「フェルメールとレンブラント:17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち展」に行く
先日、森アーツセンターギャラリーで2016年3月31日まで開催されているフェルメールとレンブラント:17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち展に行って来た。
平日の昼間に行ったにもかかわらず、チケット売場が大混雑で、列に並んでからチケットを購入するまで30分近く待ったと思う。チケットを持っている人はすいすいと入場できていたので、事前に購入して行く方が賢かったと反省した。
展覧会のタイトルにフェルメールとレンブラントの名前が冠されているけれど、実際のところ、この二人の画家の絵はそれぞれ、日本初公開とはいえ1点ずつしか出展されていない。
全体でも60点だから、規模としてはこぢんまりとしている。
17世紀オランダの絵画の流れを追った絵が出展されていて、しかし私はフェルメールとレンブラント以外の画家については全く知らず、親近感も湧かないままになってしまった。勿体ない。
1ハールレム、ユトレヒト、アムステルダムーオランダ黄金時代の幕開け、と名づけられた部屋では、幕開けというよりも幕開け前の、宗教的なテーマの絵が展示されている。
当時のオランダはプロテスタントの国で偶像崇拝が禁じられ、商人達ががっぽり稼ぎ始め、結果として、判りやすいテーマの絵の人気が上がっていたという。逆に、宗教的なテーマの絵は隅に追いやられつつあったということだろう。
そしてまた、画家たちも、自分が得意とする分野に画題を特化していったという。余裕があったんだなぁと思う。
「判りやすいテーマの絵」が何かといえば、人気を博していたのは、まずは風景画だ。
風景画に特化したというのは判るけれど、「牛がいる風景かばかり」のカイプまで行くと、特化しすぎだろうという気がする。当時のオランダでは牛の絵に特化しても充分に画家としてやっていけたんだろうか。
牛の絵に特化と言われるよりは、月光の絵に特化したというアールト・ファン・デル・ネールという画家の方がまだ判るような気がするし、絵もなかなか好きな感じだった。
商人達が好んだという割に、この時代のオランダの絵は何故か全体的に画面が暗い。だったら、その暗い画面に月の光が射している方がいい感じだと思う。
「画面が暗い」というのは、多分、当時も思う人がいたようで、地元の風景だけではなく、「理想的な風景」として、イタリア的風景画というジャンルが成立し、イタリア的風景画家と呼ばれる人たちもいたそうだ。
この「イタリア的風景画」の特徴は、多分、背景が明るい、後ろに明るい日射しがあるというところだと思う。
さらにこの「特化」という現象は続いたようで、「建築画家」とか「海洋画家」などというところまで行く。
「建築」でも、設計図まで手に入れて実在の教会を再現しようという画家もいれば、あちこちの教会のパーツを組み合わせてこの世に存在しない教会を描いたという画家もいる。
海洋画家には、自らも船員だったというファン・ウィーリンゲンがいたりして、そこまでテーマを絞っても需要があるなんて、本当に当時のオランダは国を挙げて豊かだったんだなぁと思う。
また、そういった「豊かなオランダ」をイメージさせる「特化」だけが生き残ったということもあると思う。
静物画にしても、カルフという画家はとんでもなく豪華なものをまるでそこにあるかのように描いている。
写実的というのが静物画では好まれたらしく、本当に写真みたいだよと思う。他の風景画を見ているときには思わなかったけれど、静物画を見たときには、この流れがフェルメールにも伝わったんだろうなという気がした。
この後は、肖像画、風俗画と続くから、正しく「フェルメールに辿り着くための」配置という感じがする。
肖像画のモデルとなった人々はどうして黒い服に白い襟なんだろうとか、「上質な服」と開設には書いてあるけれどそれはどこを見れば判るんだろうとか、どうでもいいことを考える。
風俗画といえば、17世紀のオランダというイメージがあるものの、さて、どういう絵を風俗画というのでしょうと言われると首を傾げてしまう。要するに「当時の風俗が描かれている絵」が風俗画なんだろうか。
でも、リアルタイムで描いている画家が「自分は風俗画を描いている」って思っていなかったのじゃないかという気がする。
そうして気分も高まってきたところで、フェルメールの「水差しを持つ女」である。
パネルでの「鑑賞のポイント」説明があり、映像での解説もある。
意外と小さいという印象だ。そして、画面全体が明るい。白っぽい。
女性は、フェルメール・ブルーと言われる青いドレスを着ているし、青が効果的に使われている。テーブルの奥に置かれた椅子に載せられている正体不明の青い布もある。
しかし、この絵の印象は「白」だ。
そして、明るいのにぼやけている。
何だか落ち着かない感じのする絵だなあというのが正直な感想だった。
そして、真打ち登場とばかりに現れるのがレンブラントと、その弟子達の絵だ。
ベローナというタイトルの絵は、私が勝手にイメージしているレンブラントよりも画面が明るく、そして、厚みがない感じがする。これは哲学的な意味ではなく、単純に、塗られた絵の具の量が少ない、塗り重ねが少ないという意味だ。物理的に厚みがないような印象の絵である。
それほど怖い印象の女性ではないのに、彼女が持つ盾にはメデューサが浮き彫りになっていて、絶対に怒らせたくないよと思う。
レンブラントの弟子達の描く肖像画は、師匠の描くそれよりも明るく、平らな感じがした。
最後に「オランダ黄金時代の終焉」と名づけられたコーナーに、ただ1枚だけ、「イピゲネイアの犠牲」という絵が紹介されていた。
また、宗教画に戻っている。
スターが2枚だけ(それは、ほとんど美術の素養がない私にとってということだけれども)である分、展示の展開に工夫が凝らされている絵画展だった。
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