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「RED」
作 ジョン・ローガン
翻訳・演出 小川絵梨子
出演 小栗旬/田中哲司
観劇日 2015年9月23日(水曜日)午後3時開演
劇場 新国立劇場小劇場 B3列1番
料金 8000円
上演時間 1時間35分
ロビーではパンフレット等が販売されていた。
ネタバレありの感想は以下に。
どこからどう見てもアトリエ、ただし、自然光を拒否するように窓は塞がれている。
田中哲司演じるロスコ(実在の画家だということを見終わってから知った)は、レストランの壁画という大きな仕事を引き受けており、そのために小栗旬演じる助手を雇う。役名は「ケン」ということになっているけれど、多分、彼の名前が劇中で呼ばれたり名乗られたりしたことはなかったと思う。
赤と黒が、幾何学的な模様を描いてキャンバス上に展開されている。
ロスコは「そこに何が見えるか」「何を見るか」ということを執拗に助手となった彼に迫り、彼の方はロスコの語りに従って哲学書を読み美術館に通い音楽を聴く。
そうして、最初は「助手」というよりも「下働き」という扱いで、意見どころか感想を言うにも許可が必要だった彼と、ロスコはもしかすると対等に絵画についての話を語り始める。
正直に言って、舞台上で戦わされる芸術論、絵画論は私には全く響かない。それどころか、何を言っているのかすら理解できないことも多い。
「赤」とか「黒」とか「白」とか、色にそこまでの意味があるのか。
「情動」と「秩序」というのは対照的な存在なのか、共生すべき存在なのか。
ロスコの描く壁画は「悲劇」を描いているのか。
彼らが何を語っているのかこちらに伝わらないのは、間違いなく私の芸術的素養の欠如が原因だと思う。
芸術論は判らないのだけれど、とにかく二人が真剣に絵について語っていることと、少しずつ二人の言っていることが噛み合って行くことは判る。
小栗旬の方はときどき若者らしく抜くことがあるのだけれど、田中哲司の方はテンションを上げっぱなしだ。台詞の量も恐らくロスコの方が断然多いのではなかろうか。
連作の絵は少しずつ完成したものが増えて行く。
最後になって彼がしゃべったので知ったのだけれど、この壁画の制作には2年をかけており、ロスコと彼の関係も2年間続くのだ。
この芝居は、二人の2年間を追った芝居なのである。
そして、そこで描かれる絵は常に赤と黒だ。
もの凄く短絡的なことを言うと、赤は彼で、黒はロスコを象徴しているようにも見える。
ロスコと彼の関係が変わったきっかけの一つは、彼の両親の話だ。
一枚のキャンバスの下地を作るため、二人は協力して赤の絵の具を刷毛で塗る。一面を塗りつぶす。クラシックの音楽に合わせ、顔や手や服を赤く染めながら、その作業をリズミカルに、そして息を合わせて行う。
そうしている二人はパートナーのように見える。
一面の赤(というよりは、茶色に近いようにも見える)のキャンバスを見て、彼の様子が変わる。ロスコに強く促され、その赤が乾いた血の色に見える、両親が強盗に殺されたときに流した血の色に見えるのだと彼は告白する。
それから、ロスコの彼への対応が変わったようにも見える。
両親が殺されたことよりも、むしろ、何が見えるかは自分とは違うにしても、色の中に「何か」を見る人間として認めたようにも見える。
そういう、「短絡的だけどそういうこと?」という感じで話が進んで行く、ような気がする。
若い頃にキュビズムに止めを刺したと自負するロスコが、今度は、ポップアートに取って変わられようとしている。本人はそのことに気がついているけれど気がつきたくない。ポップアートと自分の作品が並べられることを拒み、あれらは芸術ではないと激高する。
彼が聴いていたジャズも認めないらしい。
しかし、繰り返すけれど、それは彼の不安の裏返しだ。
そして、アンディ・ウォーホルの作品も、ジャズも、恐らく100年後も残るのだ。
一方で、この舞台ではクラシックが多く流れている。
ロスコが絵を描くときには、絵を見ているときにも大抵、クラシックのレコードをかけているからだ。
そして、少なくともこの舞台に限っては、クラシック音楽はひたすら「焦燥」を感じさせる音楽のように聴こえてくる。クラシックってこんなにも焦燥感に溢れた音楽だったんだなというのは、乱暴すぎる感想かも知れない。
彼ら二人の緊迫した2年間が、90分の舞台に凝縮されている。
あまりにもテンションが高すぎて、「これからどうなるんだろう」とか考えているヒマすらない。ひたすら二人のやりとりや動きや表情を追うだけで精一杯だ。
しかし、二人が離れて立っているとき、ロスコの方を見てしまう私は年を取ったということなのかしらとは思ったのを覚えている。
ラストシーンで、自分の壁画が飾られるレストランに行ったロスコは、そこは自分の絵があるべき場ではないと、発注者に電話をかけ、お金は返すから絵は納品しないと宣言する。
それでこそロスコだと彼が嬉しそうに次の作業にかかろうとしたところで、ロスコは彼に解雇を告げる。
理由を求める彼に、言を左右にしていたロスコだったけれど、ここを出て自分の場を探し、自分の絵を描くように言う。
彼がロスコのアトリエから出て行って幕である。
こうやって振り返ると、何というか、芸術とか芸術家とか、二人の関係とか、随分と類型的に書かれているような印象がある。
でも、芝居として見ているときには、違う何かがそこにある。
多分、要約とかまとめとかできない何か、してはいけない何かが舞台上にあったと思う。
「何かがある」ということを感じられただけで良しとしよう。
静かで激しい舞台だった。
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コメント
あんみん様、コメントありがとうございます。
そうですね。今月は旅行にも出ていないので、割とお芝居を観ております。
「RED」は濃い空間でしたよね〜。
確かに中華のテイクアウトをほおばるシーンでは笑いが起きていましたね。私はどうだったかしら、笑ったかしらと記憶をたぐりましたが、思い出せませんでした。
舞台が緊迫している分、客席も緊張しっぱなしなので、それを緩めるという意味もあったのかしらという風にも思いますがいかがでしょう。
「オレアナ」は迷った末にチケットを取っていません。まだチケットありそうですね。
でも、観劇ペース的にはちょっとキツイので、もう少し迷おうと思います。
またどうぞ遊びにいらしてくださいませ。
投稿: 姫林檎 | 2015.09.27 22:49
こんばんは。
観劇ペースが今月はジリジリ上がっていますね、良かった(笑)。
私は最近2人芝居が一番入り込めて好きです。
特に小川絵梨子さん演出の少人数舞台はお気に入り。
役者はこれを一日2回やるには大変だと思いますが。
下絵塗るシーンなんてかなり消耗しそうですよね。
もう田中さんに魅入ってしまいましたよ。
小難しい芸術論はさておき、絵が生活の全てという画家を感じられました。
中華をほおばりながら、話すシーンは本気で食べながら話すので
ビーフン?や杏仁豆腐?がこぼれまくってましたが
客席から笑いが起こるのが残念で、絵の事を話し出すと食事中でも止まらなくなり
口からこぼれるのもいとわず、言いたいことが沢山有って
実際はこんな風に食べていても変ではないはず、と思いました。
決して笑いを取る為ではないと、演出家の意図も感じられたシーンでした。
私も80%はロスコを観ていましたよ!
観ずにいられなかったです。
田中さんのまたもやの二人芝居『オレアナ』も楽しみです。
投稿: あんみん | 2015.09.27 18:18