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2016.07.17

「レディエント・バーミン Radiant Vermin」を見る

「レディエント・バーミン Radiant Vermin」
作 フィリップ・リドリー
翻訳 小宮山智津子
演出 白井晃
出演 高橋一生/吉高由里子/キムラ緑子
観劇日 2016年7月16日(土曜日)午後6時開演
劇場 シアタートラム  K列6番
上演時間 1時間45分
料金 7000円
 
 確かパンフレットが販売されていたと思うけれど、お値段等はチェックしそびれてしまった。

 ネタバレありの感想は以下に。

 世田谷パブリックシアターの公式Webサイト内、「レディエント・バーミン Radiant Vermin」のページはこちら。

 世田谷パブリックシアターのサイトにあったこのお芝居の「ストーリー」を読むと、このように書いてある。

*****
オリーとジル、20代後半の夫婦がいる。彼らは自分たちの「家」の話を始める。
1年半前、彼らはまだボロ家に住んでいた。ある日突然、ミス・ディーと名乗る家の仲介者から「夢の家を差し上げます」という手紙が舞い込む。浮浪者がうろつく荒れ野原に立つ古びた家。
2人が偶然に知った夢の家の残酷な秘密!
瞬く間にその秘密の虜になった2人は次々と家を不思議な“光”とともに豪華にし、荒れ野原をリッチなお洒落タウンへと変貌させる。人々はささやく。「あんなにいた浮浪者はどこへ行ったの?」と…
「レディエント・バーミン」、直訳すると“輝く害虫”とは、いったい何を意味するのか…

*Radiant(レディエント)=光る、輝く Vermin(バーミン)=害虫、社会のくず、などという意味。
*****

 後方の席だったこともあって、舞台セットを最初に見下ろしたときには「随分、不安定な舞台だな」と思った。
 別に床が斜めになっているとか、今にも崩れそうとか、そういう意味ではない。
 空っぽの舞台の上に、白い壁と床が作られ、一人がけのソファが向かって左に、食卓セットが向かって右にある。奥の壁はカギ型になっていて、その見えない部分がキッチンにつながる廊下のようだ。
 その舞台セットが、急角度から見下ろしたこともあったのか、とにかく第一印象が、不安定だったり不穏当だったりしたことは間違いない。
 
 高橋一生演じるオリーと、吉高由里子演じるジルがまず舞台の中央に現れる。
 「私たちがやったことは悪いことです」「でも理解してもらえると思います」「だって全部赤ちゃんのためにやったことなんですから」と言い訳しつつ、「私達がやったこと」を説明し始める。
 そういう、入れ子構造の戯曲のようだ。
 この段階で、「うん、多分、理解出来ないと思うよ」と心の中で答える。
 舞台セットもそうだけれど、この若夫婦の組み合わせも随分と不安定な印象を与える。それは、「オリとジル」という登場人物たちのことでもあるし、高橋一生と吉高由里子という役者さんが持つ雰囲気のことでもあると思う。

 キムラ緑子演じるミス・ディーは、意外と普通である。
 もっと怪しげな人物なのかと思ったけれど、そうでもない。連絡先を教えてくれなかったり、相手の言うことを聞いていなかったり、マトモそうではないけれど、何というか死に神っぽい感じはしない。
 ここで死に神なんて言葉が出てくるのは、無料で家をくれたことの代償は一体何なのかと、オリとジルが考えたようにこちらも「当然、何かあるわよね」と思うからだ。
 どちらかというと慎重派のオリに対して、ジルは調子よく積極的である。ジルは、最後にはオリは自分のお願いを聞いてくれると思っているし、実際、オリはそうやって来ているようだ。

 二人が移り住んだ家に、ある晩、浮浪者と思われる男が入り込む。もみ合いになった末、オリは誤ってその男を殺してしまう。
 どうしようと焦りまくるオリとジルが「殺人現場」である台所に降りてみると、そこに死体はなく、ジルが思い描いていた「理想の台所」が出現している。
 冷蔵庫にも食材がたっぷり入り、食べると補充されるというオマケ付きである。
 このまま話はSF方面に走り出すのかと思ったら、そうではない。あくまでも、オリとジルはこの世界に生きている普通の人間で、ここは魔法の世界ではない。

 魔法の世界ではないけれど、しかし、起きていることは正に「魔法」である。
 これだけのことで「人を殺せば理想のリフォームができる」という結論に飛びつくところがよく判らないけれど、しかし、この二人はそうする。
 入り込んで来るのを待つのではなく、街に「浮浪者」、ジルが言うところの「生きていても仕方のない人間」を探しに行き、食事と入浴を提供しましょうと神父の振りをし、そして連れ込んだところを殺し、リフォームを重ねるということを繰り返す。

 その成り行きを見ていると、「これはマクベスだな」という感想が浮かんだ。
 マクベス夫人は夫を唆して「悪事」に手を染めさせる。最初のうちは強気だったマクベス夫人は、弱気になる夫を叱り飛ばしていたけれど、次第に夫人本人も罪悪感に苛まれて精神に異常を来す。
 このマクベス夫人とジルが重なる。
 最初は引き返そうとしていたのに結局は夫人に負け、悪事の道に突っ走るマクベスと、最後にはジルの言うことを聞いてしまうオリもやっぱり似ていると思う。
 このお話は、現代版のマクベスなのかしらと思う。
 そうなると、ミス・ディーは、「死に神」ではなく「三人の魔女」だ。

 もっとも、現代版のマクベスとマクベス夫人には、あまり苦悩の色はない。
 いっとき鬱っぽくなっていたジルも、実は妊娠初期のためであったことが判る。オリとジルの家が「素敵」になったことで資産価値が上がり、その上がった街のイメージを目がけて人が集まり、ショッピングセンターまでできる。
 そうした「価値」を生み出したのは自分たちだということに有頂天になって、二人には「自分たちが連続殺人を行っている」という認識がカケラもないみたいだ。
 二人の子供であるベンジャミンの1歳のバースデーパーティを開いてしまうのもだからだろう。

 このパーティの場面は、オリとジルがやってきたことが隣人たちの子供によって暴かれそうになる、本人達曰く「地獄のバースデーパーティ」で、陰惨にも描けただろうと思うけれど、実際は、高橋一生と吉高由里子が次々と5組の夫婦を演じ分けるその「繰り返し」で笑いを取る楽しいシーンに仕立てている。
 実際はもの凄くえげつない場面だということをつい忘れそうになってしまう。
 そのえげつない繰り返しのシーンで、吉高由里子がぽっかりと台詞を忘れたらしく、無言でぐるぐる回った挙げ句に「**のところからもう1回やろう」と言う度胸は凄いやねと思う。
 その吉高由里子に対して、「いいよ」と普通に答える高橋一生もまた大物である。
 ご本人たちは嫌かも知れないけれど、吉高由里子は感性で、高橋一生は頭脳でそれぞれ対処しているように見える。

 その吉高由里子を最大限に活かすべく(他にも理由はあったと思うけれど)、客席を多く巻き込んだ演出だった。
 そもそも、オリとジルの「客席への呼びかけ」から舞台は始まっているし、ミス・ディーの登場も客席からだ。しょっちゅう登場人物達が客席に降りて来たり、降りて来ずとも舞台の上から特定のお客さんに向かって話しかけたりする。
 その「他の理由」というのは、多分、非日常と日常の境目を曖昧にすることなんじゃないかという気がする。舞台の上は非日常そのものだし、客席は日常だ。

 キムラ緑子は、ミス・ディーの他に、浮浪者の女性の役もやっていた。
 果たして、一人二役なのか、ミス・ディーが浮浪者の姿を借りて出てきていたのか、そのどちらでも成立するような気がするけれどどちらだろう。
 彼女は、オリとジルがやっていることがすでに「噂」になっていることを語る。浮浪者を家に連れ込んで殺す人がいる、そうするとその家の一部となって生きることができるという噂だ。
 ずっとオリにやらせていたジルが初めて「人」としての浮浪者と接した場面で、「人」としての感情を取り戻す唯一のチャンスだったと思うけれど、彼女がすでに殺されるという運命を受け入れてしまっていたことで、踏みとどまるチャンスを逃してしまう。

 そして、もう1回、踏みとどまるチャンスだったのは、ベンジャミンのバースデーパーティの後、近隣住民たちから共同で届けられた手紙を読んだときだ。
 オリとジルが浮浪者を家に連れ込んでいることを知っている、今日のパーティでの二人の振る舞いもおかしかった、オリとジルの振る舞いはこの地区の資産価値を下げるものだ、という抗議の手紙だ。
 「もう止めるしかない」と二人が留まろうとしたとき、またしてもミス・ディーが現れる。
 新しい家に住みませんかと新しい契約書を持ってきている。
 そして、オリとジルは、あっさりと「家の住み替え」を決め、連続殺人を続けることを決める。

 そして、冒頭に戻る。
 この辺りの、開き直る感じというか、苦悩が続かない感じは、マクベスではない。というよりも、マクベス夫婦が今の時代にいてもうちょっと若かったら、このジルとオリのようになっていたんじゃないかという「提示」なのかも知れないとも思う。

 マクベスの話は置いておくとして、彼らに「理解してもらいたい」再び言われて、いや、だからさっきも思ったけど、あなたたちを理解することはできないから! と思う。
 フィリップ・リドリーは英国の劇作家だそうだけれど、英国で上演されたときの反応はどうだったんだろう、他の国で上演されたときはどうだったんだろうとも思う。
 この芝居に対する反応は、観客によって随分と変わるんじゃないかという気がする。
 そういう舞台だった。

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