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「ハムレット」
作 ウィリアム・シェイクスピア
翻訳 松岡和子
演出 ジョン・ケアード
演奏・音楽 藤原道山
出演 内野聖陽/貫地谷しほり/北村有起哉/加藤和樹
山口馬木也/今拓哉/大重わたる/村岡哲至
内堀律子/深見由真/壤晴彦/村井國夫
浅野ゆう子/國村隼
観劇日 2017年4月15日(土曜日)午後1時開演
劇場 東京芸術劇場プレイハウス
上演時間 3時間25分(15分の休憩あり)
料金 9000円
ロビーではパンフレット等が販売されていた。
感想は以下に。
舞台の真ん中少し向かって右寄りに八百屋になっている舞台を乗せている、という感じだった。
その八百屋の舞台の、向かって左側の客席が設けられ、向かって右側に縦笛(尺八ではなかったと思う)の奏者がおり、役者さんたちがそこで待機もしている。
八百屋の舞台の奥に通路があって、左右にはけていくことができる。
全体に黒っぽく、背景には抽象的なマーブル模様のような、木洩れ日が作る影のような感じの映像が投影されていた、と思う。
役者さんたちが全員舞台に上がり、不思議な「動き」をするところから始まった。
くねくねしている訳ではなく、基本的には立って歩いている。停まったり、リズムを取ったり、体を前後に揺らしたり、上半身を折ったり、そういう動きだ。
どういう意味があるのかと言われると、判らない。そこ特に、例えばデンマークらしさとか、ハムレットっぽさといったものが表されていた訳ではないと思う。
大音量の音楽だったり、ダンスシーンだったりと同じ「客席を巻き込む仕掛け」だと思う。
役者さんたちの衣裳は、ほぼモノトーンで統一されている。
男優陣は黒、女優陣は白、「仕える立場」の役はグレーの衣裳だ。
最初の頃は照明が暗めだったこともあって、何だかもの凄く暗い舞台だという印象が強い。そんな中で、浅野ゆう子演じるガートルートと、貫地谷しほり演じるオフィーリアの白いドレス姿はとても目立つ。
演出がジョン・ケアードだし、多分、「斬新」な演出だったんだと思う。
微妙な書き方になっているのは、私の受けた印象は「正統派」だったからだ。もっとも、どういった舞台をもって「正統派」というのか、「正統的なハムレット」というのがどういう芝居なのか、判っていないのに書いている訳だから、全く何の根拠もない。
でもやっぱり、「正統的な」という印象を持った。
えー! と思ったのは、ハムレットの父王と、ハムレットの父王を殺して王となったその弟と、両方を國村隼が一人で演じていたことだ。
ハムレットが尊敬する父王、その父を殺して王となり母も娶った叔父、その両方を同じ俳優が演じる。
兄弟だし、似ていても別に不思議はない。父王は「亡霊」としてしか登場しないから、見分けがつかないとか、見ているこちらが混乱するといったこともない。
それでも、父王を殺されたハムレットが復讐の的とする叔父王と、ハムレットが尊敬する父王を同じ役者さんが演じるというのは、アイデアとして秀逸かつ珍しいと思う。
前に「ハムレット」という戯曲についての話を聞いたことがある。
「ハムレット」の舞台となったデンマークは、シェイプスピアが書いた当時は正しく「バイキングの国」で、シェイクスピア的には(というか、当時の時代背景としては)、「ハムレット」は、大袈裟に言ってしまうと「蛮族の国の物語」として書かれたし受け止められただろうという感じの説明だったと思う。
なるほど、時代背景というものはあるし、それを知っているかどうか、意識するかどうかで、受け止め方はだいぶ違って来るんだろうなと思う。
もっとも、今回、私はその話を覚えてはいたけれど、「乱暴な遠い国で起こった王位継承争いの顛末」的な印象は特に持たなかったし、「そういう風に印象づけよう」ともしていなかったんじゃないかと思う。
毎回のように書いているけれど、今回も思ったので書いてしまう。
やっぱり、役者さんも舞台も「声」だよなぁと思う。今回登場した役者さんたちは、みな、声が通って台詞が聞き取りやすい。
そして、役者さんどうしの声のトーンが違うので、これまた聞き取りやすい。
台詞が聞き取りやすいというのは、こんなにも舞台を見る上でストレスにならないんだなぁと改めて感じ入った。
内野聖陽のハムレットと貫地谷しほりのオフィーリアとでは年齢が離れすぎてやしないかとか、オフィーリアが狂気に捕らわれる過程(というか、今回の舞台ではあるポイントがあったと思う)が判りにくいなとか、ガートルートが「何も知らない」善人なのか「全てを知っていた」悪女なのかよく判らなかったなとか、ハムレットはどうしてフォーティンブラスを後継者に指名したんだろうとか、どうでもいい感想は数々浮かんで来る。
中でも、何故だか舞台を見ているときは、「いつオフィーリアが狂ってしまうのか」が気になって、オフィーリアが登場するたびに注目してしまった。
あと思ったのは、幕引きは難しいなということだ。
多分、元々の台本どおりだと思う。最後に、ホレイショーが「この惨劇の全容を語る」と宣言して終わるのが「ハムレット」で、そしてこの舞台の始まりに戻る、という構造になっているからだ。
それなのに、「ここで幕引き?」と思ったポイントが3回くらいあった。
それは単なる私の願望で、「ここで終わってもいいんじゃない?」と思ったというだけの話だ。あっさり終わった方が印象深いんじゃないかと思う一方で、本当にあっさり終わったら「あっさりしすぎじゃない?」と不満に思うような気もする。
「どう始めるか」も「どう幕を引くか」も難しいなぁと思っていたら、暗転、舞台が終わった。
「ハムレット」を堪能した。
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