「ユー・アー・ミー?」を見る
ラッパ屋 第43回公演「ユー・アー・ミー?」
脚本・演出 鈴木聡
出演 おかやまはじめ/木村靖司/福本伸一/岩本淳
岩橋道子/弘中麻紀/ともさと衣/大草理乙子
松村武(カムカムミニキーナ)/谷川清美(演劇集団円)
中野順一朗/浦川拓海/青野竜平(新宿公社)
林大樹/宇納佑/熊川隆一/武藤直樹
観劇日 2017年1月21日(土曜日)午後7時開演
劇場 紀伊國屋ホール
上演時間 1時間50分
料金 4980円
ロビーでは、これまでの上演した作品の上演題本や「渋い色もご用意しました」というTシャツなどが販売されていた。
ネタバレありの感想は以下に。
開演前のアナウンスで、「ユー・アー・ミー?」というこのお芝居のタイトルを、英語のイントネーションで発声しているのが何だかちょっと可笑しかった。
ラッパ屋のお芝居といえば、日本が舞台で日本人が出てくるお芝居だと思っているから余計にそうなのかも知れない。
舞台は、とある会社のロビーのようなところだ。
エレベーターホールも兼ね、廊下も兼ね、ミーティングスペースも兼ねているらしい。
真ん中に立って会議できるスペースがあり、端っこに来客用なのか打ち合わせ用なのか、ソファセットも置いてある。
おかやまはじめがいきなりICレコーダーをマイクのように持って、「昨今、会社がメールとスタバとアップルに席巻されている」ということを滔々と述べる。正確には「同じマークの付いたカップと、りんごのマークの付いた機械」と言っていたような気もする。
そのICレコーダに吹き込んだ内容は、社内報の原稿だったらしい。
おかやまはじめ演じる「おかざり」の小西部長も、社内報の原稿を集めている福本伸一演じる吉岡も、いわば「負け組」で出世コースから外れているらしい。
そして、お互い、「今の会社」「効率主義や合理主義」に馴染めず、昭和な時代を懐かしく思い「あの頃は良かった」と思っている。
何というか、「今の会社」も、小西&吉岡コンビも、極端である。
どちらの言い分も否定することは難しいけれど、どちらの様子も「そんなに極端に振らなくてもいいのでは」という感じがする。
そして、「今の会社」に順応している、出世コースに乗った社員たちは、最初からそういうタイプだった訳ではなく、みな、会社人生の途中で「キャラ変」して、今の自分になった人達らしい。
契約社員のおじさんの「消しゴムのカスを掃除してくれるロボット」というアイデアを、そのおじさんから取り上げ、「女性活用のアピール」に使うべくターゲットも女性に、デザインも女性に任せようというところから話が始まる。
会社の会議もMacBookを持って集まってペーパーレスを進めているらしい会社で、どうしてまた鉛筆やシャープペンを使わなければ発声しない消しゴムのカスを掃除するロボット販売のターゲットに「若い女性」を選ぶのか、今ひとつよく判らない。
ここは、当初のアイデア通り、子供向けにした方が需要があるんじゃないの? と余計なことを考える。
それはともかくとして、効率と出世と合理主義と論理を至上命題とする人々は(実際の芝居の中では、これらの単語は全て英語でしゃべっていたんだけれど、私の耳には全く残らなかったので、とりあえず日本語で書くことにする)、どんどんおかしくなって行く。
その「おかしくなる」ことの象徴として、小西の前に「キャラ変をした」コニシが現れる。
会社の方針転換に付いていき、出世コースも目指しているコニシだ。
最初に現れたときにはアドバイスするだけだったコニシだけれど、その次の会議の場で小西が上手くキャラ変できないことを見て取ると、あっさりと小西の立場を乗っ取ってしまう。
残された昭和なコニシは、夜の社内で、キャラ変に付いて行けなかった社員たちに出会う。
同じような格好をしているのに、少しずつ「ださく」衣裳を着こなしているところが何だか凄い。キャラ変した行け行けドンドンな「本体」をよそに、キャラ変前の彼と彼女らは、本体を見守りつつ、そこでひっそりと暮らしていたらしい。
辛うじて「実体」を保っていた小西も、ついにキャラ変前の自分として、彼ら彼女らに混ざることになったようだ。
キャラ変前の自分を切り離したことで、キャラ変後の「実体」たちはどんどん「おかしく」なって行く。
人のデザインを盗んで自分のデザインとして発表することに躊躇いを持たなかったり、上にいる人間を蹴落としたり、自分を追いかけてくる人間を蹴落としたりするために、セクハラ写真をバラ巻かせようとしたり、下請けの企業に押しつけようとした領収書を経理に持ち込ませようとしたり、それを命じられて命じられた通りに「人を陥れること」に加担しようとしたりする。
末期症状じゃん! というところで、キャラ変前の彼ら彼女らが奮起し、キャラ変後の自分に何とか思いとどまらせようとそれぞれが話しかける。
振り幅の大きさはともかくとして、結構な数の人達にとってキャラ変前とキャラ変後の自分がいるよね、そうして見えないところで葛藤があるよね、それを表に出して見せたんだよね、と思う。
そういう意味では、フライヤーに書いてあるような「ヘンテコリン」な話ではなく、むしろ「よくある話」「普遍的な話」なんじゃないかと思う。
キャラ変前の彼ら彼女らにもの凄くシンパシーを感じる私は、「がんばっていない」「生まれてきたからには少しでも世の中をよくしたい」という真っ当な欲を持たない、ダメ人間なのかもなぁと思う。
そう思っても、何故か落ち込んだりはしなかった。
「少し、休め」と言われたキャラ変後の実体は、ちょっと休むことを決め、キャラ変前の自分と選手交代する。
その入れ替わりに、時計の針のようなもので階数表示をするレトロなエレベータを使うところが上手いなぁと思う。
そうして、キャラ変前の人々が、自分の主導権を握ると、和気藹々と会議ではプリントアウトされた資料が配られて笑いの絶えない様子になる。
雰囲気は良くなったものの、しかし、一度切り捨てた下請け企業との契約を復活させたり、消しゴムのカスを掃除するロボットにコストをかけすぎたおかげで、上手く回っているように見えつつも会社は赤字だ。
「赤字だね〜。ははははH〜。」と笑っていたところ、次々とキャラ変後の彼ら彼女らが戻って来る。
結局、キャラ変前の彼らの中で「実体」として残ったのは小西だけだ。
キャラ変後の彼らはやっぱりスタバのカップを持ち、アップルを手にしているけれど、しかしその表情はどことなく和らぎ、会話も成立しているようだ。
周りの変化に付いて行けない小西がうろうろきょろきょろ慌てているところで幕である。
やっぱり会社の話だなと思う。
会社の話であり、働くことの話であり、どう生きるかという話でもあると思う。
キャラ変をその「手段」として使い、際立たせるためにキャラ変の前後を違う役者さんが演じている。
でも、そうなると、キャラ変をしていないらしい何人かの社員のことが気になってしまう。彼らは、まだ「分離」せずに、どちらに勝たせることもせずに、ひたすら葛藤している最中なのかも知れない。あるいは、上手く折り合わせることができたのかも知れない。
何だか自分はどうなんだろうと、落ち込みはしなかったけれど、考えてしまった。
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コメント
みずえ様、コメントありがとうございます。
やっぱり、ラッパ屋、いいですよね〜。
そして、今回の「漢字の人」も「カタカナの人」もやっぱり極端だったんですね。私の職場では「漢字の人」は割と周りで見る気がしますが、「カタカナの人」はほとんど見たことがないような気がします・・・。
ってか、今の上司が「漢字の人」をさらに何倍にもした「仕事をしない人」です・・・。
それでも何とかかんとかやって行くしかないですよね。
またどうぞ遊びにいらしてくださいませ。
投稿: 姫林檎 | 2017.01.25 22:17
姫林檎さま
私も観ました。
ラッパ屋さんは大好きなので、お馴染みのメンバーを観るとホッとします。
いつもは現実的なのに、今回は少しファンタジーっぽい内容になってましたね。
漢字の人もカタカナの人も極端なので、普通はもう少し中間になるものだけど…と思いながら観てました。
個人的には、他の人の見せ場でもプーさんをいじっている斉藤さんが可愛かったです。
私もOL歴が長く、今の仕事の仕方についていけない部分も多々ありますので、身に詰まされました。
そして、小西さんがコニシさんに言う「死ぬ時に浮かぶのは人の顔だ」というセリフに激しく共感しました。
そう、企業だって人で出来てるんだ、仕事だけ出来ればいいってものじゃない、と頷いてしまいました。
そう思いながら、日々頑張っていこうと思わせてもらえる舞台でした。
投稿: みずえ | 2017.01.24 14:10