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2016.02.08

「逆鱗」を見る

NODA MAP「逆鱗」
作・演出 野田秀樹
出演 松たか子/瑛太/井上真央/阿部サダヲ
    池田成志/満島真之介/銀粉蝶/野田秀樹
    秋草瑠衣子/秋山遊楽/石川朝日/石川詩織
    石橋静河/伊藤壮太郎/大石貴也/大西ユースケ
    織田圭祐/川原田樹/菊沢将憲/黒瀧保士
    近藤彩香/指出瑞貴/末冨真由/竹川絵美夏
    手代木花野/中村梨那/那海/野口卓磨
    的場祐太/柳生拓哉/吉田朋弘
観劇日 2016年1月30日(土曜日)午後7時開演
劇場 東京芸術劇場中劇場 1階T列25番
料金 9800円
上演時間 2時間20分

 ロビーではパンフレット(1000円)が販売されていた。
 ネタバレありの感想は以下に。

 「逆鱗」の公式Webサイトはこちら。

 幕開けは、松たか子の人魚が一人で登場した。
 緑色の長い髪をしていたこともあって、実は最初は松たか子とは気がつかなかった。もっとも、声ですぐ判った。
 何回も何回も書いてしまうけれど、やっぱり役者さんの一番の財産は声だと思う。もちろん、動きだったり表情だったり、セットだったり音響だったり、芝居を創っているものは他にも色々とあって、どれも重要な要素だ。ただ、私はやっぱり声だなぁと舞台を見るたびに思う。

 人魚である彼女が退場した後、そこは海中に浮かぶ水族館で、水族館に巨大な水槽が運び込まれる。
 まだそこにはいない「人魚」を展示するための水槽だという。
 阿部サダヲ演じるサキモリは、水族館の警備員として銀粉蝶演じる鰯ババアを追い、彼女を見失った後で瑛太演じるモガリという電報配達人から電報を受け取るよう求められ、何をどうしたんだったか潜水夫に転職する。
 水族館に届いた電報は、宙に浮いてしまう。

 野田秀樹演じる人魚学者と自称する柿本魚麻呂は、池田成志演じる水族館長をスポンサーとして取り込もうとし、水族館長の方も人魚学者を使ってこの水族館を派手にしようと企んでいるようだ。しかし、この「相手を利用してやろう」という気持ち満々の男達二人を手玉に取っているのは、井上真央演じる水族館超の娘で人魚学者の助手であるザコである。
 ザコが手玉に取っているのはおじさん達だけでなく、満島真之介演じるいるか担当のイルカや、何だか巻き込まれてしまったモガリも同様である。

 舞台はこれで整った訳だけれど、ここから先の展開は、芝居を見ているときは何とか付いていくことができた(と思う)けれど、再現することはほとんど不可能である。
 この水族館の地ある場所の海底には人魚の遺跡があり、そこでは松たか子の人魚とその母親である銀粉蝶の人魚を始めとする人魚達が暮らしていて、人魚は必ず子が親よりも先に死ぬ。
 その人魚の世界まで潜ったモガリは、あやうく人魚達に食べられそうになる。
 人魚捕獲大作戦が敢行される。
 水族館では人魚ショーのために人魚を募集し、応募した松たか子の人魚(なのか、自分は人魚であると思い込んだ人間なのか)は、落とされてしまう。
 人魚の国には、魚の頭を落として人とつなぎ合わせるという人魚の設計図があり、水族館にはその頭を落とされた魚たちが大量に打ち上げられる。
 水族館には、何故か潜水夫達の訓練のための減圧室が用意されている。
 人魚たちは、海面から落ちてくる泡から、海上で交わされている言葉を知ることができている。

 最初のうち、アンサンブルが人魚だったり魚だったりになって舞台を埋めていたものの、何だかやけに舞台が広いなぁと思っていた。
 半透明で魚眼レンズのようにも見える動く衝立を様々に見立てて舞台が埋められてはいるものの、背景は照明で幾何学模様が薄く浮かび上がっているだけだったり、セットらしいセットはハッチに向かう階段に見立てたようなものくらいしかなかったり、何だかガランとしているように見えて、落ち着かなかった。

 さらに、登場するのは人魚である。
 テンションの高さや動きの速さはどちらかというと抑えめだったと思うし、そういえば野田秀樹が飛び跳ねていないのは珍しいような気がするけれど、何というか、このまま荒唐無稽のまま行かれちゃったらどうしようという気がしたりもしていた。
 それを一瞬で翻したのは、ザコが人魚かも知れない松たか子演じる誰かに対して発した「あなたは何を知っているの!」という叩きつけるような台詞だった。

 もっと早くから気がついていた人もいたかも知れないけれど、私が人魚=回天という図式が浮かばないまでも、人魚が何かの暗喩であり、しかもそれは決してオープンにできるようなものではない、減圧室での訓練や、水族館の人材募集が「誰にも相談せずに決めること」「後顧の憂いなき者」という条件付きだったりしたこと、「人魚」に設計図があることに繋がったのは、このときだったと思う。

 それを匂わせてからの怒濤の展開は本当に激しくて、それまで散りばめられていた時事ネタやダジャレは一切封印され(いや、少しだけ残っているところもあったような気がする)、回天が出撃するまでの様子が、回天である人魚の側から、回天を出撃させることに疑問を抱いたモガリの側から、出撃させることに疑問を抱きつつも出撃させ続けたサキモリの側から語られる。
 回天で出撃することに全く疑問を持たないように見える澄んだ瞳のイルカの側から語ることはない。彼はあくまでも「語られる」側なのだ。

 彼らが標的としていたのは、原爆をテニアン島に運んだインディアナポリスで、しかし、運んだ「後」のインディアナポリスを撃沈することに何の意味があるのかと問い続けるモガリは、実はこの芝居の最初に電報を運んでいて、今この場では元通信兵で、「バシャハカエリミチ」という電報は、彼が運ぼうとして相手に届けることができなかった電報であり、彼が発信したけれど返答を得られなかった電報でもある。
 海上から降ってくる泡は、人魚達にとって「上からの声」であり、モガリたちにとっては「上からの命令」である。
 どこまでこの暗喩や伏線やすべての出来事や台詞が組み合わさり、意味を持ち、カッチリと組み上げられているのか、気が遠くなるような気がする。

 今、なぜ、回天なのか。
 それは判らなかったけれど、「回天」ではなく、「先の大戦」ということならばよく判る、ように思う。
 回天に乗り込んだ誰かの母親になって最後に登場した銀粉蝶の嘆きが、多分、一番この芝居に込められた何かを象徴していたんじゃないかと思った。

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