「ドラマ・ドクター」を見る
ティーファクトリー「ドラマ・ドクター」
作・演出 川村毅
出演 河原雅彦/末原拓馬/岡田あがさ
堀越涼/笠木誠/伊藤克
観劇日 2015年10月31日(土曜日)午後2時開演
劇場 吉祥寺シアター B列15番
料金 4800円
上演時間 1時間50分
多分、ロビーでパンフレット等を販売していたと思うけれど、チェックしそびれてしまった。
ネタバレありの感想は以下に。
今回の舞台ではB列が最前列、しかも吉祥寺シアターは舞台の高さがほとんどなくて客席との距離が近い。
目の前に役者さんがいるというのは、贅沢だけどちょっと気恥ずかしかったりもした。しかも、ちょうど私の席の目の前でモノローグを「読む」シーンが多かったので尚更だ。
舞台は、さて、河原雅彦演じる「ドラマ・ドクター」のシーンから始まったのだったか、ヘンリーとトニーという若い劇作家が戯曲を共作しようというところから始まったのだったか、もうすでに記憶にないところが情けない。
舞台は、原稿用紙らしい(と思ったけれど、この舞台は多分外国が舞台になっていて、日本以外に原稿用紙というものはないような気がする)紙が貼りまくられた壁、その壁に切れ目があって舞台袖にはけられるようになっている。
舞台上には、ドクターが座っていたデスクがあったりなかったり、あとは簡単な椅子があったりなかったりするだけだ。
ドラマ・ドクターというのはハリウッドに実在する職業で、多分、劇作家に戯曲についてのアドバイスをすることがその仕事だ。
この舞台のドラマ・ドクターも多分、そういう仕事をしているんだろうと思う。
ヘンリーとトニーが持って来た戯曲を読み、そして、完成に向けてアドバイスする。
どうやらドクター自身も戯曲を書いているし、ドクターと共に住んでいるらしい「死刑囚」のアスラムも戯曲を書いているようだ。
ヘンリーとトニーの二人に「これまでにない戯曲」を注文したのはヘルマンというプロデューサーで、彼はドクターとは古い知り合いらしい。
そして、彼らと戯曲の講座で一緒だったという女優のサラが「私も書き始めたの!」と登場したことで、舞台上に役者が揃う。
彼らはみな、「戯曲を書く」人々であり、恐らくは戯曲を書くことに行き詰まった人々である。
それも当然の話で、ヘルマンは、笑いも飽きたし悲しみにも飽きた、感動にも飽きたし飽きることにも飽きたと語った上で、「飽きない」戯曲を書くことを求めているのだ。
この辺りからなのか、実はこの舞台の最初からだったのかも知れないけれど、彼らのうち誰かの書いた「戯曲」が場を支配し始める。
戯曲が現実世界に流れ出しているのか、あるいは、知らず知らずのうちに彼らは誰かの書いた戯曲をなぞってしまうのか、「現実」と「戯曲」の境界線がどんどん曖昧になって行く。さらに、「戯曲」の方には、「誰かの書いた戯曲」というバリエーションがあるからたまらない。
ヘンリ−、トミー、サラの書く物語は、みな、「僕」「私」と一人称で語っている登場人物たちが一見作者本人のように感じられるけれど、実際には、二番手としてその物語に登場する人物が彼ら自身らしい。
何度も「書き手と、一人称で語る登場人物とは別人だ」「同じではない」と彼らは自分に言い聞かせるように語るけれど、でも、自分自身でなければいいってものでもないだろうという気はする。
おいおい、もっと消化してから表出しようよという感じがする。
「私小説」は成立しても「私戯曲」は成立しないんじゃないかと思う。
この辺りから先は、私にはストーリーは追えなかった。
場を支配する人物が次々と変わり、「物語が行き詰まったら登場人物の誰かを殺せ」の格言どおり、誰かが殺されて誰かが生き返り、そうすることでどうにか物語は進んでいるように見える。
そうして、最後には、ドクターが暮らす穴蔵の壁が崩れて穴が開き、その向こうに「新しい世界」が広がっている。
サラとトミーは割と気軽に飛び込んでいき、彼らに迎えに来て貰って初めてヘンリーもそちらの世界に飛び込むことができる。
劇作家として認められている人気者のヘンリーと、まだ芽が出ていないサラとトミーの差なんだろうか。
しかし、結局のところ、ここまで見てきた彼らは、ドクターが原稿用紙に万年筆で書いている「戯曲」の登場人物であり、そのストーリーであったのかも知れない。
登場人物たちが去った後には、作者だけが残る。
現実に戻った作者はもう神ではなく、孤独なだけだ。そういう風にも見える。
気障ったらしくて何故かロングスカートのヘンリーに、いかにもインテリっぽい「不条理」を振り回していそうなトミー、ぶっとんでいるように見せて実は冷静なサラ、というのは、多分それぞれデフォルメした結果なんだと思う。そして、それが、演じた末原拓馬、堀越涼、岡田あがさに会っている。
河原雅彦は、ある意味、誰を演じても河原雅彦で、でもそれが「ドラマ・ドクター」という謎の人物に合っていると思う。
ドラマ・ドクターが登場するけれど、この芝居はドラマ・ドクターを描いている訳ではないと思う。
それなら、果たしてドラマ・ドクターという職業を通じて何を描きたかったのか、私にはその一段奥が見えていないような気がした。
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