「パッション」を見る
「パッション」
作曲・作詞 スティーブン・ソンドハイム
台本 ジェームス・ラパイン
翻訳 浦辺千鶴
訳詞 竜真知子
音楽監督 島健
演出 宮田慶子
出演 井上芳雄/和音美桜/シルビア・グラブ/福井貴一
佐山陽規/藤浦功一/KENTARO/原慎一郎
中村美貴/内藤大希/伊藤達人/鈴木結加里
東山竜彦/吉永秀平/一倉千夏/谷本充弘
白石拓也/小南竜平/岩橋大/荒田至法
観劇日 2015年11月7日(土曜日)午後6時開演
劇場 新国立劇場中劇場 19列41番
料金 9720円
上演時間 2時間45分(20分の休憩あり)
ロビーではパンフレット(800円)などが販売されていた。
また、国立劇場中劇場での上演の場合、舞台セットの模型がロビーに展示されているのが楽しい。
ネタバレありの感想は以下に。
珍しく短期間に続けてミュージカルを見た。
とりあえず、2本の続けてミュージカルを見た感想としては、やっぱり私はミュージカルには向いていないのかも、ということになるような気がする。
しゃべればあっという間のことを歌に載せるものだから、とにかく展開がゆっくりすぎると思うのは私だけなんだろうか。
ソンドハイムは名前しか知らない、「パッション」というミュージカルのことは全く知らない、とにかく井上芳雄を和音美桜とシルビア・グラブが取り合う話だ、というくらいの前知識のみで見に行った。
オーケストラピットが作られていて、覗きに行ったところ、少人数なことに驚く。それは3日に見たミュージカルでも同じことで、かといってシンセサイザーのようなものが並んでいる訳でもない。音はパソコンに入っているということなんだろうか。よく判らない。
いきなりベッドシーンから始まって驚く。
広い舞台の前方には引き違い戸のような感じで幕というか衝立が何重にも設置され、左右に動かすことでその後ろでセットの転換を行ったり、両脇に引いて舞台に枠を作ったりしている。
暗めの舞台に、その衝立が両脇に引かれて壁のように使われ、真ん中にベッドが置かれてそこだけスポットを浴びて白く光っている。
そこにいるのは井上芳雄演じるジョルジオと、和音美桜演じるクララだ。
艶めかしいというよりも、あの体勢でよく声が出るよなぁと思ってしまう。
そのジョルジオは軍の大尉で、ミラノから何だかとても田舎の方の部隊に移動することになったらしい。
クララは結構後の方になって明かされるのだけれど人妻で、もちろんジョルジオに付いていくことはできない。
赴任したジョルジオは、その部隊の人々のあまりのやる気のなさに呆れ、一応、福井貴一演じる上司の大佐には敬意を表するものの、毎日、クララにラブレターを送り送られることだけが慰めといった感じである。
そこに、大佐の従姉妹であるシルビア・グラブ演じるフォスカという地味かつ病弱な女性が登場し、一方的な愛をジョルジオに告げ続けることになる。
印象としてはコワ過ぎる。
不幸の連続で今も病弱で長くは生きられないと言われているフォスカが、その「長くは生きられない」という現状を武器にジョルジオに迫り続ける様子は鬼気迫る。
弱気のように見せて、超絶に強気である。
しかも、同情からなのか、「人として」という責任からなのか、ジョルジオの態度がまた悪すぎる。そんなに普通に親切にしたら、親切にされたことのないフォスカがあっという間に誤解してのめり込むのは判りすぎるほど判るだろう! と説教したい気分になる。
はっきり言って、フォスカをここまで狂わせたのは、ジョルジオの思わせぶりな態度だと思う。
しかも、ジョルジオは偉そうに「愛は相手に与えること」だとか「自由にすること」だとか、フォスカに「愛」を語るけれど、ジョルジオが「愛」だと信じているものは、この時点でとりあえず「不倫」である。
そんなに胸を張って自慢して人に説教できるような立場ではあるまいと思う。
単純に「あなたを好きになれない」ということだけ言っていればいいのにと思うけれど、そうしてしまったらこのミュージカルはあっという間に終わってしまう。
それができないジョルジオという人間だからこそ生まれたドラマで、だからミュージカルにもなるということかも知れないけれど、一言で言って釈然としない展開がずっと続く。
それでも許されるのは、ミュージカルだからなんだろうか。
このミュージカルも、割と「歌い上げる」系のミュージカルで、しかしそういえば曲のたびに拍手が湧くという感じではなかった。
そして、見ていて思ったけれど、意外とミュージカルというのは踊らないんだなと思う。歌うけれど踊らない。今さら気がついた。
シルビア・グラブのおどおどした感じのしゃべりから入る情感溢れる歌と、和音美桜の澄んだ高音の歌声は対照的だ。この二人が一緒に歌うシーンがほとんどないのが惜しい。それぞれ井上芳雄とデュエットがあるけれど、あまりハモることがないのも何だか残念である。
フォスカはほとんどストーカーのようにジョルジオを追い続け、ジョルジオに明確に拒否されるとさらに体調を悪くして伏せってしまう。
フォスカを診ている軍医がジョルジオに彼女を見舞うように命じ、結果、さらに事態は酷いことになって行く。
ジョルジオはフォスカの「愛」にほとほと疲れ果て、ミラノに戻ってクララに「離婚してくれ」「結婚しよう」「一緒に逃げよう」と迫るけれど、クララは「子供を失うことはできない」と拒否する。
多分、そのクララの態度を「打算的」と見て、どんなに冷たくしても邪険にしてもジョルジオのために死ねると断言するフォスカの愛を信じるようになる、という展開だと思うのだけれど、ここがよく判らない。
その突然の心変わりは何? という印象しか残らない。
何となく、フォスカの言うことを聞きながら「レ・ミゼラブルのエポニーヌみたい」と思っていたけれど、好感度で比べればそれはエポニーヌの方に断然軍配が上がる。
それでも、ジョルジオはフォスカを愛していると信じ、自分の従姉妹をジョルジオが騙したと思い込んでいる大佐に決闘を申し込まれ、その前の晩にフォスカと愛を交わし、そして、決闘では無事だったものの、そのまま心を病んでしまったらしい。
だからどうしてそうなるんだ、というのが全く判らない。
例えば愛を歌い上げることでその「展開がよく判らない」という部分を力業でねじ伏せるのがミュージカルなんじゃないかと思うのだけれど、私にはそこまで迫ってくるものはなかったように思う。
ただ、それは「私にとっては」ということで、この公演ではカーテンコールが何度もあり、最後にはスタンディングオーベイションになった。
このミュージカルは、多分、ジョルジオが真実の愛に目覚める過程を描いた(そして、その相手はすぐに亡くなってしまった)という風にも取れるし、理不尽ともいえる愛を描いたとも言うことができるのだと思う。私自身にはその辺りはしっくり来ないのだけれど、しかしその「純粋さ」に対する拍手だったんじゃないかという風に思った。
| 固定リンク
「*感想」カテゴリの記事
- 「夫婦パラダイス~街の灯はそこに~」を見る(2024.09.16)
- 「バサラオ」を見る(2024.09.01)
- 「破門フェデリコ~くたばれ!十字軍~」を見る(2024.08.25)
- 朝日のような夕日をつれて2024」を見る(2024.08.18)
- 「奇ッ怪 小泉八雲から聞いた話」を見る(2024.08.12)
「*ミュージカル」カテゴリの記事
- 「未来少年コナン」の抽選予約に申し込む(2024.03.03)
- 2023年の5本を選ぶ(2024.01.06)
- 「東京ローズ」のチケットを予約する(2023.10.01)
- 「ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル」を見る(2023.07.16)
- 「おとこたち」を見る(2023.03.26)
コメント