「尺には尺を」を見る
彩の国シェイクスピア・シリーズ第32弾「尺には尺を」
作 W.シェイクスピア
翻訳 松岡和子
演出 蜷川幸雄
出演 藤木直人/多部未華子/原康義/大石継太
廣田高志/間宮啓行/妹尾正文/岡田正
清家栄一/新川將人/手打隆盛/松田慎也
立石涼子/石井愃一/辻萬長 ほか
2016年5月25日~6月11日 彩の国さいたま芸術劇場 大ホール
料金 S席 9500円 A席 7500円 B席 5500円
先ごろお亡くなりになった蜷川幸雄氏演出と銘打たれる最後の公演ということになるのではなかろうか。
ネタバレありの感想は以下に。
「尺には尺を」という舞台は、以前に「子供のためのシェイクスピアシリーズ」で見たことがある。
私にしては珍しいことに、この舞台を見に行く前に自分で書いた感想を読み返していたので、あらすじを判っていて舞台を見た。
記憶の限りで、登場人物の行動や戯曲のなりゆきみたいなものに対する感想は余り変わらない。
やっぱり部下に自分の尻ぬぐいをさせるのと同時に試すようなことをするヴィンセンショーは主として全く尊敬できないし、自分の悪口を言っていたからといってルーチオを極刑に処すなんて、人間として小さすぎやしないか。
クローディオが生きているのにイザベラに死んだと思わせるのも残酷なやりようだと思う。
それに、イザベラの身替わりにマリアナをアンジェロのところに行かせようというヴィンセンショーは女性全体を人間とは思っていないんじゃないかという気がするし、自分ではない女性を好きになって抱こうとしている男のところに身替わりとして行こうというマリアナの発想は全く理解出来ないのは今回も同じだ。
「展開」というところで敢えて書くと、前に見たときは「侯爵がイザベラに求婚した」ところで終わっていたと思うけれど、今回の上演では最後に修道女の服から普通の娘らしい白いドレスに着替え、髪も下ろしたイザベラが白い鳩を空に放つところで終わる。
これはイザベラが侯爵の求婚を受け入れて修道女になるのを止めたことの象徴のように見えた。少なくとも、そういう印象を強める効果を与えていたと思う。
私が舞台を見ながら思っていたのは、演出って何なんだろうということだ。
今回、2階のサイドの席だったため、舞台が遠く、また、見えない部分があったことも、何だか舞台上で起きていることが「向こう側」という感じを強めていたと思う。
やはり真っ直ぐ見るか見下ろすかによって、舞台までの距離感や、そこで生きて動いている登場人物たちとの距離感が大きく違って来る。
私の印象なので全く当てにならないのだけれど、今回のこの「尺には尺を」は蜷川幸雄演出なのかしらという感じがずっとつきまとっていた。
多分、舞台を見る前に読んだ藤木直人のインタビューに「病室で本読みをやりたいと台本を持参したけれど、蜷川さんの体調が優れずに叶わなかった」という趣旨の発言があったからだと思う。本読みもできなかったのだとしたら、稽古場で稽古を付けるということも難しかったんじゃないかと思ったのだ。
また、家を出る直前にNHKで蜷川幸雄へのインタビューを再放送していて、そこで「戯曲の台詞は一切変えない」と語っているのを聞いたことも一因だと思う。元々の戯曲に「トランプさんが」なんていう台詞があった筈がない。
ただ、演出というのは「役者に稽古を付ける」ことだけではないんじゃないかとも思う。
例えば、舞台セットや衣裳のプランを考えることも、オープニングをどうするかということも、照明や音響を考えることも多分全て「演出」だと思う。専門家の仕事は仕事として、その全体を構想するのは演出家の仕事だと思う。
そうだとすれば、開演前に役者さんたちが舞台上でさんざめいているところ、開演前にはセットは完成しておらず奥まで見通せるところ、開演と同時に横一列に並んで挨拶するところ、丈の高い壁が動くことで場面転換が行われるところ、客席を出入りに多用するところ等々、私にも判りやすい、見た目的な「蜷川演出っぽい」感じは随所にある。
でも、何かが違うと感じるのはどうしてなんだろう。
単純にこちらが「蜷川幸雄はもういない」と思っているからなんだろうか。もしご存命だったとしたら、いつもとちょっと演出を変えたのだなという感想になったんだろうか。
舞台を見ながら「演出とは」と演出家でも何でもない自分が考えても仕方がないようなことをつらつらと考えてしまった。
かといって、舞台がつまらなかった訳では全くない。
「喜劇」とも「問題作」とも言われる「尺には尺を」で、「追悼」という形になってしまったからこその軽やかな仕上がりになっていたと思う。
「聖女のような」イザベラが、その純粋すぎる信仰心故に、とんちんかんかつ命を軽くみているかのような発言を繰り返して笑いを誘う。
何より、声と滑舌のよい役者さんしか舞台上にいないというのは、こんなにもストレスのない舞台を作り上げるものかと思う。
ヴィンセンショーを演じた辻萬長も、イザベラを演じた多部未華子も、ルーチオを演じた大石継太ももの凄く台詞がクリアで聞き取りやすい。そして、声がいい。
さいたまネクスト・シアターの役者さんたちも、総じて声がよく、台詞がクリアだ。
舞台上が見にくかったこともあって、声だけに頼るところもあり、思わず聞き惚れた。
カーテンコールで、蜷川幸雄氏の写真が大きく舞台上に飾られていた。
本当にいなくなってしまったんだな、蜷川幸雄演出の舞台はもう見られないんだなと改めて思う。
シェイクスピア全37作品の上演を目指しているこのシリーズは、今後も継続するということだ。どういう形になるのか検討中ということで、ぜひ見てみたいと思う。
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コメント
アンソニーさま、コメントありがとうございます。
やっぱり、ツッコミどころはたくさんありましたよね。
そして、でもやっぱり楽しく拝見しましたよね。
同じようにご覧になられたとお聞きして安堵しました。
カーテンコールで、出演のみなさんの後ろに大きな蜷川さんの写真が飾られていましたね。
あのお写真も良かったですし、シアターコクーンの記帳台に飾られていたモノクロの写真もとてもいいお写真でした。
もう、蜷川さんが演出されたお芝居を観られないのは、本当に残念です。
投稿: 姫林檎 | 2016.06.04 13:52
姫林檎様、こんにちは。
前回の感想もあわせて読ませてもらいました。1時間程長い上演時間でしたが、アンジェロとマリアナの関係についてやらを詳しくやってたんですね。
確かに突っ込みどころ沢山ありましたが最後まで楽しく観ました。そして私もトランプうんぬんのセリフに違和感感じてしまいました。演出はされたんでしょうかね。
最後のお写真がとても素敵でちょっと涙ぐんでしまいました。
投稿: アンソニー | 2016.06.03 13:43