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「三婆」
原作 有吉佐和子
脚本 小幡欣治
演出 齋藤雅文
出演 大竹しのぶ/渡辺えり/キムラ緑子
安井謙太郎/福田彩乃/段田安則 他
観劇日 2016年11月26日(土曜日)午前11時半開演
劇場 新橋演舞場
上演時間 3時間25分(35分、15分の休憩あり)
料金 12000円
久々に行った新橋演舞場は、いつものラインアップに加えて、三婆オリジナルの商品もかなり並んでいたように思う。
ネタバレありの感想は以下に。
有吉佐和子原作の舞台で、タイトルが「三婆」で、その三婆を演じる女優陣が大竹しのぶと渡辺えりとキムラ緑子だというのだから、豪華絢爛である。
豪華絢爛というのとは違うのかも知れないけれど、これこそ鉄板という感じだ。
金融業の会社社長が愛人宅で多額の借金を残して死に、本妻とその愛人と社長の妹が売らずに済んだ本宅で何故だか同居を始める、という物語である。
ただし、東京オリンピックがラジオ放送されているシーンがあったので、昭和30年代後半である。
「三婆」というタイトルを付けられているものの、女3人は60歳前後で、当時はいざ知らず、今の感覚でいうと彼女たちが「おばあちゃん」と呼ばれること自体に違和感がある。
ともかく、大竹しのぶ演じる本妻、キムラ緑子演じる30年以上にわたって愛人をしていた芸者、渡辺えり演じる心臓が悪く何もしないまま来てしまった妹が集まったら、それはモメごとが起こるに決まっている。
そのモメごとに、段田安則演じる会社の専務だった実直そうな男や(彼も60歳前後のようだ)、本宅に出入りする八百屋の御用聞きの青年、本宅で女中を務める若い女性らが入り交じって、とにかく大混乱である。
その悲喜こもごもの日々が新橋演舞場の広い舞台の上に、デカい本宅を作り、回り舞台で本妻の居室、台所、中庭などをぐるぐると周りながら展開される。
新橋演舞場の広い舞台に、主たる登場人物は先ほど挙げた6人である。はっきり言って、なかなかその空間を埋めることは大変だと思うのだけれど、三婆3人が舞台上に揃うと、いっそ舞台が狭く見えるくらいである。
落ち着いた色目の着物を着こなす本妻に、派手でモダンな柄の着物を襟を抜いて来ている愛人、そして何故かピンクハウス風(そういえば最近目にすることが少ないのは気のせいだろうか)のドレスを着込んだ妹が揃うと、もうお腹いっぱいという感じがする。
また、3人が揃えばそこにはドタバタが生じるしかない訳で、何故だか立ち回りまで舞台狭しと展開されるから、彼女らの存在感が舞台の上でぶわーっと膨らんで客席にまでさらに膨らんで来るくらいの勢いを感じる。
誰かと一緒にいれば、そこには力関係が生じるし、ましてや角突き合わせている3人がそれぞれ自分の都合だけを語っている訳で、姦しいことこの上ない。
その代わり、彼女らが居室でふっと一人になったときの寂しさや闇もまた深い。
衣装道楽の本妻は、次々と着物を取り出しては鏡を見て合わせ、花嫁衣装だったのだろう白無垢を取り出して鏡に映して大泣きしている。
妹は、兄に「何もするな」と言われてそのまま来てしまったから今さら一人で何することもできないと嘆く。
どちらも淋しいシーンだし、舞台上に彼女たちだけしかいない。
でも、どちらも「死んでしまった夫」や「死んでしまった兄」に対する感情で一杯である。
三婆のやりとりに大笑いし、末は養女にして貰えるのではないかと期待する女中の娘と恋仲の八百屋の青年とのやりとりにも笑い、実直そのものの元専務の人情にちょっとほろりとする。
もう、何のかは判らないけれど、何かのお手本のような舞台だと思う。
そして、このお芝居をこの出演者陣で見られるって何て贅沢なんでしょうと思うのだ。
新橋演舞場が満員になるのもむべなるかなという感じである。
同居が一段落するまでが一幕、二幕は一応の落ち着きを見せた奇妙な同居生活の悲喜こもごもを見せる。
そして、二幕の終盤、妹は老人ホームに入居することを決め、愛人も(どこへなのかは今ひとつ判らなかったけれど)出て行くことを決め、元専務の男性も住み込みで働くことが決まり、もうあと2〜3日でこの家での同居生活も終わるというシーンになる。
行き場のない60前後の男女がいわば「吹き溜まって」いた訳で、有吉佐和子は執筆同時から日本の「超高齢化社会」を見通していたんだなぁと改めて思う。娘一家と暮らそうとして追い出された専務や、身よりも生活費を稼ぐ手段もない妹、立派な屋敷こそあれ友達もいなさそうな本妻に、事業と称してスタンドバーを始めたものの決して上手く行っているようには見えない愛人と、幸福な人は一人もいない。
彼らにとっては、喧嘩しながらでもこの家で暮らして行くことが「幸せ」なのだ。
第三幕が約20分と短いことは予め知っていたので、私はてっきり、第2幕はしんみりとし、本妻が企画したお別れ会も不発に終わり、淋しく終わるのだと思っていた。
そうしてバラバラになったかに見えたこの4人だけれど、数ヶ月後、結局出て行った3人もそれぞれの理由で舞い戻り、また4人で賑やかに暮らして行きましたとさ、と昔話風に終わるのだと思ったのだ。
自分で言うのも何だけれど、ありがちだけれど美しく、少しだけ希望を持てる終わり方ではないか。
しかし、この三婆たちは私が思っているよりもずーっと強かだった。
3人がこの家を気を揃えて出ようとしたのは、どうやら3人の策略だったらしい。そうして、大家たる本妻に「淋しさ」を感じさせ、自分達が「不可欠の存在」だと思い知らせようという魂胆だったようだ。
そしてその目論見は成功し、本妻は失敗に終わったお別れ会会場の床に座り込んで「出て行かないで」と子供のように泣く。3人も「そうまで言うなら仕方がない」と言い、ちゃっかり「家賃なんて言わないでよ」と釘を刺し、大団円だ。
4人それぞれに歌って踊り、これがまた上手すぎるくらいに上手くて拍手が起きていた。
「紅白歌合戦初出場」ネタが出るかと思ったけれども、それはなかった。東京オリンピックについて「50年くらいたてばまたあるよ」と言うのはギリギリセーフでも、そちらは許せないラインだったようだ。
歌い踊りながら幕が降りてくると、周りからも「これで終わりじゃないわよね?」という声が聞こえて来た。
本当にどうするんだろうと思っていたら、女中さんと八百屋さんのカップルが現れた。
今は、20年後らしい。
連続テレビ小説風の展開である。「この家だ」「もう誰も住んでいないんじゃないか」と子供連れで語り合う夫婦の横を、おじいさんが赤い風船を持って通り過ぎ、件の家に入って行く。
可笑しい。
そして、屋敷の中に続いて入ってみると、そこでは本妻の奥様が80歳になっても矍鑠として中庭で畑仕事をし、元専務の男性は少し子供に返っているようにも見える。
愛人の女は「小料理屋はやっぱり赤坂だ」「言ってくれれば迎えの車を出したのに」と現実を認識しておらず、妹も逃げてしまった九官鳥のためにひたすら餌をすりつぶしている。
平和といえば平和な風景だし、危ういといえば危うい光景である。
その危うさと寂しさは、市役所から来たという男女の登場でさらに増幅される。
夫婦は何度も「また来ますから」と声をかけ、その彼女らの心情を知ってか知らずか、80代の4人の男女は、相変わらず周りは見ず、自分の手元だけに集中し、あるいは自分の妄想だけに集中して、ひなたぼっこをしている。
そこで幕である。
この20分は、ほろ苦い。
でも、色々なものが詰め込まれた20分だったと思う。
もの凄く僭越な感想だとは思うけれど、流石だ、この20分があってこその「三婆」だ、と思った。
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