「オルセー美術館・オランジュリー美術館所蔵 ルノワール展」に行く
先日、新国立美術館で2016年8月22日まで開催されているオルセー美術館・オランジュリー美術館所蔵 ルノワール展に行って来た。
乃木坂駅の改札を抜けたところでチケット販売が行われていて、そんなに混んでいるのかと戦いた。行ってみると、本来のチケット売場には行列もなく、もちろん混雑していたけれどちゃんと一番前でゆっくりと絵を見ることができるくらいの混み具合だった。
一緒に行った友人と「オルセー美術館に行ったことがあるか」という話になり、何となく「印象派美術館には行ったわ」と答えたら、オルセー美術館と印象派美術館は違うだろうと言われた。
印象派美術館が引っ越してオルセー美術館になったと思っていたところ、そのまま引っ越したというよりも、印象派美術館に所蔵していた絵は全てオルセーに引き継がれたということのようだ。
友人は、初っぱなにあった「猫と少年」の絵がすっかり気に入ったらしかった。
しかも、「少年」ではなく「猫」が気に入ったらしい。「この猫の絵はとても丁寧に毛並みまで描かれている」と感心しきりである。
いや、多分、この絵の主題は裸の後ろ姿の少年の方だと思う。そして、「印象派」らしくない、暗い、光を感じさせない絵だ。だから「印象派へ向かって」というタイトルのコーナーになっているのだろう。
私は、この少年の顔が誰かに似ている、この絵の感じが読んだことのある漫画に絶対に似ているとずっと思っていて、絵を見ている間中、ずっとその漫画のタイトルが気になって考え続けてしまった。
結局、思い出すことができずに友人が検索で見つけてくれた答えが「トーマの心臓」である。
あの漫画に出てきそうな表情と雰囲気の少年なのだ。
二つ目のコーナーには「私は人物画家だ」というタイトルが付けられていた。
これは、実際のルノアールの台詞(手紙の一節だったかも)のようだ。
パトロンの奥さんの絵が多い。ルノアールという画家は、生前から評判も羽振りも良い画家だったらしい。何だかとても珍しいことのような気がしてしまう。
そして、このコーナーに展示されている絵の人物達が揃いも揃って黒い服を着ていたのが不思議だった。当時のパリでは黒が流行っていたのか、「肖像画を描いて貰う」ために正装の黒をまとっていたのか、何だか不思議な感じだった。
友人は「喪服なんじゃない?」と言っていたけれど、実際のところはどうなんだろう。あまり気にしたことはなかったけれど、一堂に会すると不思議な感じがする。
「風景画家の手技」というコーナーでは、セーヌ川の絵が多く飾られていた。
ルノアールというと人物画というイメージだけれど、風景画も結構あるらしい。
ここでも、友人は「草原の散歩道」という絵が気に入って絶賛していた。「風景なら、その中を散歩したいと思わせるような絵が好きだ」とルノワールが語ったらしく、正にその通りの絵だということらしい。
「今の季節にぴったり」とも言っていた。
うーん、今の季節の割には画面が緑より黄色の印象なんだけどなぁというのが私の感想である。今の時期なら緑がもっと青々としていた方が気持ちいいじゃないかと思う。
バナナ畑の絵もあって、フランスにバナナ畑が存在したのか? と思っていたら、隣に「アルジェリア風景 野生の女の谷」というタイトルの絵があった。
この「野生の女の谷」というタイトル(地名なのか)も謎だったけれど、それはともかく、ルノアールがどこか外国を旅したときにバナナ畑を目にしたのだろうと納得した。アルジェリアだったのかも知れないし、その近隣のフランス領の国だったのかも知れない。
ルノアールの年表を見ると、やはり画家としてはまれに見る幸せな普通の生涯を送った人なんだなという印象が強い。
家族もいるし、晩年まで家族と暮らしているし、ルノアールを映したフィルムや写真も残っている。
「”現代生活”を描く」というコーナーにあった「ぶらんこ」の絵は、私は初めてその存在を知った。
どうやら有名な絵らしい。
「娘がぶらんこで立ち乗りしている」絵だ。長いタイトなドレス姿だし、勢いよく漕いでいる訳ではないけれど、当時のフランスではきっと「お転婆」と称される行為だったんだろうなと思う。
それにしても、今回見た絵に描かれている女性達は本当に年齢不詳だ。特に「少女」とタイトルに入っている絵を見ても、全く少女に見えない。「ヨーロッパ人は老けて見えるから」と言われたものの、それだけかしらとじっと見入ってしまった。
このルノワール展の目玉の一つが初来日の「ムーラン・ド・ギャレットの舞踏会」という絵だ。
ダンスホールといっても屋外で、手前には談笑する男女、奥に踊っている男女が大勢描かれ、さらに奥にはバンドが入っているように見える。
手前で談笑している人々の洋服が黒っぽく、男性は皆黒っぽい服を着ているから、画面全体が黒で覆われているようにも見えるのにもの凄く明るい絵である。
黒い服以上に明るい陽光が印象に残る絵だと思う。
もう一つの目玉が「田舎のダンス」と「都会のダンス」の揃い踏みだ。
タイトルのとおりの印象の絵である。
「田舎のダンス」の女性のモデルがルノアールの奥さんだというのが何とも言えない。ルノアールは女性モデルを使って絵を描くことも多かったし、裸婦画も多いし、奥さんは怒らなかったのかしら、もの凄い忍従の日々を送っていたんじゃないかしらと余計な心配をしてしまう。
ここに来るまでの絵でも二人して気になっていたのは、写真だったら心霊写真だよねという感じの場所に、フォーカスが合っていない感じで人の顔が描かれている絵がいくつもあったことだ。
何故ここに描く? と聞きたくなるような感じだ。
「田舎のダンス」の絵でも足もとの下に二人の人物の顔が描かれていて、ここに誰かの顔を描くことが必要だったのかしらと本当に不思議に思った。
「絵の労働者」と銘打たれたデッサンのコーナー、「子どもたち」と題されたコーナーと続く。
デッサンのコーナーは「サンギーヌ」という煉瓦色のような画材で描かれた絵が多いせいか、とても赤く見える。友人はこの赤さが苦手だったらしい。私は黒い鉛筆の絵よりも温かみがあっていいかなと思う。人を描くのにいい色という気がした。
さっきも書いたけれど、「子どもたち」のコーナーにある子供の絵は、どう見ても「子供」のようには見えないから困る。えらく大人びた子供を描いているように見える。
モデルとなっている子供が大人びているのか、子供を大人びて描くことが求められていたのか、どちらなんだろう。
「ジュリー・マネ あるいは 猫を抱く子ども」に描かれた少女は9歳ということだけれど、とても9歳には見えない。説明に「19歳」と書いてあったとしても納得したと思う。
「花のように美しい」と題されたコーナーには、その名のとおり花の絵が展示されている。
私がその前に見たゴッホの風景画を評して「この絵の画家がゴッホである必要性はないと思う」というとんでもない感想を言い放ったせいか、友人に「このグラジオラスの絵がルノアールの作品である必要はないと思う」と返されてしまった。
確かに、グラジオラスの絵は、普通にグラジオラスの絵だった。ルノアールの絵を一般人が買ったとは思わないけれど、一般家庭に飾るにはそれでも大きすぎるけれど、こうした主張のない絵の方がいいような気がする。
もっとも、今回見た絵の中に、背景の壁にドガの描いた絵を描き込んである絵もあって、主張のある絵を飾っても負けない家を持っている人達が絵を買い集めていたんだろうなと思った。
ルノアールといえば、私のイメージは丘の上に立つパラソルを差した女性の絵か、今回出品されていた「ピアノを弾く少女たち」の絵だ。
「ピアノを弾く少女たち」の絵が記憶よりも大きくて驚いた。いくつかバージョンがあるらしいから、私が実物を見たことがあったのは別のバージョンだったのかも知れない。
温かみのある穏やかな絵だと思う。
身近な人たちの絵と肖像画というコーナーに続いて、最後が裸婦、「芸術に不可欠な形式のひとつ」と題されたコーナーである。
うーん。裸婦画かぁと思う。
ルノアールの絵は「綺麗な絵」だと思うけれど、裸婦画は綺麗だとあまり思えなかった。どうしてだろう。
それはそれとして、ルノアールのいわば「絶筆」が大きな裸婦画だというのはなかなか興味深いなと思った。
友人と好き勝手な感想を言い散らしながら絵画を見るというのも贅沢な時間だった。
ルノアールだと思っていたら、ゴッホの絵があったり、ピカソの絵があったりするのも、意外性があって楽しい。
堪能した。
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