« 「王女メディア」のチケットを予約する | トップページ | 「グランドホテル」のチケットを予約する »

2016.01.10

「王女メディア」を見る

「王女メディア」
原作 エウリーピデース
演出 高瀬久男/田尾下哲
修辞 高橋睦郎
出演 平幹二朗/山口馬木也/間宮啓行
    廣田高志/神原弘之/斉藤祐一
    内藤裕志/三浦浩一/若松武史
観劇日 2016年1月10日(日曜日)午後1時開演
劇場 東京グローブ座 1階O列14番
料金 10000円
上演時間 2時間10分

 ロビーではパンフレット等が販売されていたけれど、混んでいてチェックしそびれた。
 ネタバレありの感想は以下に。

 「王女メディア」の公式Webサイトはこちら。

 セットはシンプルだ。
 確か、全国ツアーを行っているこの公演では、どの舞台にも対応可能なセットが求められたんだろうなと思う。奥に斜めに伸びる壁はモノトーンの迷彩風、左手前に女性の彫像とその下の泉、右手前に細めの壁でこちらは黒一色で壁と言うより箱っぽい感じかも知れない。
 奥の壁と右手前の壁との間が通路のようになっていて、登場人物はこちらからも出入りする。

 男優9人で上演されるこの「王女メディア」の登場人物はほとんどが女性という印象だ。
 王女メディアを演じる平幹二朗とその夫を演じる山口馬木也の二人以外は、皆「土地の女」として王女メディアの友人として登場する。その女たちを束ねている頭を演じる若松武史を合わせた3人が一人一役だ。
 王女メディアはもちろん女、その乳母ももちろん女、あとは、夫と息子二人、夫が嫁に迎える女性の父親である領主と、息子二人の守り役が男で、考えてみたら男性の役の方が多いけれど、「土地の女」が常に舞台上にいるためか、印象として「女の舞台」という感じがした。

 多分判らないだろうと思って予習したところでは、王女メディアは、自分の国に流れ着いたイアソンと恋に落ち、故郷を捨ててイアソンとともに流れ着いたコリントスで暮らしていたところ、イアソンはメディア母子を捨てて、コリントスの領主の娘と結婚しようとする。しかも、子供ともどもコリントスの領主から追放を命じられたメディアは1日の猶予を願い出て、毒を仕込んだ贈り物で領主の娘と領主を殺し、自らの手で息子達を殺し、イアソンから全てを奪って復讐を果たすという物語だ。
 しかも、自分は隣国の太守の擁護を事前に取り付けておくという周到さである。

 メディアは、本人の弁によれば相当にイアソンに尽くしてきており、そのメディアを捨てて領主の娘を嫁に迎えて自分だけいい目を見ようというイアソンは嫌な奴であることこの上ない。
 基本大前提として、イアソンは駄目な奴だし、嫌な奴だし、そもそも悪いのは誰かと言えばこいつだと思う。

 だがしかし、である。
 最初に登場するメディアの乳母が、「あの方は、誇り高い。」と繰り返し主張していたけれど、誇り高い妻というのは往々にして夫から裏切られている気がする。
 そしてまた、このメディアが、友人である「土地の女たち」に己の計画を説明したり、止められて心情を吐露したり、夫であるイアソンと対決しているのを見ていると、段々、イアソンに同情的な気分になってくるから不思議である。
 何というか、メディアは多分、常に自分がイアソンを助けるためにどれだけの犠牲を払ってきたかを誇示していたのだろうなと思わせられる。
 そして、それを言っちゃぁおしまいだよ、とメディアに言いたくなるのだ。

 金色の羊(だったと思う)を探しに来たイアソンに協力し、イアソンとともに出航するときには血を分けた弟を殺し、父親と故郷を捨て、イアソンの故郷ではイアソンの名誉を守るためなのか何なのか、その土地の領主を本人の娘達に殺させ、そして今、知り合いもいないコリントスでひっそりと暮らしている。
 これらは全てイアソンのためであり、イアソンがここで曲がりなりにも生きて暮らしていられるのは、メディアの助けがあったからこそだということを、毎日どころか機会あるごとに本人に向かって言い続け、意識させ続けて来たんだろうなという感じがする。
 それじゃあ、嫌われても仕方がないよ、とメディアへの同情心が段々薄れてくる。

 メディアの心情を、メディア自身に切々と訴えさせることで、逆にメディアへの同情心を失わせる結果になっているこの戯曲はどう考えるべきなんだろう。
 あるいは、戯曲だけではなく、演出の志向するところでもあったのかも知れない。
 メディアが、復讐後の自分の保身のために隣国の太守を口説いているところなど、その「してやったり」の笑顔と言い、嫌な感じが逆に漂う。土地の女たちも、かなり引き気味だ。
 メディアが復讐を着々と進めているときの、土地の女たちの頭であるところの若松武史の哀れんでいるような、何かをほくそ笑んでいるかのような表情も、より、メディアへの同情心を失わせているようにも思う。

 舞台を見ているときは、「メディア、だめじゃん!」と思っていたけれど、見終わって時間が経ってみると、この「自らの意思に忠実で、自らの誇りを守るためなら手段を選ばない」女性に嫌悪感を持つ自分は、もしかして偏っているのか? という気もし始めた。
 つらつら考えてみたけれど、「配偶者に対して常に恩義せがましい態度を取る」ということは、男女を問わず、それがどれだけ大きな犠牲だったとしても、やってはいけないというか、やっちゃったら夫婦仲が上手く行かないのは自明のことだろうという結論に落ち着いた。
 ただ、この王女メディアは、本人も舞台の上で言っていたけれど、女性の人生が伴侶によって決まってしまうという時代の人な訳で、その辺りは割り引いて考えないと彼女に気の毒なのかも知れないとも思う。

 それはそれとして、「夫から全てを奪う」ために「自らの子供を殺す」ことを選ぶメディアという女性は、やっぱりどこか理解を超えているところがある。
 それは、私の理解を超えているだけではなく、イアソンの理解も超えているし、土地の女たちの理解も超えている。
 どこまで自分が大事なんだろうと思わなくもない。ましてや、自分のこの後は「隣国の若き太守さまと幸せに暮らします」とイアソンに向かって言うような女である。
 ここまで極端に造型しなければ、王女メディアの悲劇は描けない、当時の女の悲劇は描けないということなんだろうか。

 そのメディアを、82才の平幹二朗が演じて違和感がないところがまた凄い。
 極端なお化粧のためでもあろうし、真っ黒な髪の鬘だったり、体型を完全に隠す衣裳だったり、「男が女を演じている」からこそという部分もあるとは思うけれど、「このか弱い女と生まれたからには!」という台詞を、82才の男優が発して違和感がないのはどうしてなんだろう。
 決して「女に見える」ということではないけれど、そこには確実に王女メディアがいるという感じがする。

 重すぎて、響く声が重々しすぎて、舞台が暗すぎて、でも、ここにしかない王女メディアを見た、と思う。
 

|

« 「王女メディア」のチケットを予約する | トップページ | 「グランドホテル」のチケットを予約する »

*芝居」カテゴリの記事

*感想」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「王女メディア」を見る:

« 「王女メディア」のチケットを予約する | トップページ | 「グランドホテル」のチケットを予約する »