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「Battlefield”マハーバーラタ”より」
脚本 ピーター・ブルック/ジャン=クロード・カリエール/マリー=エレーヌ・エティエンヌ
演出 ピーター・ブルック/マリー=エレーヌ・エティエンヌ
音楽 土取利行
照明 フィリップ・ヴィアラット
出演 キャロル・カルメーラ/ジャレッド・マクニール
エリ・ザラムンバ/ショーン・オカラハン
観劇日 2015年11月28日(土曜日)午後1時開演
劇場 新国立劇場中劇場 1階16列25番
料金 7000円
上演時間 1時間10分
終演後、マリー=エレーヌ・エティエンヌ によるアフタートークショーあり
30年前の感動よ再び、というところだったのだと思う。
ロビーではパンフレット(結構分厚くて内容が充実していそうだった)が2000円で販売されていた。
2階席は全く使われず、1階席の後方も空席が目立った。勿体ない。
感想は以下に。
英語で演じられ、舞台後方にかなり大きな日本語字幕が用意されている。
舞台の両脇にあるよりも見やすいけれど、高い位置にあるので、俳優の演技と字幕を両方同時に見るのはなかなか難しい。俳優と字幕が被るようにあったらそれはそれで「舞台」を壊してしまうだろうから仕方がないけれど、英語が全く苦手な私としては痛し痒しだ。
30年前には9時間かけて上演したという「マハーバーラタ」を、今回は1時間10分に縮めている。
30年前の作品を縮めたというよりは、同じ「マハーバーラタ」というテキストに新たに向き合ったという感じだと思う。
30年前を知らない私には、今回の舞台は、とても正統的、真っ向勝負な演出という印象だった。
登場人物は数多いけれど、舞台上にいる役者は4人だけである。男性が3人で女性が1人。みな黒っぽい衣裳を身につけ、大きなショールを巻いたり外したりかけたりすることで様々な人物を演じ分けている。
そして、土取利行が舞台上に常にいて、太鼓を演奏している。「太鼓」ではないちゃんとした名前のある楽器だと思うけれど、とりあえず私には「太鼓」としか表現できない。バチではなく手で叩いている。その音は、正しく変幻自在で豊かだ。
この舞台の始まりは「戦の後」だ。
戦争が終わった後の「戦場」では、勝って王になったユディシュティラも、負けて王を退いたドリタラーシュトラも、多くの人々を殺した戦争を引き起こした自分を否定し、共に「消えたい」と願っているように見える。
しかし、ユディシュティラは王となって国を治め、ドリタラーシュトラを常に立てている。ドリタラーシュトラも人々の尊敬を集めてユディシュティラを支援しているように見える。
この二人を繋いでいるのが、ユディシュティラの母親で、彼女はドリタラーシュトラに常に寄り添い続けている。この二人の関係が最後までよく判らなかった。
この舞台では、戦争が終わり、森に入る(それはつまり王者の死を意味するようだ)ことを願ったユディシュティラが、王として国を治める決心をするまでの物語(そこには、祖父から幼い頃に聞かされた物語が語られる時間も含まれるし、祖父の死も演じられる)と、ユディシュティラの統治が始まって十数年後に、ドリタラーシュトラとユディシュティラの母親の二人が森に向かい、そこで山火事の炎に身を投じるという方法で死を選び取るまでの物語とが大部分を占める。
それは、敢えて言えば、「現実感のない」物語だし時間だと思う。
多分、「マハーバーラタ」をどう70分で表現するかというところがこの舞台の最大のポイントなのだと思う。
物語をどう凝縮するか、どの部分を取り上げることで全体のテーマを伝えることができるか、マハーバーラタのエッセンスは何なのか、その「テキスト」作成が多分、一番の山場だし、この芝居の見せ場なのではなかろうか。
4人の役者で広い舞台を埋め、多くの役を演じ分けるという演出は、もちろんストレートではないと思うけれど、けれど、そこにあまり大きな意味はないような気もする。
何というか、マハーバーラタという物語を「Battlefield”マハーバーラタ”より」という「その後」の時間にフォーカスすることでその訴えていることを集約しようという意思が何よりもこの舞台の肝だという感じがする。
ほとんど何もない広い舞台、黒いクッションのような椅子のような四角いものが二つ、小道具も杖のような棒が2本だけとシンプルな舞台だ。
役者も4人しか登場しない。
それは、ある意味では「もう既にあちこちで行われている」アイデアだと思う。その演出が、意欲的でもなく陳腐でもなく「正統的な」と感じられるのはどうしてなのか、自分でもよく判らない。しかし、そう感じたのは確かだ。
同時に、英語の響きが心地よく(英語だけ聞いていると意味が判らないということももちろん大きいけれど)、太鼓の音も心地よく、うっかり聞き惚れて字幕を読み忘れると、そこで展開されていた話が全く判らなかったりもした。
言い訳をするようだけれど、舞台上の役者さんたちの出す声や太鼓の音に、日頃の憂さや心配事を忘れて聞き惚れ、たゆたっていたというのも本当だ。
この舞台は、役者たち4人が、土取利行を見上げて座ったストップモーションで終わる。
そこに、動きはなく、音もない。
ただ、客電が徐々に明るくなって、舞台が終わったことが伝えられる。
終演後、演出を担当したマリー=エレーヌ・エティエンヌのトークショーがあった。
30年の時を経て、この物語を上演しなければならない「危機」に世界は襲われているというのが彼女の認識であり世界観で、その「現代」で対峙しなければならないものを「マハーバーラタ」という物語は全て含んでいる、という趣旨の話だったと思う。
正直に言って、その部分は(正しくそこが彼女たちが伝えたかった、伝わって欲しいと思ったところだと思うのに)私にはよく判らなかった。
ただ、常に自分たちに巣くう憎しみとは常に対峙しなければならないし、その憎しみに身を任せることを拒否することが必要なのだし、その後悔を忘れてはいけないし忘れないことで同じ道に入らずに済むこともある、ということなんじゃないかという気がした。
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