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2016.10.22

「お気に召すまま」を見る

Dステ19th「お気に召すまま」
脚本 W・シェイクスピア
翻訳 松岡和子
演出・上演台本 青木豪
出演 柳下大/石田圭祐/三上真史/加治将樹
    西井幸人/前山剛久/牧田哲也/遠藤雄弥
    松尾貴史/鈴木壮麻/大久保祥太郎/山田悠介
観劇日 2016年10月22日(土曜日)午後2時開演
劇場 本多劇場 J列23番
上演時間 2時間25分
料金 7000円

 ロビーでは、DVDなどが販売されていたようだけれど、開演時間ギリギリに劇場に入ったので、チェックしそびれてしまった。
 ネタバレありの感想は以下に。

 Dステの公式Webサイト内、「お気に召すまま」のページはこちら。

 前に見たDステの作品(確かシェイクスピアの十二夜だったと思う)と同様に、開演時間前から出演者達が舞台上に集合し、アップをしていた。
 声を出したり、ストレッチをしたりしている。
 アップでもあるのと同時に「見世物」としても意識されていて、客席の笑いを取ったりしている。ファンには堪らない演出でありサービスなんだろうなと思う。

 そうして、三上真史が前説を始めて、「うーん、趣味の園芸みたいだ」と思った人がこの劇場に何人いただろうとまたしょうもないことを考えた。
 これがまた、上手い。
 声が通って滑舌が良くて説得力がある。
 ただ、あまりにも「いい人」っぽさ全開の前説だったものだから、この後、役のオリヴァーとして出て来たときにギャップがあり過ぎる。そして、そのギャップを逆用して活かすところまでは行っていないように思う。何だか勿体ない。

 勿体ないといえば、松尾貴史が「始めようよ」と音頭を取り、そしてダンスシーンから舞台が始まる。
 そのダンスシーンで、三上真史が舞台中央に垂らされたカーテンの陰に入って全速力で着替え始めるところが、かなり端の方の席にいた私からはほぼ見えてしまう。
 ダンスシーンの終わりに松尾貴史も同じようにカーテンの陰に入り、そこで入れ替えが行われるのだけれど、種明かしを先にされてしまった手品のようで、もちろん驚けない。これまた、勿体ないなぁと思う。

 誰かが客席のあちこちに座って見ていれば気がつけることだと思うのだけれど、気がついても演出その他の都合上カーテンの幅を広くしたり位置を変えたりできないんだろうか。
 この舞台に限らず、「この席からだと種が見えちゃうんだよな」というシーンを見る度に残念な気持ちになる。何だか、「丁寧でない」感じがするし、「観客のことを考えていない」ような印象になってしまうのだ。

 それはともかくとして、もちろん、舞台はさくさくと進む。
 最後のカーテンコールで「台詞はほとんど変えていません」と言っていたけれど、400年前にシェイクスピアはもちろん英語で戯曲を書いていた訳で、何と変えていないんだろうと思う。最初に日本に入ってきたときの日本語訳と変えていないのか、400年前の英語から翻訳したということなのか。
 いずれにしても、そういう「ちょっと古めかしい」感じの台詞が舞台上で話されていたのだけれど、カーテンコールでそう言われるまで全く気がつかなかった。
 自然な台詞術だったんだと思う。

 オールメールでのシェイクスピアは蜷川幸雄演出で見たことがある。
 「お気に召すまま」も見たと思う。
 つらつら思い返すと、シェイクスピア作品には意外と「女性が男装する」ことが鍵になっている舞台が結構あると思う。この「お気に召すまま」もそうだし、「十二夜」もそうだし、「ヴェニスの商人」もそうだ。
 流石に「リチャード3世」とかの歴史物ではそういう設定は無理だから、結構な高確率と言えるのではないだろうか。
 シェイクスピアが書いていたころは、自然にオールメールでの上演だったろうから、そこでの「面白さ」も当然に計算に入っていたのだろうなと思う。

 この舞台の女性陣はみな上手だったと思う。
 「男優が女性を演じる」ことをアピールしつつ、そこで笑いを取ったりもしつつ、でも、歩き方とか仕草とか声の出し方とか、いかにも女性っぽい。
 あら、上手いわ、自然だわと思う。顔立ちや体つきが特に女性っぽい訳ではないのに、この女性らしさはどこから醸し出されるんだろうと思う。歌舞伎の女形とは多分全く別の方法論があるような気がする。

 「お気に召すまま」は、若者の恋物語で、それも最初からハッピーエンドが見え見えのラブコメディである。
 オーランド-とロザリンドが最後にはハッピーエンドを迎えることは、たとえ「お気に召すまま」という物語を知らずとも最初から明々白々で、ハッピーエンドに至るまでの経過を楽しむ舞台だ。
 彼らの年齢は不明だけれど、ロミオとジュリエットがティーンなのだから、きっと同じくらいの設定なんじゃないかと勝手に思う。
 要するに、舞台上で展開されるのは小っ恥ずかしい「初恋」である。初恋が結婚に直結しているところがさらに幸せ感を倍加させる。

 この舞台をティーンの男女が演じたら、それは本当に馬鹿馬鹿しく(もちろん誉め言葉である、念のため)小っ恥ずかしい舞台になると思う。
 そこはオールメールで演じたら、この小っ恥ずかしさはかなり軽減されるんじゃないかと思うのだけれど、そうして軽減されていた筈なのに、この舞台も見ていて小っ恥ずかしかった。
 何故だろう。
 舞台の上で、男優のみなさんが楽しく「小っ恥ずかしい年代」に戻り、恋愛していたからだろうか。
 もう、ここまで成りきられたら、舞台の勝利だ。

 シェイクスピアが若者の恋愛だけを描く訳もなく、もちろん「お気に召すまま」にも政争らしきものは描かれている。
 アーデンの森にいるのは弟に位を追われた元公爵だし、その元公爵の娘であるロザリンドは当然に叔父から疎まれているし、オーランド-は兄のオリヴァーから騎士としての教育もされず、労働の日々を送らされていたし、そのオリヴァーだって現侯爵から財産を取り上げられてしまう。
 しかし、ここでシェイクスピアのご都合主義が遺憾なく発揮され、いつの間にやら現公爵もオリヴァーも改心していい人になり、結婚の神様やら誰やらが登場して、最後は4組の結婚式を同時に行うという大団円になる。
 大団円過ぎである。
 特に、オーランド-とロザリンドまでは許すけど、オリヴァーとシーリアがお互いに一目惚れであっという間に結婚まで突き進む展開には納得がゆかない。

 しかし、その納得のゆかなさこそが、ある意味で、シェイクスピアご都合主義の真骨頂である。
 その真骨頂を楽しませてもらった。
 

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コメント

 はにー様、お返事ありがとうございます。

 なるほど、「わざわざ言うほどのこと?」ということですね。
 そして、彼らにとっては「言うほどのこと」だったんでしょうね。

 今の若い子の中でも、彼らは特にコトバに敏感である筈の俳優さんで、しかも舞台を志していて、シェイクスピアは舞台俳優として必ずどこかで出会う筈の戯曲で、でも彼らにとっては「馴染みがない」ものであった、と。

 その辺りを、青木豪さんがどう考え、どう上演台本を作り、どう演出されたのか、お聞きできる機会があると楽しそうですね。

 またどうぞ遊びにいらしてくださいませ。

投稿: 姫林檎 | 2016.11.23 20:41

返答ありがとうございます。
いつも、突っ込む時だけ出て来てすみません。

そうですね「古めかしい」という感じはわかります。
「だって、○○じゃん?」とか「これ、良くね?」
とか言わないものね、ロザリンドは。
あの人たち、中世のお嬢様と公爵たちだから、庶民の言葉遣いではないんですよ。だから現代語であっても、お上品な言葉を使ってます。それが「古めかしい」と言えば、言えます。でも、今の子って、そういう言葉にすら触れる機会がないんですね。

でも、それは「言葉は変えてません、そのままです」って胸張って言うほどのことか?と、そこに引っかかったのです。坪内逍遥訳なら、そりゃ大変だったねーと思いますけれど。

投稿: はにー | 2016.11.20 01:45

 はにー様、コメントありがとうございます。

 「台詞は変えていません」というコトバはカーテンコールで機会あるごとに(もしかしたら毎公演)言っていたのね、と思いました。
 教えていただいてありがとうございます。

 そして、すみません、私もこの芝居で語られている台詞を聞いて「ちょっと古めかしい」と思いました・・・。
 いえ、私は決して若くないのですが。
 戯曲を読んでいればまた違った感想になったかも知れません。何しろ、戯曲を読むのが苦手なので、ほとんど読んだことがないのです。

 またどうぞ遊びにいらしてくださいませ。

投稿: 姫林檎 | 2016.11.18 23:37

こんばんは。
遅い反応ですみません。

あの「言葉は変えていません」発言なんですけどね、私もアレを聞いて、その場は「ふ〜ん」と思ったんです。でも、よく考えたらおかしい。だって、あの脚本は松岡和子訳を使ってたんですもの。それを演出の青木豪さんが、上演用に少し変えられた感じかと思います。

松岡和子さんの訳って、現代語訳じゃないですか?
河合祥一郎さんの訳と並んで、まとまって出版されているものとしては、おそらく現時点で1番「新しい言葉」で訳されているはずです。
パンフレットでは西井幸人君が、台詞に感情を乗せるために、1度現代語(?)に変えて、体に落とし込んでから元の言葉に戻してる〜と言っていて、つまり、彼らにとって、あのセリフですら「古い言葉」なんですね。
うわ〜新しい人種が育ってるんだな〜と思ったことでした。

投稿: はにー | 2016.11.18 21:28

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