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2016.07.30

「「かぐや姫伝説」より 月・こうこう, 風・そうそう」を見る

「「かぐや姫伝説」より 月・こうこう, 風・そうそう」
作 別役実
演出 宮田慶子
出演 和音美桜/山崎 一/花王おさむ/松金よね子
    増子倭文江/橋本 淳/今國雅彦/稲葉俊一
    後藤雄太/草彅智文/竹下景子/瑳川哲朗
観劇日 2016年7月29日(金曜日)午後7時開演
劇場 新国立劇場小劇場  C6列4番
上演時間 1時間55分
料金 5400円 

 
 別役実の新作である。

 パンフレットが販売されていたと思うけれど、チェックしそびれてしまった。

 ネタバレありの感想は以下に。

 新国立劇場の公式Webサイト内、「「かぐや姫伝説」より 月・こうこう, 風・そうそう」のページはこちら。

 タイトルにも歌われているとおり、下敷きになっている物語はかぐや姫である。
 舞台もほとんど何もない床に現れた翁と媼が御座を敷き、それが全てという状態から始まる。そこは翁と媼の家の裏山の竹林で、床から生えている竹と、空中から突然上に伸びる竹(上からぶら下がっている竹な訳だけれど、見た目は逆に見える)とで何となくアーチが形作られ、その奥には闇がある。そういう感じだ。

 理由は判らないけれど、翁と媼が死に場所を求めて竹林にやってくるところから物語は始まる。
 そこへ、若い女がやってきて、助けてくれと頼む。訳が判らないなりにこの女の力になってやろうと決めたらしい老夫婦の元へ瞽女がやってきて、若い女を見なかったかと問う。
 何というか、もの凄いゆっくりとしたテンポの台詞回しである。まんがにほんむかしばなしを思い出す感じだ。
 いずれにしても、物語は全く何の説明もない。老夫婦が死のうとしている理由も、女が追われている理由も、不明だ。

 物語の後半、いつの間にかこの女が「なよたけの姫君」と呼ばれるようになっていて、だから彼女が「かぐや姫」である。
 かぐや姫を演じる和音美桜の声がいいなぁと思う。高いトーンの、いかにも「娘」といった声だ。彼女だけでなく、決して張っているようには聞こえない花王おさむと松金よね子の老夫婦の台詞回しだって、口跡良く、くぐもっているのに聞きやすい。
 竹下景子を舞台で拝見するのは多分初めてで、その低く張った声の説得力は初めて味わったなぁと思う。
 とにかく、色々な声をこれだけ聞きやすく聴けるなんて、贅沢な舞台だなぁと思う。
 台詞が聞き取りやすい、声に魅力があるというのは、舞台にすっと入って行くための第一条件だよと思う。

 逃げている女がかぐや姫だろうことは割とすぐに見ているこちらには判るけれど、翁と媼にとってはいつまでも彼女が誰なのか謎である。
 大体、彼女は何を尋ねられても「判りません」と答えるのだ。
 本人にも判っていないことが、たまたま行き会った老夫婦に判る筈もない。
 一方で、この老夫婦が「竹取の夫婦」であることは、割と早い内に本人達の口から語られる。自分達が死んで、そのことがみかどの耳に入ったら、きっと「あ、そうか」と言うだろう、と言う。
 「みかど」というと、そのイメージはやはり昭和天皇なんだなと思う。何でも知っている、何でも報告を受けるけれど、自ら動くことはない、という評価だ。

 かぐや姫は、実の兄と結ばれることを避けるために逃げ出したらしいと思いきや、どうやら「風魔の三郎」と呼ばれる男に贄に差し出されるところだったらしいとか、その風魔の三郎は自らの花嫁を探すと言いながらさらった若い女を「やっぱり違った」と殺して捨ててしまうとか、かぐや姫には実の兄と結ばれるという瞽女の預言が呪いさながらにつきまとっているとか、かぐや姫の身替わりとして贄になろうとした女は実は彼女の母親だったとか、彼女の母親だと思った女は実は瞽女を竹取の翁と媼から買ったのだとか、竹取物語の伝説は実は人さらいと子の売買を生業としていた翁と媼の作り話だったとか、「かぐや姫」の世界がどんどん広がって行く。
 それに伴って、かぐや姫の「判りません」という台詞が減り、彼女が実は一番能動的に動いているような雰囲気にすらなって行く。
 時々現れては去って行くみかどは、本当に見聞きし、知っているだけのようだ。輿に乗ったまま、立って歩こうともしない。

 この物語のかぐや姫は、どんどんその記憶なのか立場なのか考え方なのか、内面を替えては登場し、登場してはまた変貌する。
 彼女は、回りや事情や預言に振り回されているように見せつつ、結局のところ風魔の三郎と結ばれて彼の子を宿し、風魔の三郎を「**(名前は忘れたけど、とにかく悪党)」と戦って勝ち、その者に成り代わらねばならない」というところまで追い込む。
 結構、「怖い女」の物語だよなぁと思う。

 風魔の三郎は、戦いに敗れて死に、かぐや姫は己の出自を知らないまま(竹取の翁と媼の家の軒先に籠に入れられて捨てられていたそうだ)、風魔の三郎のためにお腹にいる子を彼に殺させようとした自分を呪って自らの目を突いてしまう。
 瞽女は、彼女も彼女の子供も、過酷な運命を生きるだろうと預言して去って行く。
 実はかぐや姫は瞽女の娘だった、その過酷な運命は血の為せる業だと言い切るのかと思ったけれど、そういうことはない。何となく匂わしただけで、舞台の幕は降りる。

 ところどころにコントのようなやりとりを挟みつつ、台詞のテンポはゆっくり、物語は登場人物達の説明はないようであるしあるようでない。
 判らん! とずっと思いながら見ていたと思う。
 判らん! と思いつつ、語られる台詞のテンポや節回しのようなものを楽しんで、それに乗っかっていたという感じだ。それでいいかな、とも思った。

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