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「8月の家族たち」
作 トレイシー・レッツ
翻訳 目黒条
上演台本・演出 ケラリーノ・サンドロヴィッチ
出演 麻実れい/秋山菜津子/常盤貴子/音月桂
橋本さとし/犬山イヌコ/羽鳥名美子/中村靖日
藤田秀世/小野花梨/村井國夫/木場勝己/生瀬勝久
観劇日 2016年5月21日(土曜日)午後6時30分開演
劇場 シアターコクーン 1階J列16番
上演時間 3時間15分(15分の休憩が2回あり)
料金 10000円
シアターコクーン入口外(東急デパートとの連絡口辺り)に、先日亡くなった演出家・蜷川幸雄さんへの記帳台が設けられていた。
ロビーでは、パンフレット等が販売されていた。
2013年に映画にもなった作品だそうだけれど、私は見たことがない。
ネタバレありの感想は以下に。
ネタバレありのと書いてはみたものの、見終わったときの私の感想は「ここで終わる?」というのと「判らん!」というのと、この二言でほぼ集約されるようなもやもや感だった。
舞台はアメリカ合衆国のオクラホマで、とにかく暑い場所らしい。なのに麻実れい演じる一家の母親ヴァイオレットが冷房を嫌がるため、その家はさらに酷暑の場所となっている。
村井国夫演じるヴァイオレットの夫ベバリーが、新しく住み込みの家政婦を雇おうと面接をするシーンから始まる。家政婦候補としてやってきたジョナという女性に説明する身体で、ベバリーが詩人でありアルコール中毒であること、ヴァイオレットが薬物中毒であること等々が語られる。
地味だけど上手い導入である。
ところが数日後、ベバリーが家から姿を消してしまう。
ヴァイオレットは手当たり次第に電話をかけまくり、常盤貴子演じる両親の面倒を見てきた次女のアイビーが父親の書斎を整理しようとし、犬山イヌコ演じるヴァイオレットの妹マティ・フェイと木場勝巳演じるその夫のチャーリーは駆けつけてはきたものの、余り役には立っていないようで、勝手にしゃべり、勝手にビールなど飲んでいる。
ヴァイオレットは、秋山奈津子演じる長女のバーバラを頼りにしているようで、ずっと世話をしてきたアイビーのことはあまり信用していないらしい。その空しさを常盤貴子が上手く醸し出していたと思う。
もっとも、そのバーバラだってあまり幸せではないらしく、生瀬勝久演じる夫のビルに浮気されて別居中だし、娘のジーンはどうやらマリファナをやっているらしい。ベバリーもそうだったけれど、ビルもバーバラも大学で教えているようだ。ビルたちはコロラドの大学にいるという。
そうして家族が集まりつつあったその日の夜、保安官がやってきて、ベバリーらしき水死体が湖で釣り上げられたと報告に来る。
ベバリーは自殺したようだ。
一幕60分は、ひたすら状況が語られ続ける。
この家に集まってきた人々は、みな「久しぶりに顔を合わせる」状況のようで、お互いの近況を好き勝手に語り合っている。近況を語らないのはアイビーくらいのものだ。
ヴァイオレットだって、覚束ない足取りによく聞き取れない口跡ながら、でもしゃべり続けている。
そうして相手を変え、話題を変え、組み合わせを変え、とにかく舞台上はひたすらみなが語り続ける。
何を言っているのか判らないながらひたすら舞台上の登場人物がしゃべり続けていたのは一幕だったか二幕だったかどちらだったろう。
二幕は、多分、バーバラと音月桂演じる三女のカレンとの会話から始まる。
ここでも「料理上手のジョナ」がただ一人、落ち着いて細々と家事をこなしている。彼女の回りだけは空気が落ち着いているように見える。でも、何を考えているのか判らない。
そして、ビバリーの葬儀の後、葬儀には寝坊して参列できなかったチャーリーの息子のリトル・チャーリーも加わって食事が始まる。
この食事の場をかっさらっているのはヴァイオレットだ。
ヴァイオレットは、薬の影響なのか、元々がそういう人なのか、とにかく場の話題を掴み、毒舌を吐き、そこにいる人を順番にコキ降ろし始める。それは橋本さとし演じる初対面のカレンの婚約者に対しても同様だ。
まぁ、カレンはのろけ連発だけれど、パッと見た感じだけで、カレンの婚約者が怪しげな男であることは見て取れる。ジーンに対してマリファナを勧めているし、そういう意味では本当に判りやすいキャラだ。
ヴァイオレットは、バーバラを責め、アイビーも責める。
娘たちに遺産を残すという遺言をビバリーは書いたけれど、その後、ヴァイオレットに全てを残すと遺言を書き直すつもりだったのだと語り、娘たちにそれを認めるよう迫る。
そこに何故か息子をこき下ろすマティ・フェイも加わって、食卓は針のむしろ状態だ。
食卓の乗った舞台がゆっくりと回転しながら中央に移動してくるのが、何とも象徴的である。
最後には、あまりにも人を不愉快にさせ続けるヴァイオレットにバーバラが切れ、家中の薬を没収するように妹や娘に命じ、ヴァイオレットを押さえつけ「この場を仕切ってんのは私なのよ!」と啖呵を切る。
病院から帰ってきたヴァイオレットをどうするか三姉妹が話し合うところから三幕目が始まる。
アイビーは自分はニューヨークに行くし、カレンは結婚してマイアミに住むし、両親の世話から一度は逃げた長女のバーバラに自発的に引き受けて貰いたいと語る。
この辺り、アメリカ的だよなぁと思う。こういう発想は日本人にはなかなか出て来ないような気がする。
名前が「バーバラ」や「ヴァイオレット」であることにはさほど違和感を感じないのに、こういう些細な台詞にお国柄を感じるのはどうしてなんだろうと思う。
ヴァイオレットはバーバラを相手に、チャーリーは実は妹のマティ・フェイとビバリーが浮気してできた子供でアイビーとは兄弟に当たるのだと言う。
バーバラはそれをマティ・フェイから聞いていたので、アイビーがチャーリーとニューヨークに行く話をヴァイオレットに伝えようとしても邪魔し続けるけれど、逆にヴァイオレットが言い放ってアイビーにショックを与えてしまう。
さらにヴァイオレットは、ビバリーが40年近く前の浮気にずっと心を痛めていたこと、浮気をしていたことからその後の心の変化までヴァイオレットは知っていたこと、知っていたけどビバリーを正面切って問い詰めることはせずに「優位」を保っていたこと、ビバリーが家を出たとき置き手紙を残しておりどこにいるのかも知っていたけれど貸金庫でお金を確保している間にビバリーはいなくなってしまったこと等々を語る。
カレンの婚約者はジーンに手を出そうとしたところをジョナに見つかり、でもカレンは結婚を止めるつもりはないし、ジーンとバーバラの関係は完全に壊れてビルはジーンを連れてコロラドに帰ってしまう。
アイビーも、自分とチャーリーが兄弟であると知って家を掛けだして行ってしまう。
ここでヴァイオレットが「アイビーはきっと戻って来る。あの子は優しい子よ。でも私やあなたほど強くない。」とバーバラに語っているのが印象的だった。
果たして一番寂しいのは誰だろうと思うのだ。
そして、ビバリーが家を出た後の顛末を聞いたバーバラもヴァイオレットを振り切って車でどこかへ走り去ってしまう。
結局、そこに残ったのは、(そういえば、マティ・フェイ夫婦も早々にこの家を辞している。)、ヴァイオレットとジョナだけだ。
ヴァイオレットはふらふらとジョナの部屋まで行き、その膝に縋り付いて泣き出す。
そこで幕だ。
家族の崩壊の物語だと言われればその通りだと思うけれど、そもそもこの家は物語が始まる前から崩壊していたのであって、改めて「崩壊する過程」が演じられた訳ではない。
そう思ったけれど、4人の女に着目してみると、やはり崩壊する過程が演じられていたようにも思える。
ヴァイオレットは夫を亡くし、娘達と再会する見込みはほとんどない。
バーバラは別居していた夫との離婚が決まり、「愛している」という渾身の言葉は無視され、娘のジーンとの間は決裂してしまった。
アイビーは、付き合っていた従兄弟のチャーリーが実は「兄弟」だと知り、一緒にニューヨークに行くことは恐らくできないだろう。
カレンは、フィアンセがマリファナをやり、ジーンに手を出すような男だと知りつつ結婚するつもりでいる。
バーバラが全方位に孤独で、母親との間では「父親を救えなかった」ことで母親を責めているし、アイビーにはチャーリーが兄弟だと知っていて黙っていたことを詰られ、カレンには世の中はお姉ちゃんみたいに白黒付けられることばかりじゃないと泣きながら抗議される。
実家でも、新しく築いた筈の過程でも、バーバラは理解されず、理解することもできない。
「崩壊」は、バーバラのための言葉なんだろうか。
カレンだけは「この後のこと」ではあるけれど、女4人はいずれも「家族や色々なものを失った」とも言えるようにも思う。
その中でアイビーだけは、「自ら失った」のではなく「失わせられた」のが哀しい。
「よく判らない」ことの一因として、アメリカの戯曲だからじゃないかと一緒に観た人に言われた。
例えば、物語の舞台がオクラホマで、長女夫婦が教えている大学がコロラドにあり、次女が行こうとしているニューヨークや三女がいるマイアミなど、場所から受けるイメージが確固としてあって、その場所が選ばれたこと自体がメッセージだけれど、我々にはそれが伝わっていない部分があるのではないかと言う。
なるほどと思う。
一方、ケラリーノ・サンドロヴィッチが上演台本を書いているので、場所を日本に翻案しようと思えばできた筈で、それをしなかったことに何か意味があるんじゃないかという気もする。
アメリカ的といえば、地元に残って両親の世話をしてきたアイビーがニューヨークに行くと宣言し、かつ、長女のバーバラに向かって、「あなたが自ら母親の世話をすると言い出して欲しい。強制はしない」といった趣旨のことを言っていたのが印象に残っている。
日本人だったら、こういう言い方はしないよなぁと思う。
イメージとして、貼り紙などでお願いごとを書いて、最後に(そのお願いは適えられると決めつけて)Thank youと書かれているような感じの台詞だと思う。
もう一つ、印象に残ったのが、チャールズと兄弟だと知らされたアイビーが駈けだして行ってしまい、その後でヴァイオレットが「あの子は戻って来る。あの子は優しい。でも私やあなたほど強くはない」という趣旨のことをバーバラに言っていたシーンだ。
どうして印象に残っているか自分でもよく判らないのだけれど、誰もにとって何だか哀しい台詞だと思う。
結局のところ、ビバリーが何故自殺したのかは語られない。妻の妹と不倫して子供まで出来ていたことを苦にしたのだとすれば、どうして40年近くもたってから自殺するのか、そのきっかけは何だったのか、判らない。
置き手紙を残して失踪した夫に対して、まず連絡を取るのではなく、銀行の貸金庫に向かったヴァイオレットはそれは酷いとは思うけれど、それがバーバラの決定的な怒りを買った理由も実はピンと来ていなかったりする。
連絡をしないことで、間接的にビバリーをヴァイオレットが死に追いやったということなんだろうか。
開幕は、舞台右下でビバリーとジョナとの会話、終幕は、舞台左上でヴァイオレットがジョナの膝に縋り付いている。
何というか、枠っぽいというか、対照的な始まりと終わりである。
ジョナが何かをやったとかいうことではないので、結局二人とも、家族ではないジョナにしか本音をしゃべることはなかった、というところがポイントなのかも知れない。
このジョナの存在感は相当なものだ。
よく判らなかったし、舞台の上では悪口雑言が飛び交い、人を傷つけようとする発言が続く。
決して観ていてリラックスできる芝居ではない。でもそれが逆に「この後はどうするんだろう」という興味を湧かせ、1時間ずつ3幕という構成もあって、何だか異様に集中して観ることができた。
芝居の中味としては全く不条理というか、希望のカケラも救いもないという感じだけれど、大泣きした後のような爽快感があったのは、集中力を使い切ったからだと思う。
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コメント
アンソニーさま、こちらもコメントありがとうございます。
私も実は翻訳ものって苦手です。
でも、一方で「海外のものをわざわざ翻案するのはどうしてなんだろう」とも思っていまして、今回、翻案することで元々の戯曲のもつ意味をダイレクトに伝えられることもあるのだなぁと思いました。
もっとも、社会的背景みたいなものが違っていますから、そのまま単純に「置き換える」ことはできませんし、だからこその翻案だとは思うのですが。
同時に、翻案というのはセンスや戯曲の読み込みを問われる恐ろしい作業なんだなぁとも思いました。
またどうぞ遊びにいらしてくださいませ。
投稿: 姫林檎 | 2016.05.29 11:03
こんばんは、姫林檎様。
先程観てきました。
基本翻訳されたものはちょっと苦手ですが、ケラさんなので観てきました。
麻実れいさんに圧倒され、木場さんの声も素敵だったなー
夫婦関係で優位に立ち続けた後は、親の影響とはいえ娘達にうまく接することができず見放され、最初は見下していた他人であるネイティブ・アメリカンのジョナにすがるというなんとも虚しいエンディングでしたね。そしてジョナの懐の深さと優しさが、ほとんどしゃべってないのになんだか印象的でした。
文化的背景や生活習慣、人種の問題などが違うので完全に日本向けに翻訳は難しいんでしょうかね。
投稿: アンソニー | 2016.05.28 23:33