「紙屋町さくらホテル」を見る
こまつ座「紙屋町さくらホテル」
作 井上ひさし
演出 鵜山仁
出演 七瀬なつみ/高橋和也/相島一之
石橋徹郎/伊勢佳世/松岡依都美
松角洋平/神崎亜子/立川三貴
観劇日 2016年7月9日(土曜日)午後6時30分開演
劇場 紀伊國屋サザンシアター 4列17番
上演時間 3時間30分(15分の休憩あり)
料金 6500円
ロビーではパンフレットやTシャツ等が販売されていた。
ネタバレありの感想は以下に。
多分、この「紙屋町さくらホテル」というお芝居を観るのは3回目だと思う。
新国立劇場のこけら落とし公演で森光子さんが主演したお芝居を観ているのだから、私の観劇歴も(その長さだけは)相当なものだと思う。
その後、中川安奈さんの主演でこまつ座で再演された舞台も拝見している。
お二方ともすでに鬼籍に入っていらっしゃることに時の流れと寂しさを感じる。
今回の再演では、そのお二方が演じていた神宮淳子という役を七瀬なつみが演じている。何だか久しぶりに拝見したような気がする。
イキウメを退団した伊勢佳世の最初の舞台ということにも注目していた。「マンザナ、わが町」でもいい感じに溶け込んでいたし、今回も広島弁を駆使してとても自然に舞台上にいたと思う。
3回目の筈なのに、幕開けシーンから丸っきり記憶になかったところが情けない。
もっとも、一緒に観た友人に「最近見て良かったお芝居は何?」と聞かれ、最近どんなお芝居を見たかすら思い出せないのだから、それも当然かも知れない。
最初に、海軍大将長谷川清と陸軍中佐針生武夫のシーンがあったこともすっかり忘れていた。
物語は、長谷川がGHQ本部に自分を戦犯として拘留するよう出頭したところから始まる。
そこで対応した針生は、かつて、広島の紙屋町さくらホテルで3日間、演劇を上演するために共に稽古した間柄だったところから物語が始まる。
広島にある紙屋町さくらホテルは、アメリカ国籍を持つ神宮淳子とその従兄弟である伊勢佳世演じる熊田正子の二人によって経営されている。
「ホテル」って名称が使えたのね、というところがまず意外だ。
さくらホテルは、演劇で傷痍軍人等を慰めようという移動演劇隊の宿舎になっていて、高橋和也演じる丸山定夫や松岡依都美演じる園井恵子といったスターがやってきて、淳子たちを始め地元の人達を集めてさくら隊を結成し、演劇公演を行おうとしている。
順序としては逆で、さくら隊がやってくるから、ホテルの名称を「紙屋町ホテル」から「紙屋町さくらホテル」に変えたようだ。
そこに、敵性外国人として淳子を24時間監視すると宣言して松角洋平演じる特高刑事がやってくる。
元々、相島一之演じる大島という言語学者が長く滞在している。
神崎亜子演じる浦沢玲子は広島で応募してきた劇団員である。
そこへ、立川三貴演じる「天皇の密命」を帯びて本土決戦の準備が適ったかどうか全国を視察して歩いている海軍大将長谷川が、薬売りに扮してやってくる。
その長谷川を監視するため(そして必要とあらば殺すため)、石橋徹郎演じる陸軍中佐も傷痍軍人の林としてやってくる。
それぞれの立場がありつつ、しかし最終的には今ここに集まったメンバーが3日後に宝塚劇場で行われる「無法松の一生」というお芝居に出演することとなる。
広島は軍都であるにも関わらず、これまで空襲を受けたことがないということが繰り返し語られる。
警戒警報が鳴り、空襲警報が鳴っても、B29が爆弾を落とすことはない。
今は昭和20年5月である。
客席にいる我々は、それが8月6日のためのいわば「準備」であったことを知っているけれど、舞台上の登場人物たちはもちろん知らない。ただ、園井だけは「何か」を感じているのか過剰に怯えている。
日系アメリカ人である淳子がどのように扱われていたのか、特高刑事、陸軍中佐といった人々が「国民」にどのように接していたのか、「国民」をどのように扱おうとしていたのか、そこは繰り返し語られる。
しかし、この芝居は、同時に素人同然の面々を率いて芝居を打とうとしている丸山、園井の二人の「プロ」の目と手と声、そして彼らが師事した小山内薫を始めとする築地小劇場に関わった人々の「言葉」を引用することで、同時に「芝居というものの力」を語っているように思う。
その中で、スタニスラフスキーの「感情の再現」が出てきたり、「宝塚では、男役が恋人に向かって登場するやり方は3パターンしかありません」という断言だったりでくすぐるのが上手い。
しかし、そうしたくすぎりを織り交ぜつつ、舞台の上では、芝居の力が海軍大将である長谷川を動かし、特高刑事である戸倉を変えて行く様子が語られ違和感がない。あまり影響を受けずに頑なだった針生さえ、実はその影響を受けている。
彼ら「戦争を起こした側」「戦争を行っている側」に影響を与えたのは「芝居の力」だけではなく、さくら隊に集った人々がそれぞれに抱える感情だったり事情だったりもあると思う。
「数」や「仕事の対象」としか見ていなかった彼らに、感情があり歴史があり物語があり悲しみがあることを、何を今さらの感じがありつつも、実感として知って行ったことが彼らを変えたのだと思う。
だから、戸倉は上司から淳子を収監せよと言われて舞台稽古中に心ここにあらずの状態になってしまうし、その様子を見た長谷川は広島県庁に出向いて呉の海軍の基地に電話して淳子の処遇について依頼をかける。
そうして、淳子は収監されずに済み、舞台に立つことができ、「これが生きる意味だ」という瞬間を掴む。
一方で、そうして紙屋町さくらホテルが長谷川の計らいで「米英の暗号傍受」の拠点となったことで、さくら隊の綿々ともども3ヶ月後の原爆投下をこの地で迎えることになる。
歌で長谷川を送り出していたとき、彼らの歌声がパタっと止まり、笑顔だった顔がだんだん無表情になって行ったのは、恐らくそのことを表していたのだと思う。
そして、場面は再び戦後、長谷川がGHQに出頭してきたシーンに戻る。
長谷川の報告で、昭和天皇は本土決戦から和平に舵を切るが、しかし和平の条件として「天皇制の保持」を挙げたために和平交渉は長引き、そして長引いている間に8月6日が過ぎ、9日が来てしまう。
そこまで長引かせたことを長谷川は「責任」だと呻き、叫ぶ。
どこまで行っても、長谷川と針生の間の溝は埋まらない。
そこで、幕である。
「今の問題」は、実は何も解決していない。
戦後のというだけではなく、現在まで続いている「問題」は解決していない。解決するどころの騒ぎではなく、特定秘密の保護に関する法律が施行され、憲法改正が本気で語られている。
今上演されることの意味はそこにある、と思う。
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