「リア王」を見る
子供のためのシェイクスピア「リア王」
作 ウィリアム・シェイクスピア ~小田島雄志翻訳による~
脚本・演出 山崎清介
出演 福井貴一/戸谷昌弘/土屋良太
佐藤あかり/若松力/加藤記生
チョウ ヨンホ/大井川皐月/山崎清介
観劇日 2017年7月16日(日曜日)午後6時開演
劇場 あうるすぽっと
上演時間 2時間10分
料金 5000円
* 終演後アフタートークあり
ロビーではパンフレット(1000円)が販売されていた。
また、衣裳を試着できるコーナーが設けられていた。
久々に早めに劇場に行き、イエローヘルメッツを堪能した。
若干、MCで滑っていたけれど、それもご愛敬である。かなり前には、実際に役者さんが歌っていた記憶があるけれど、最近はずっと「口パク」である。ちょっと残念。
開演前に歌うと、喉に負担が大きいのかも知れない。
そして、開演である。
黒いコートを脱がせるように命じた人物が、リア王だ。
有名な、王が3人の娘に「自分への愛情」を語らせるシーンから始まる。何故かこのシーンで、コーディリアだけは「内心」を台詞でしゃべるところが、毎度のことながら不思議である。
そうして、コーディリアがどれだけいい娘なのかということを表し、ついでに姉二人を憎々しげに演じさせることで、リア王の愚かさを浮かび上がらせようとしているように見える。
子供のためのシェイクスピアシリーズは毎度のことながら、セットがほとんどない。
今回は本当にほとんどなくて、舞台奥に下がっている黒いカーテンと、いつもの机と椅子だけだった。あと、リア王を乗せるためのキャスターの付いた机が一つちょっと出てくるだけである。
小道具もほとんどない。手紙と剣くらいだったろうか。
役者さんも9人(シェイクスピア人形を入れると10人)しかおらず、ほぼ全員が一人二役以上を演じていたと思う。
アフタートークで、松岡和子さんが、シェイクスピアのモダンテキストには、「こうばんひょう」というものが付いていて、どのシーンにどの役が出ているか一目で判り、どの役とどの役を同じ役者が演じることができるか一目瞭然だそうだ。
シェイクスピアの時代も、シェイクスピアを演じていた劇団に役者は14〜15人しかおらず、恐らく一人で何役も演じることが通常だったのだろうというお話もあった。
子供のためのシェイクスピアシリーズで、リア王は今回が3演だそうだ。
私は初演か再演のどちらか、あるいは両方を見ている。もはや記憶がない。
だから全く定かではないながら、見ているときに、随分と前に見た「リア王」とは違うなという印象を持った。こんなシーンがあったかしらとか、こういう筋立てだったかしらとかそういうことだ。
こちらも終演後のアフタートークで出ていたところでは、前2作の「リア王」は、死んでしまったリア王が自分の物語を振り返って語るという形を取っていて、シェイクスピア人形の役どころは「死んでしまったリア王」だったそうだ。
今回は、「リア王」の各シーンを全て台本に盛り込み、かつ、台本通りの順番で上演しているという。
なるほど、と思った。
しかし、何よりも「いつもと違う」のは、全ての作品に出演されてきた伊沢磨紀さんが、今回、出演していなかったことだと思う。
理由はよく判らない。
でも、やはり彼女がいないと「淋しい」「何だか櫛の歯が欠けたようだ」という感じが大きい。大袈裟に言ってしまうと「喪失感」すら感じる。
来年は「冬物語」を上演するというお話で、復帰を切望する。
「リア王」に戻ると、リア王を姉娘二人が疎んじるのも仕方がないかなぁという気がする。
結構、やりたい放題だ。
姉娘二人も全くいい人ではないし、彼女たちを擁護しようとは思わないけれど、しかし、言いたいことは判る気がする。王国を半分ずつ受け継いだ、父王から「譲る」と言われた、そしたら自分達が「王」である、「王」であるなら他者の命令に従う必要はない。
割と普通の発想のような気がする。
しかし、「リア王」では、姉娘二人は徹底的に悪者である。
長女ゴネリルの婿だけはいい人っぽいけれど、次女リーガンとその婿のコーンウォール伯夫婦など、二人揃って腹黒い意地悪な感じがする。
しかも二人揃って、「エドモンド」という(多分、彼女たちよりずっと若い)男を取り合っている。
このエドモンドの部分は「リア王」という王の物語からするとサブストーリーみたいな位置づけだと思う。
王に忠実なグロスター伯は、庶子であるエドモンドにすっかり騙されて、嫡子のエドガーを「自分の命を狙った」と誤解して追放し、エドモンドに全幅の信頼を置いて相続も約束する。
もちろん、それはエドモンドの策略の結果で、エドモンドは、グロスター伯の地位を約束されただけでは満足せずに悪巧みを続け、ゴネリルとリー眼の双方に取り入り、双方から「自分の夫に」という約束を取り付ける。
あとはもう、ゴネリル、リーガン、リーガンの夫とエドモンド、悪役4人の独壇場だ。
リア王はゴネリルとリーガンから荒野に放り出され、自身が追放したコーディリアが嫁いだフランス軍がドーバーに上陸したという知らせを受ける。
コーディリアを庇ったことに腹を立ててこちらも追放したケント伯、リア王のためにフランス軍(つまりはコーディリア)と通じたことを理由にコーンウォール伯に目を潰されたグロスター伯、息子だと伝えずにグロスター伯を案内してきたエドガーらもドーバーに向かう。
しかし、結局、エドモンドが率いるブリテン軍がフランス軍に勝利し、エドガーに真相を告げられたグロスター伯はショックを受けて亡くなり、エドモンドはそのエドガーに決闘を挑まれて敗れる。
そのエドモンドに「リア王とコーディリアの暗殺を指示した」と死に際に告白されて(どうしてここだけいい人になっているのか不明である)、慌ててその場にいた「リア王の忠臣」たちは牢獄に駆けつけたものの、時既に遅く、コーディリアは死んでおり、その死を悟ったリア王も死んでしまう。
この「コーディリアは既に死んでいた」という部分が私には今ひとつピンと来ず、「死んじゃったっぽい照明の当たり方だし、しゃべらないから死んじゃっているっぽいけれど、今ひとつ確信が持てない」と思いながら見ていた。
確信が持てないといえば、ケント泊は、王から追放され、しかしその王に影ながら付き従っているときにずっと「カイラス」という植木職人の親方の人形と一緒にいる。
私は、ケント伯と一緒に「カイラス」という人物もリア王から追放されたのだとばかり思っていたけれど、アフタートークによると、カイラスというのはケント伯が身をやつしたときの名前だったらしい。
そこで人格を二つに分けたというお話だったけれど、芝居を見ているときにそれと悟るのはまず無理だと思う。
リーガンを演じた佐藤あかりとエドガーを演じたチョウ ヨンホのお二人の声が特に格好良かったなぁと思う。
よく通り、説得力がある。
何だか彼らが語ると全てが真実のように感じられる。声の力というのは大きい。
これまたアフタートークで、松岡和子さんが悪人の台詞を訳しているときは自分もとても乗って書いている、だから、シェイクスピアが書いているときも相当に乗って書いていただろうし、台詞をしゃべっている役者さんも悪役のときの方が乗ってしゃべっているのではないかと語っていて、なるほどなぁと思った。
リア王も、別に「悪役」ではないけれど、ゴネリルとリーガンを呪いまくっているから、その全身全霊を賭けた呪いの台詞を語っているときは、役者さんも相当のエネルギーを使うだろうけれど、しかし同時に自分の内なる「悪」が湧き出てきて相当に乗っているんじゃないかとも言う。
面白い。
「子供のためのシェイクスピア」シリーズはやっぱり面白い。そして、深い。
楽しかった。
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