「令嬢ジュリー」を見る
シス・カンパニー公演ストリンドベリ交互上演 「令嬢ジュリー」
作 アウグスト・ストリンドベリ
上演台本・演出 小川絵梨子
出演 小野ゆり子/城田優/伊勢佳世
観劇日 2017年3月19日(日曜日)午後2時30分開演
劇場 シアターコクーン
上演時間 1時間25分
料金 7800円
ロビーでパンフレットが販売されていたけれど、チェックしそびれた。
フライヤーは、「死の舞踏」と共通のものだ。
ネタバレありの感想は以下に。
舞台はいつもよりも客席にはみ出すように設えられ、その両サイドにも客席が設けられている。ちょっと能舞台のような感じだ。
高い位置に天窓があり、この場所が地下室あるいは半地下室であることが分かる。オーブンがあり、その上の鉄の小鍋で伊勢佳世演じる地味な服装にひっつめ髪の女が何かを煮込んでいる。
鍋を置くときも乱暴で、彼女は苛立っているようだ。
そこに、城田優演じるジャンがやってくる。
二人の会話から、彼ら二人がこのお屋敷に奉公していること、恋人同士であること、伯爵は出かけていること、伯爵令嬢は婚約破棄されて自暴自棄になっており、今も近在の羊飼いたちと踊って騒いでいるらしいことが分かる。
ついでに、この3人の登場人物の誰一人として幸せではなさそうなことも伝わってくる。
誰も彼も、今の状態から抜け出したいし、逃げ出したいし、今の自分を好きではないようだ。
小野ゆり子演じる令嬢ジュリーは、白いドレスを着て、いかにも場違いな感じでこの「台所」にやってくる。
ジュリーはジャンにダンスに付き合うよう命じ、ジャンは、伊勢佳世演じる恋人であるクリスティンを気にしつつ、同じ男と何度も踊っては噂になると諭す。もちろんジュリーはそんな「良識的」な忠告は一蹴し、ジャンをダンスに付き合わせる。
キリスト教とか、身分とか、令嬢とか、召使いとか、感覚として遠いものが次々と出てきて、かつ、それらがこの芝居の重要なポイントになっているようだ。
恐らくは容姿もポイントだと思う。
この場合、令嬢ジュリーは美貌という設定なのかどうか、正直に言ってよく判らなかった。
城田優は間違いなくハンサムだろうし、実際に劇中のジャンも自分が「格好いい」と評されることを知っている、背負ったセリフを頻発している。
伊勢佳世も、城田優と同じ系統の顔立ちで、間違っても「醜い料理番」という設定ではなさそうだと思う。
ジュリーを演じている小野ゆり子はいわば和風美人で、お化粧もナチュラルな感じに抑えている。これがいかにもくっきりとしたメイクが施されていれば「美人で強気でぶっとんでいる令嬢」というキャラ設定なんだなと思うところだ。しかし、そうではない。
ジュリーは「平凡な容姿だけれどその気の強さで美人にみえる」という設定なのかしらと、我ながら失礼なことを考えた。
城田優も、小野ゆり子も伊勢佳世も、みんな滑舌のいい聞きやすいクリアな発声だと思う。
安心して舞台を楽しむことができる。
でも、小野ゆり子と伊勢佳世の声のトーンが似ていることで、この二人の違いがあまり際立たなくなってしまったところもあるんじゃないかという気がした。
ジャンは幼い頃からジュリーのことを見知っており、しかも憧れていたらしい。
プライドの高い、高慢な言動を続けていたジュリーもその彼の告白にほだされたのか、羊飼いたちに召使いと恋仲であると噂されることが恥辱であると同時に魅力的だったのか、クリスティンが寝室に引き取った後、二人は羊飼いたちの乱入から逃げ出すためにジャンの部屋に行き、そして結ばれたらしい。
若者とは、何と安易なのだろうと思う。
そして、このシーンでだけ、たくさんのアンサンブルが舞台上に駆け込んできて、狂乱と言えそうなパーティに興じている様子が演じられるのが、何とも「若者」で効果的だったと思う。
判らないのはこの後で、ジャンもジュリーもなぜか「このまま伯爵の屋敷に居続けることはできない」という気持ちだけは、相談するまでもなく一致しているらしい。
そこが判らない。
ジュリーにとって、「召使いのジャンと出来た」ことがそんなにも「落ちた」ことになるのなら、もうちょっとモノを考えてからことに及ぼうよと思ってしまう。
ジャンの方も同様で、クリスティンのことをほとんど気にしていないのはどうかと思うし、こちらはあっさりとジュリーを「自分の野心を達成するための金ヅル」としか考えていないらしい。
また、ジャンが、自分の野心を叶えるため、つまるところはジュリーに家のお金を持ち出させて一緒に逃げるために、様々に甘言を弄したりするものだから、どの言葉が彼の本心なのか、全く判らない。
いっそ、最初から自分の野心のためにジュリーを利用しようとしていたのなら天晴れだけれど、伯爵への忠誠心だったり、恐れる心を吐露するところを聞いていると、どうもそこまでの覚悟は感じられない。
要するに、ジュリーもジャンも、激しくメルヘンで夢見がちで自分に都合のいいようにことが運ばないとヒステリーを起こす、ダメな若者にしか見えて来ない。
それならばクリスティンが現実的なのかといえば、これまたそうでもないような気がする。
教会に通い、神を信じ、地味な格好をし、自分が使えるご主人に対して必要とあらば恭しく振る舞うこともできる。
「厩番に伯爵が帰ってくるまで誰にも馬を使わせるなと伝えて置く」と捨て台詞を吐いて出て行く。この台詞一つとっても、ジャンとジュリーの駆け落ちを阻止する効果的な手段だし、彼女の現実的な賢さが伝わって来る。
しかし、そもそも「尊敬するご主人のところでなければ働けない」という心持ちは、多分メルヘンだ。
ジャンの目論見は、ジュリーに家のお金を持ち出させるところまで辿り着く。
あと少しで達成しそうになったところで、ジュリーが一緒に連れ出そうとしたカナリアを殺してしまう。
この辺りからまた雲行きが怪しくなり、戻ってきた伯爵にベルで呼び出された瞬間、現実に戻り、ホテルのオーナーになる夢が見る間に萎んで行き、「これからいかに食べて行くか」を考え始めたように見える。
一方、何も決められず、何もかもジャンに頼ろうとして果たせなかったジュリーは、最後にジャンに何かを耳元で囁かれ、お金を詰めたカバンとナイフを持って納屋に向かう。
そこで、幕だ。
果たしてジュリーは何をしに納屋に向かったのか。
自殺するつもりならお金の詰まったバッグはいらないだろうし、でも、ジャンがお金を諦めて自分が伯爵から疑われないことを第一に考えたのなら、何もかも自分一人で考えたこととして死んでいけとジュリーに言ったということも考えられる。
どうなんだろう。
そして、クリスティンが全てを話してしまえば何もかもがおじゃんな訳で、ジャンはクリスティンとよりを戻すことまで考え、そして、その自信があるんだろうか。
密度が濃いような、無軌道な若者達の間抜けな一夜の物語だったのか、捉えどころのない印象だったのは私が若くないというだけのことなのかも知れない。
見終わって、判らない、でもお腹がいっぱいだ、と思ったし、かなり集中して見ていたらしく見終わってぐったりしたくらい、見る側にもパワーを要求される芝居だった。
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コメント
アンソニーさま、コメントありがとうございます。
そして、お返事が遅れましてすみません。
若者ってよく判らない、というのが正しい「見方」なのかどうか、結局よく判らなかったような気がします。
若者が見たら、例えば激しく共感を覚えるとか、違う感想が浮かぶのでしょうか。
客席の平均年齢はかなり高かったと思うので、若者の感想を聞くのも難しそうですが。
またどうぞ遊びにいらしてくださいませ。
投稿: 姫林檎 | 2017.04.09 22:49
こんばんは、姫林檎様。
まだまだ暖かくはならないようで、夜のお花見は気をつけないといけないですね。
私も先日観てきました。
ジャンの本心は結局どうなの?と
思っていたら終わりました。
そんなに長い時間ではなかったのに確に集中していて疲れました。
投稿: アンソニー | 2017.04.04 22:09