で拝見したような気がする。
 この日の朝、たまたま朝の連続テレビ小説を見ていたせいか、マクベス夫人が登場すると頭の中で常盤貴子に変換されて、何だかそれはそれで楽しかった。

 2時間近く、ほぼ一人、出ずっぱりで舞台を埋め尽くしていた佐々木蔵之介ってやっぱり凄いよなぁと思う。
 魔女になりきっていた感じは、惑星ピスタチオ時代を思い出させて、これまた感慨深かった。
 何年か後に、再演して欲しいなぁと思う。まだまだ進化する、という印象を受けた。

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