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「るつぼ」
原作 アーサー・ミラー
翻訳 広田敦郎
演出 ジョナサン・マンビィ
出演 堤真一/松雪泰子/黒木華/溝端淳平
秋本奈緒美/大鷹明良/玉置孝匡/冨岡弘
藤田宗久/石田登星/赤司まり子/清水圭吾
西山聖了/青山達三/立石涼子/小野武彦
岸井ゆきの/皆本麻帆/富山えり子/川嶋由莉
穴田有里/中根百合香/万里紗/大内唯
原梓/Reina
観劇日 2016年10月15日(土曜日)午後1時開演
劇場 シアターコクーン *列*番
上演時間 *時間*分
料金 10500円
ロビーではパンフレット等が販売されていた。
舞台の本質とは違うのかも知れないけれど、この舞台を見てとにかく印象に残ったのは、滑舌のいい役者さんたちの芝居って気持ちいいなぁということだった。
とにかく、役者さんたちの台詞が口跡良くクリアに聞こえる。
それだけで、何だかもの凄く得をしたような、いいものを見たという確信が得られるような気がする。
難点をいえば、私がそうなっているように、とにかく台詞が聞き取りやすかったということが一番の印象として残ってしまうことかも知れない。
私は全く信仰心を持っていないし、お墓参りも初詣もするしクリスマスもちょっと特別だと思っている、無宗教と言っていいだろう生活を送っている。
そうなると、この芝居はかなり理解を超えた人々が、かなり理解を超えた様々な言動をし、間違いを犯す様子を見せられているという気持ちになる。
「私はよきキリスト教徒です」という台詞を一体このお芝居の中で何回聞いたでしょう、という感じだ。
少女たちが森の中で悪魔を呼び出そうと(あるいは呪詛を行おうと)儀式を行い、踊りを踊っている様子を、この村の教会に来た牧師が目撃するところから話が始まる。
少女たちのリーダーになっているのは、黒木華演じる、神父の姪のアビゲイルだ。
大鷹明良演じる牧師は、少女たちが悪魔と契約したとかそういう「黒魔術」系のことをしたと信じていて、自分の娘のベティが目を覚まさないことに狼狽し、このことをきっかけに派閥争いをしている他の宗教者たちから自分が追い落とされるのではないかと心配している。
配役表を見ると「パリス牧師」と書いてあったのでそう書いたけれど、舞台の中では「パリス神父」と呼ばれていたような気がする。
パリス牧師に呼ばれてやってきた、悪魔を研究しているジョン・ヘイル牧師も、「ヘイル神父」と呼ばれていたような気がする。
確か、プロテスタントの場合は「牧師」、カトリックの場合は「神父」というのではなかったろうか。だとすると、実際に信仰している人にとっては、この違いは重要だと思うし、恐らくはこの舞台の中味にも結構影響があることなのではないだろうか。
とりあえず自分の記憶の呼び名で話を進めると、少女たちのリーダーであるアビゲイルが悪魔を呼び出そうとしたのは、自分の恋を成就させるためである。
彼女は、少し前にプロクター家のメイドを首になっている。
アビゲイルと堤真一演じるジョン・プロクターが関係を持ったことに気がついた、松雪泰子演じるエリザベス・プロクターに解雇されたのだ。
アビゲイルは、ジョンが自分のことをまだ好きだと信じていて、彼をエリザベスから奪うためにエリザベスを呪詛で殺そうとしたらしい。
しかし、ベティの様子を見に来た(のだろう、多分)ジョンに袖にされ、アビゲイルの目標は「エリザベスを殺してジョンを奪うこと」から、「エリザベスを殺して、自分を袖にしたジョンにも復讐すること」に変わったらしい。
嫉妬と復讐心に駆られて、このアビゲイルの計算高さと恐ろしさといったらない。
しかも、彼女の計算高さに、人々がどんどん騙されて行く。少女たちを恐怖心とあと別の何かで縛り付け、自分と一体で動くようにコントロールしてしまう。
集団で同じことを言うものだから、みな、彼女たちの言うことを理由もなしに信じるようになる。
アビゲイルの標的は何故だかエリザベスだけに留まらず、村の婦人たちの多くが「悪魔に憑かれた」と逮捕拘禁され、絞首刑まで宣告されるようになる。
その頃になってやっと、ヘイル神父辺りはアビゲイルの言動に疑問を持ち、「悪魔」というものに疑問を持ち始めるようだけれど、時既に遅しで、小野武彦演じるダンフォース副総督らで構成される法廷は、頭からアビゲイルたちの言うことを信じ、何も(教会的にも)悪事を働いていない人々を逮捕し、ついには絞首刑の宣告までしてしまう。
もう、この辺りの展開が本当に気持ちが悪い。
単なる嫉妬心と復讐心に駆られているだけの少女のたくらみに、どうしてこうも簡単に「副総督」だの「判事」だのと言った人々が騙されるのか。
無実の罪で妻を逮捕拘禁され、絞首刑の恐怖まで味わわされている男たちの訴えがどうしてこうも通じないのか。
ジョンに説得されて「悪魔が居る振りをしていました」と証言しようとした少女を、アビゲイルはどうして徹底的に貶め、そしてついには自分の側に取り込んでしまうのか。
このアビゲイルを演じさせて、黒木華がまた上手い。彼女は意外と身長が高いし力強い役が似合っていると思う。確か、以前に新国立劇場で上演されたときのアビゲイル役は鈴木杏だったと思う。この二人の女優が演じる「アビゲイル」を両方見たかったなぁと思う。前回公演を見なかったのは痛恨の極みだ。
彼女もだけれど、ヘイル神父を演じた溝端淳平も印象的だった。彼の場合は、「えー、この役を演じていたのは溝端淳平だったの!」という驚きである。黒木華や鈴木杏は役者としての印象が強いけど、溝端淳平は役としての印象の方が強い。
集団心理だったり、催眠術だったり、アジテーションだったり、そういったものにアビゲイルが長けすぎていると思いつつ、でも、彼女に手もなく騙される男たち、一定の地位にある男たちが本当に腹立たしい。
宗教的なことは横に置いておいて、無実の罪で捕まり、捕まった妻の無実を叫んでいる男たちの「正しい主張」がどこまでも受け入れられない現実を見ていると、何だかもの凄く苦しい気持ちになってくる。
どちらかというと、教会だったり悪魔だったりそういったものは「小道具」とか「モチーフ」であって、この芝居の主眼は、「無実の罪」「権威の過ち」とかそういうところにあるような気さえしてきたくらいだ。
しかし、「悪魔と取引をした」等々と言われた女たちは、「悪魔といたことを認めれば許してやる」と言われても、自らの信仰心と良心に従い、絞首刑になることを選んでいる。
信仰心があるためか、彼女たちの心境は穏やかだし、迷いは感じられない。
判らない。この辺りはもう、私にとっては未知の世界だ。こういった心持ちを自分のこととして理解できる人が見たときと、私が見たときとでは、感想は全く違って来ると思う。
無実の罪で絞首刑になる人が増えるにつれ、世情は当然のことながら荒れ、暴動まで起きているようである。
そんな状況を見てアビゲイルは逃げだし、彼女が逃げたことでパリス神父も自らの間違いに気付き、ヘイル神父は今日にも絞首刑に処されようとしている人々に「悪魔と共にいたと嘘を付いて命長らえろ」と説得を始め、併せて副総督に刑の執行の延期を求める。
アビゲイルが逃げたことを知らされ、副総督も自らの間違いにやっと気づくけれど、それを公に認めてしまえば、これまで絞首刑を宣告した人々を「無実の罪で殺した」と認めることになると、その態度は頑なだ。絞首刑を延期すれば、法廷の(つまりは自分の)間違いを認めることになると断固として拒否している。
ジョン・プロクターを説得して悪魔と共にいたと認めさせ、そのことを人々に知らせることで、なぁなぁの折り合いを付けようとし、一度はプロクターに「悪魔とともにいた」という文書に署名させることに成功するものの、欲を掻いてさらに「その文書を公にしてプロクターの家に張り出す」ことを求めたせいで、結局、プロクターはその宣誓書を破いてしまい、悪魔とともにいたことなどないと、絞首刑に処せられることを選ぶ。
この彼の逡巡に対して、エリザベスが「あなたのいいようにして」としか言わないところも恐ろしい。間違いなくジョンは「嘘をついてでも生きて欲しい」と妻に背を押して貰いたがっているのに、それに対して「私にあなたを裁くことはできない」とか「好きなようにして」と言い続けることは、死刑宣告をしているのと同じだ。
この辺りの違和感と気持ちの悪さは、多分、信仰心がない故なんだろうなとは思う。
一方で、聖職者であるヘイル神父でさえ「名誉や信仰心よりも命を取れ」と言っているのに、この断固とした頑固さは何なんだと思う。
絞首刑を選んだジョンに対して、エリザベスは「彼の中に良き心が残っていた」みたいに言って、いっそ、感謝しているかのような態度を見せる。
判らない。
エリザベスの判らなさに比べれば、副総督やパリス神父の欲や保身のための言動の方がまだ理解できるような気がするくらいだ。
全体として本当に判らない、気持ち悪い、後味の悪いストーリーなのだけれど、ストーリーや登場人物たちの心持ちの判らなさとは別のところで、何だか気持ちのいい集中し夢中になれるお芝居だった。
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