「バカシティ たそがれ編」を見る
ブルドッキングヘッドロックvol.28「バカシティ」
作・演出 喜安浩平
音楽 西山宏幸
映像 猪爪尚紀
出演 岡山誠/寺井義貴/浦嶋建太/藤原よしこ
山口かほり/二見香帆/鳴海由莉/平岡美保
山田桃子/石原みゆき/松本哲也(小松台東)
今城文恵(浮世企画)
観劇日 2016年11月5日(土曜日)午後2時開演
劇場 こまばアゴラ劇場
上演時間 1時間50分
料金 3500円
初めてこまばアゴラ劇場に足を踏み入れた。
ネタバレありの感想は以下に。
こまばアゴラ劇場に初めて足を踏み入れたので、まずはその感想から書くと、意外とディープな感じはしなかったということに尽きる。
雰囲気というかイメージとしては、下北沢の劇・小劇場とか、今はなくなってしまった(と思う)新宿のスペース107とかが近いような気がする。
もっとディープというかアングラな感じの立地かつ外観だと勝手に思い込んでいたのでかなり驚いた。ここなら「敷居が高い」とか思わずにもっと前から通えば良かったという感じだ。
客席に何人くらい入れるかはよく判らなかったけれど、推定で50〜60人くらいだったんではないだろうか。
そして、当然のことながら舞台と客席はかなり近い。
開演前の注意事項が始まった。そこで語っていたのは役者さんだということに、本人が「僕、これからこの舞台に出るんですけれども」と言い出すまで気がつかなかった。
そうして、彼が舞台上に上がる(というかよじ登る)ことで幕開けだ。
開演時間のギリギリに劇場に入ったので、フライヤーを見ている余裕がなく、役名がほぼ役者さんの名前だということに見終わってから気がついた。
それと併せ考えると、日常からの連続みたいなことを意識していたのかとも考えるけれど、自然な始まりということにも、掴みという面でも、もう一工夫必要な気がする。
私はブルドッキングヘッドロックの芝居を見るのは2回目で、そうすると、前説に役者さんが登場したという事実にも、役名と役者さんの名前が一緒だということにも気がつかないまま見ることになる。要するに、意図した仕掛けが全く効かない観客になってしまったことになる。
物語の始まりは屋上である。
自殺しようとしている男がいる。
そこに、会社の同僚がやってくる。
二人共がファンであるアイドルの話になる。
3人目の男もやってくる。彼ら3人のところにそのアイドルからラブレターめいたメールが届いていることが判る。
そこが始まりだ。
背景には、その着想の元となった落語のタイトルが映し出される。始まりは「三枚起請」だ。
これまた私の側の問題だけれど、三枚起請という落語を私は知らない。フライヤーには、この舞台で引用している落語として他に「寝床」「大山詣り」「紙入れ」「死神」「夢金」の名前が挙げられていたけれど、どの落語も題名だけは聞いたことがあるような気がする、というところだ。
出典を明らかにするという意味かも知れないけれど、そのタイトルを見ると「元の落語を知っていたらもっと楽しめるのかも」「何か隠された意味がそこにあるのかも」と思ってしまう。そして、思うだけで、芝居を見ている間は少なくともそこからどこにも行けない。
何だか勿体ないと思うのだ。
アイドルの元に抗議に出かけた男3人組は、一人は運営側の男をビルから突き落としてしまい、そこで話は一気に10年後に飛び、一人はそのアイドルと結婚し、もう一人はアイドルと結婚して部長になった男の元で課長になっている。
10年間の記憶が何故か飛んだ男と、未来から来た男、普通に10年を過ごした男として、3人が再び出会った、ことになるらしい。
そこへ、時間警察が現れて、と話はいきなりタイムトラベルものに変身する。
私がこの前に見た公演が「1995」だったこともあって、ブルドッキングヘッドロックってもしかしてタイムトラベルもの専門なのか、という間抜けな発想が浮かんでしまったくらいだ。
そこから、「引用元」の落語がクルクルと変わり、タイムトラベルもののお約束でどうやらパラレルワールドも生まれたらしく、様々な設定で「その後」が繰り返される。
男3人の関係性とともに、10年前に部長だった男と女性社員たちとの「部の慰安旅行」を巡る攻防も同時に何パターンか繰り返される。
シチュエーションを色々と示すため、たくさん引用したい落語をどうにか繋げるための接着剤としてタイムトラベルというツールを使っているようだ。
元に戻ると、役名を役者さんの名前にしたり、芝居の始まりを前説と地続きにしたりすることで、芝居そのものが日常の中の非日常であると示したいのと同時に、未来から来た人々がすぐそこにいるのかも知れません、みたいな感じにしたかったのかなという感じがする。
だから、内輪受けするネタというか、ブルドッキングヘッドロックをよく見ているお客さんに向けた台詞が割と多めに散りばめられていたのかなと思うし、メタフィクションが劇団としてのテーマの一つなのかも知れないとも思う。
ただ、もしそうなのだとすると、「これがテーマですよ」というアピールが少し強すぎて、「テーマ」ではなくて「これがテーマですよと強調している感じ」が伝わって来たような気がする。
それから、タイムトラベルもので、かなり話がややこしくなる展開だったから、もう少しあざとい程判りやすく説明的であっても良かったかなと思う。えーと、結局今がいつであなたは誰でここはどこかしら、考えないと判らないという状況が続くのは結構疲れる。登場人物達も混乱していたから、余計に観客には情報を伝えてくれても良かったかなと思う。落語のタイトルと一緒に「*年 ver.1」みたいに出すくらいしてもいいのにという気がした。
何故だか、そんな感じで、自分が作り手側にいるかのような気分で見てしまった。
こまばアゴラ劇場マジックなのかも知れないと思う。
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