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「子午線の祀り」
作 木下順二
演出 野村萬斎
音楽 武満徹
出演 野村萬斎/成河/河原崎國太郎
今井朋彦/村田雄浩/若村麻由美 ほか
観劇日 2017年7月1日(土曜日)午後2時開演(初日)
劇場 世田谷パブリックシアター
上演時間 3時間55分(20分の休憩あり)
料金 8800円
ロビーではパンフレット等が販売されていた。
ネタバレありの感想は以下に。
勝手に「子午線の祀り」 というタイトルから、「岸辺のアルバム」みたいな昭和の時代のホームドラマみたいな内容を想像していた。
どうしてそういう連想になったのか、我ながら謎である。
もちろん、チラシ等にも書いてあったとおり、「子午線の祀り」 は、平家滅亡を平知盛と、源義経という、多分どちらも悲劇的な最期を遂げる二人の敵対する大将の立場から描いている。
舞台に最初に登場して中央に後ろ向きで立つ女優が若村麻由美だったことにかなり後になるまで気がつかなかった。2階席から斜めに見下ろしていたから余計に顔や氷上が判りにくかったということもある。
客席から黒ずくめの俳優達が次々と登場し、「自然に」という感じで舞台上にそれぞれ立ち、また座を占める。
そうして、ナレーションが何故か「宇宙」を語り出す。
天頂、重力、北極星、破軍星、月の動き、子午線、潮の満ち引きと語られて行く。
舞台上に灯の灯った蝋燭(に見えた)が置かれ、その場所から真っ直ぐ上に向けてライトで線が引かれ、舞台の上には水を張ったように鏡の役割を果たす円がある。
2階席から見たせいか、舞台の高さをもの凄く感じた。随分と天井高がある。
多分、空一面の星空を作るためだと思う。また、舞台に段差を設け、ある程度の高さのある舞台を前後に動かしたりしていたので、その動きを助けて活かすためということもあったと思う。
奥行きもかなり取ってあったし、舞台セットだけでも壮大というイメージが伝わって来る。
一ノ谷の戦いで源義経の急襲を受けて平家が敗北し、四国に逃れて再起を図っているところから物語が始まる。
まさに平家滅亡のカウントダウンがかなり進んでいる場面だ。
総領である兄の宗盛は、一ノ谷の戦いの際、和解のため後白河院から停戦を命じられていたにも関わらず、それを知ってか知らずか、あるいは後白河院の陰謀だったのか、源氏が攻めてきた拘っている。知盛が「いかに負けるか」に思考をシフトさせ、後白河院に再度の和解を願い出ようとしているのを知っていると、宗盛の姿勢は腹立たしいけれど、よく考えれば、和解の仲立ちを頼もうとしている相手が信じられるか否かというのはかなり重要なポイントで有る。
この芝居では知盛が正義という雰囲気が強いけれど、決して知盛を正解として描いた訳ではないのだと思う。
知盛はこの兄の優柔不断の他に、逆にひたすら三種の神器を守って主戦論を唱える四国の豪族である民部という別の反対勢力も背負っている。
右を向いても左を向いても頼れる味方や参謀役がいない中、白拍子の影身に心情を語り、弱気を語り、後白河院への和解の使者を依頼するけれど、それを察知した民部に影身を殺されてしまう。
彼女は、この後、語りを引き受けることになり、登場人物でありながらその場にはいない、「天の声」みたいな役割を担うことになる。
舞台としてはナレーションのように、舞台上にいない役者さんが語っている声が客席に流れることも多いし、舞台上にいる役者さんたちが声を揃えて、台詞というよりは情景描写を語っていることも多い。
これは、演出というよりは戯曲の指定らしい。
最初の頃は、「声を揃えて語る」ということをあまり聞いていなかったし、語られている言葉も平家物語の地の文風だったり、現代語よりも古い感じの言葉であることが多く、かと思えばいきなり「グレゴリオ暦」東経**度」とか「子午線」とか学校の授業でしか聞かないような言葉がつるつると語られたりして、あまり内容を聞き取ることはできてなかったかも知れない。
それが、舞台が進むにつれて、声の揃い具合も多分整ってきて、こちらの目と耳も慣れてきたのか、違和感なく聞き取れるようになった。
1幕のほとんどは知盛の物語で、後半の一場だけが多分、義経型を描いていたと思う。
こちらも「悲劇の若者」のイメージが強いけれど、知盛と違うのは、「子飼いの子分」がいたことと、明確な反対勢力がいたことという感じだ。
戦は天才的、だけれど、世の中の仕組みだったり頼朝という兄のことはほとんど判っていない、世間知に長けた武蔵坊弁慶の忠告もなかなか受け入れられない、そこにどんどんつけ込まれ、兄から疎まれていく様子の方が、「大勝利で平家を滅亡に追いやる」ことよりもクローズアップされていた。
悲劇の主人公対悲劇の主人公という感じだ。
知盛はずっと「自分のこうした生き方、来し方はすでにどこかで決められていたことだったのか」とずっと思い疑っているけれど、義経は考えていない。その代わり、自然現象であるところの「潮の流れ」にずっと拘り続け味方に付けることで自らの勝利を呼び込もうとする。
知盛は、こうした自分の疑問をずっと語るけれど、義経は語らない。
知盛が主人公のシーンは一人称、義経が主人公のシーンは三人称で描かれているように見える。
壇ノ浦の戦いは、義経が「海の戦のルール」を正面から破ったことと、平家にずっと味方してきた四国の豪族民部が「平家が負けたら知盛を海を越えて大陸に逃がす」という最後の作戦に敗れたことをきっかけに寝返ったこと、それが決め手となって平家は敗北し,滅亡することになる。
運命だったり、潮の満ち引きだったり、「人の力ではないこと」によって動かされることを描いてきた最後、勝敗も滅亡も、それを決したのは「人の心」だったというところが、この戯曲のポイントなのだと思う。
壮大な物語で、面白かったとか楽しかったとか簡単には言えないけれど、結末をよく知っているにも関わらず、思いがけず集中して見てしまった。
本当に大きな、大柄な物語で、舞台だった。
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