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「遠野物語・奇ッ怪 其ノ参」
原作/柳田国男(「遠野物語」角川ソフィア文庫刊)
脚本・演出 前川知大
出演 仲村トオル/瀬戸康史/山内圭哉/池谷のぶえ
安井順平/浜田信也/安藤輪子/石山蓮華/銀粉蝶
観劇日 2016年11月12日(土曜日)午後1時開演
劇場 世田谷パブリックシアター
上演時間 2時間
料金 7500円
ロビーではパンフレット等が販売されていた。
ネタバレありの感想は以下に。
幕開けは、客電が落とされないまま、私が勝手にイメージする小泉八雲風の格好で山内圭哉が舞台に登場し、その端っこで語り始めた。
雑談風に語り始め、見えちゃう人について否定的な感じでしゃべっておいて、「これは僕の考えではなく、台本に書いてあるんです。」と言うのが何となく可笑しい。
関西弁で語り始め、「このセリフも関西弁で書いてあるんですよ。」と続き、話題を「見えちゃう」人から次第に方言に寄せて行く。関西弁で方言について語られた方が、標準語で語られるよりもそれは「似つかわしい」に決まっ
ている。
この舞台では、タイトルのとおり遠野物語が重要なモチーフになっているし、従って、河童などの「目には見えない生きもの」だったり、「方言」だったりが重要な役割を果たす。
その、舞台のテーマに沿った話を最初にアドリブのように語らせる導入も上手いし、それを語る山内圭哉も上手いなぁと思う。何というか、自然だ。
その最初の語りの途中、たまたま語りかけたお客さんが大阪の方だったのは多分偶然だと思うけれど、全体として計算されている導入だと思う。
舞台の上の世界は、現代ではないし、日本っぽいけど日本ではないかも知れない。
もしかしたらこうなっていたかも知れない日本の姿かも知れないし、もしかしたら昔こんな感じだったかも知れない日本のなのかも知れない。
でも、今の日本にも、この舞台の世界にも「遠野物語」はある。
ただし、舞台の上で展開されている世界では、ナントカ法が制定され、怪異について記録に残すことが禁止され、出版することも禁止されている。方言を使うことも禁止されている。
そこは、標準語で語らないことも書かないことも「罪」「違法」とされている世界らしい。
舞台は一転し、仲村トオル演じる柳田邦男だと思われる男が、遠野物語を出版したことを理由に警察に任意同行を求められている。
この世界では、遠野物語の出版は罪なのだ。
迷信を記録に残すことは罪であると説明する婦警に対し、柳田は、遠野物語を「迷信ではなく事実だ」と主張する。自分に語ってくれた語り手がこう語ったことは事実だし、語り手にとってこの物語は事実だしなのだと主張する。
もちろん、取調室にいる警察官2名と柳田の話は噛み合わない。
その柳田の主張に対し、警察はいわばアリバイとして第三者である学者に「迷信か否か」の判断を委ねる。というか、そういう制度になっているという設定だ。
その判断を委ねられたのが、山内圭哉演じる井上という学者である。井上は、世の中の怪異を全て「科学的」に説明する専門家だ。
舞台の枠組みは、基本的に、取調室において柳田が井上に語るという体裁が貫かれる。遠野物語が語りを記録した物語であるのと相似する形で、この舞台も入れ子構造になっている。
最初のうちは、柳田自身の体験だけが、書き割りのようになった警察官や井上たちを背景に語られる。
しかし、次第にそれまで警察官として舞台上に居た池谷のぶえや浜田信也が、遠野物語の登場人物を演じるようになり、柳田自身も演じる側に回り、井上も演じる側に加わって行く。
そしていつの間にか取調室にの空間が後ろに引いていく。取調室であるところの少し高くなった舞台とパイプのような柱と梁はずっと舞台上で動かないけれど、その存在感が場面によって前面に出てきたり、後ろに引いたりする。
リアルタイムの取調室と、取調室で語られている物語の舞台との二重構造が最初は何だかうるさく感じていたけれど、そのうち気にならなくなって行ったのが不思議である。
前田知大の面目躍如というところだろうか。
柳田の書いた本を井上が読む、柳田が佐々木という遠野に住む語り部である青年から聞いた話を聞かせる、そういう形で物語が紹介されて行く。
前に京極夏彦がまとめた遠野物語を読んだことはあるものの、内容はほぼ覚えていない私には断言できないけれど、恐らく、この舞台で語られたり演じられたりした物語は、遠野物語に収められている物語なのだと思う。
そこで語られるのは怪異だ。
不思議な話であり、山に住む何者かの話であり、井上が言うところの迷信である。
「事実だ。」と言っている柳田も実は事実ではないと認めているというのが何となく面白い。
何かを強く主張するためには、自分が本当に言いたいこととは違うことを声高に言わねばならないというところに矛盾を感じるし、それが舞台で演じられていることに作り手の諦観みたいなものを感じなくもない。
そこまで裏を見せちゃっていいのかとも思うし、裏を見せなければ「受けない」という強迫観念があるのかしらとも思うし、そんな計算より何よりこの芝居で「裏」を書きたかったのかも知れないとも思う。
いずれにしても、この舞台を見ている観客にとっても、遠野物語は文字通り、遠いところにあるという認識なのだと思う。
いわば権力の手先となってひたすら「迷信」を否定し、それを科学的に分解し分析しようとする井上の存在は、柳田に遠野物語を語った瀬戸康史演じる佐々木と、銀粉蝶演じる佐々木の祖母と対峙する存在である。
彼が頑なに迷信を否定する理由が、妻の「神隠し」にあるというオチはかなり最初のうちに何となく想像がつく。
そこにもう少し捻りがあっても良かったような気もするし、自らの妻の失踪を「神隠しだと思って諦めろ。」と言われたことで意地になっているのだと語る井上の率直さと、その率直な人物を出してストレートに語らせる劇作家のストレートさこそがこの芝居の特徴だという気もする。
しかし、井上が迷った末に遠野物語を「迷信である」と断じ、柳田が逮捕されてしまう。
柳田は、連行されながら井上に対して「あなたがいい聞き手だったから話しすぎた。これは世界をつまらなくしている標準化への反乱の狼煙である、私はあなたにこの物語を渡しましたよ」と言う。
一人、取調室に残された井上にスポットが当たって舞台が終わった瞬間、私の頭に浮かんだのは「あなたが主役じゃないの!」ということだった。
遠野物語でもなく、その語り手達でもなく、書き手である柳田でもなく、その世界を考えることなく全否定している警察でもない。
激しく否定することで結局はその世界を理解してしまい、必要性も分かりきっている、この井上にという男が、この舞台の主役である。そういう感じがする。
社会の歪みとして語ることができないから物語として語って語られてきたのだと、だから物語が必要なのだと、ある意味で達観している柳田よりも、井上の方に私はシンパシーを感じる。怪異に正面からぶつかっている気がする。
ここまで「怪異」とか「物語」を解体しちゃわないでよと思いつつ、でもやっぱり前田知大作・演出の舞台は面白い。
何だか訳もなく集中させられるし、静かなカタルシスが味わえる。
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コメント
アンソニーさま、コメントありがとうございます。
本当に夏からいきなり秋を通り越して冬になっちゃいましたよね。
元々が寒がりなので、もう毎日ヒートテックのお世話になってもまだ寒いと震えています(笑)。
風邪とインフルエンザに気をつけて、この冬も乗り切りましょう!
井上はこの後どうするんでしょう。
私は何となく、このまま葛藤しつつ、これまでと同じ「意地」を張って行くのではないかという気がしました。
でも、何らかの形で遠野物語が誰かに伝わるようにするんじゃないかしら、と。
やっぱり井上が主役っぽい終わり方でしたよね。
それが何だかちょっと嬉しかったのでした。
またどうぞ遊びにいらしてくださいませ。
投稿: 姫林檎 | 2016.11.13 23:26
こんばんは、姫林檎様
寒くなってきましたね、体調に気を付けて観劇ライフ楽しみましょうね。
佐々木は亡くなり柳田は逮捕されましたが井上はこの後どうするんですかね。
誰かに語るのでしょうか。
私も最後にあれ、この人が主役だったの???と思いましたw
投稿: アンソニー | 2016.11.13 22:22