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「あわれ彼女は娼婦」
作 ジョン・フォード
翻訳 小田島雄志
演出 栗山民也
出演 浦井健治/蒼井優/伊礼彼方/大鷹明良
春海四方/佐藤誓/西尾まり/浅野雅博
横田栄司/宮菜穂子/前田一世/野坂弘
デシルバ安奈/川口高志/頼田昂治/寺内淳志
峰﨑亮介/坂川慶成/鈴木崇乃/斉藤綾香
髙田実那/大胡愛恵/石田圭祐/中嶋しゅう
観劇日 2016年6月25日(土曜日)午後1時開演
劇場 新国立劇場中劇場 1階15列59番
上演時間 3時間5分(20分の休憩あり)
料金 8640円
ロビーではパンフレット等が販売されていた。
また、カーテンコールの際、主演の二人の挨拶があった。そこに乱入(というほど乱暴ではない)した伊礼彼方が掃除機を手にしているのに格好良いのが不思議だった。
ネタバレありの感想は以下に。
これはもう配役で全てと言ってもいいくらいだと思う。
アナベラ役が蒼井優というのがハマり役過ぎる。彼女ほどアナベラ役が似合う若手女優も中々いない。正にイメージにぴったりという感じだ。
ただ、あまりにも似合いすぎて意外性みたいなものはそこには全くない。
想像したとおりのアナベラがそこにいて、知っている通りの運命を辿りましたね、という感じがしてしまう。
以前にも「あわれ彼女は娼婦」を観たことがあって、兄妹の近親相姦の話だという記憶と、少なくとも最後にアナベラが死んでしまうという記憶だけはあった。
逆に言うとはそれ以外のことはほとんど覚えていなくて、一幕目では、登場人物の多さや、ジョバンニとアナベラ兄妹のエピソード以外の出来事が多いことに驚いた。
枢機卿とか出てきたかしらとか、アナベラの乳母がいるのはいかにもといった時代だけれど、かなりの重要人物なのにソランゾなんて男がいたことも覚えていなかったし、ソランゾの従者であるバスティスなんてほとんど主役のような活躍なのに全く覚えていなかった。
この芝居の中心は、実は兄妹にあるのではなく、ソランゾにあったのじゃないかという気がした。
この舞台の上で起きる出来事の出発点は、ほとんどソランゾなのだ。
実際に暗躍するのはバスティスだけれど、原因を作っているのはソランゾだ。人妻とできてその女性に夫を殺させてしまったり、実は生きていたこの夫がソランゾへの復讐を企てて姪の婚約者を殺す結果になってしまったり、実際に殺人を犯した枢機卿の部下の軍人は裁きを受けず、その枢機卿とソランゾは旧知の仲だったりしている。
タイトルにもなっているし、アナベラは「華」だ。
終始一貫して白いドレスを着ているところも、蝶よ花よと讃えられているところも、兄と愛しあった末に罪の意識に苛まれて好きでもない男との結婚してしまうところも、あらゆる意味でヒロインを張っている。
常に彼女の中で、世界の中心は自分だ。兄ですら彼女の世界では脇役である。恋に悩み罪の意識に悩み夫に虐げられる自分が中心であって、出来事は単なる添え物に見える。
一方で、「一人で本ばかり読んでいた」兄のジョバンニは、場の中心になれる筈もない。
二人の仲は、アナベラから言い寄ったというよりは、兄の方からきっかけを作った風には見える。でも、彼も結局のところは、自分と神の(あるいは神の代理としての神父と)の関係が全てだ。ジョバンニ自身の世界では自分が中心だけれど、他人との関わりを徹底して排除しているように見えるジョバンニが舞台やドラマの中心になれる筈もない。
結局のところ、自分にしか興味がない兄妹がうっかりお互い相手に並々ならぬ興味を持ってしまい、他に目を向ける余裕が全くありませんでしたということの悲劇だったんじゃないかと思われる。
そういう風に考えると、ジョバンニを演じた浦井健治がやけに地味に見えたのも狙いだったのかも知れない。
見ているときは、好青年かも知れないけどいかにも地味だと思って見ていた。猫背気味なところも、今ひとつ「格好良い」という感想は浮かばせない。
ソランゾを演じた伊礼彼方がやけにハンサムで、その容姿を活かしていかにも気障かつ嫌な奴に作っていたから余計である。
しかし、これでやっぱり登場人物たちの力関係のバランスが取れていたんだろうと思う。
新国立劇場中劇場の広くて豪華な舞台を存分に使い、舞台上には常に十字架がある。多分、舞台が八百屋になっていて、そこに照明で赤い十字架を浮かび上がらせている。登場人物たち、特にアナベラとジョバンニの二人は、常にその赤い十字架の上にいる。
私は宗教的な素養が全くないのでよく分からないけれど、それは、罪の象徴かも知れないし、常に十字架に磔というイメージをもたらしていたのかも知れない。
よく分からないといえば、この舞台の時代設定はいつ頃なんだろうということと、実際にこの戯曲が書かれたのはいつ頃なんだろうということは気になる。
時代背景だったり、道徳観だったりが、この舞台を観たときの感想や理解にかなり影響するんじゃないかという感じがする。
とはいうものの、私が気になったのは、「この舞台、もっと二人をいやらしく造型してもいいんじゃないかしら」というどちらかというと下世話な興味である。
勝手なイメージだけれど、「あわれ彼女は娼婦」というこの舞台は、「ロミオとジュリエット」と「サド侯爵夫人」を足して2で割った印象で、あまり二人が純粋に見えてもなぁと思ってしまう。
「あわれ彼女は娼婦と」と最後に言うのは誰だったかしらというのも、舞台を観ている途中から気になっていたことで、ジョバンニが言うんだったかしらと思っていたら、ジョバンニは私のいい加減な記憶を裏切って死んでしまい、枢機卿が割と他人事みたいに言っていた。
確かに枢機卿にとっては他人事ではあるし、だからこそこんな決めゼリフも言えるのだろう。
アナベラとジョバンニの二人は物語の中心ではあるかも知れないけれど、最後まで舞台の中心にはいられないのねと思った。
よく分からないよ!というところが多い、納得いかない! と叫びたい感じの展開ではあったけれど、その釈然としなさも含めて「あわれ彼女は娼婦」なんだろうと思う。
堪能した。
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