「円生と志ん生」を見る
こまつ座「円生と志ん生」
作 井上ひさし
演出 鵜山仁
出演 大森博史/大空ゆうひ/前田亜季
太田緑ロランス/池谷のぶえ/ラサール石井
演奏 朴勝哲
観劇日 2017年9月23日(土曜日)午後6時30分開演
劇場 紀伊國屋サザンシアター
料金 9000円
上演時間 2時間40分(15分間の休憩あり)
ロビーではパンフレット等が販売されていた。
また、寄席のチケットが販売されていたり、落語協会提供の寄席のクリアファイルの抽選が行われたりしていた。1番違いで貰えずにちょっと残念。
ネタバレありの感想は以下に。
「円生と志ん生」は初めて見ると思っていたら、実は10年前に見ていたらしい。
全く覚えていなかったところが情けない。芝居を見終わってから気がついたので、見ているときは「初めて見る芝居を見る」と思って見ていたし、全く記憶が刺激されることも亡かった。ますます情けない話である。
当たり前のことながら、芝居の筋は変わっておらず、前回見たときと同じである。
出演者陣は全員変わっている。
ちゃらんぽらんな感じの強い志ん生をラサール石井が、生真面目な割に女性にもてる円生を大森博史が演じている。
女優4人はまさに八面六臂の活躍で、全てのシーンで異なる女性の役を演じている。最初は「ん? このシーンのあの女性とあのシーンのこの女性は実は同一人物?」と思ったりもしたけれど、それは私の穿ちすぎだった。
中でも池谷のぶえの振り幅の大きさが凄い。旅館の女中、置屋の芸者、女学生、修道女見習い等々、演じ分けているというよりも別人だった。
そしてまた、女優4人の歌声も綺麗だ。
円生と志ん生の二人の歌は味がありつつも上手くはないので、この芝居の「歌」と「振り」を支えきったのは、ピアノと出ばやしの太鼓を演奏した朴勝哲と、女優陣だと思う。
明るい笑顔で、綺麗な歌声で、しかし歌詞を良く聴くと悲惨な現実だったり夢のなさだったりを歌っている。
10年前、私はそこに違和感を感じたらしいけれど、今回は、これでこそ井上ひさしという感じがした。
また、前回見たときとの違いといえば、前回、私は円生が気の毒で仕方がなかったらしい。それはお調子者の志ん生に振り回される生真面目過ぎる男というイメージによるものだと思う。
でも、何故か今回は「気の毒」という印象は持たなかった。
理由はよく判らない。
演じているラサール石井と大森博史のキャラクターによるものかも知れないし、演出の方針かも知れない。円生と志ん生が割と対等な感じに見えたこともその理由のように思える。
どこで道が違ったのか、「大連限定の妻」を持った円生と、それを拒否した志ん生との間での経済格差は開く一方だったようだ。
円生は俳優業もこなし、志ん生は「噺家と役者は違う」とそれをやろうとしない。
しかし、二人とも「落語」が好きで、「落語」の話を始めると止まらず、いつか日本語が通じるたくさんの人達の前で思いっきり日本語で落語をやりたいという希望をずっと持ち続けている。
それは、本当に「九死に一生を得た」と言えるような大連生活の中でもずっと持ち続けていた希望だ。
この、「日本語を日本語として話したい」という希望には、もちろん落語をおもいっきりやりたいという気持ちも入っているけれど。様々なその他の意味も込められていると思う。
そもそも「言葉で笑わそう」という落語の寄って立つところだったり、人を笑わせることのできる言葉の力を発揮させたいという気持ちだったり、疑心暗鬼に捕らわれたり告げ口合戦になってしまっているような日常と決別したいという思いだったり、いわば、直球で自分の心情を自分の言葉で語りたいということだったんだろうと思う。
自分の心情を自分の言葉で語れない状況を強制されるのは辛い。
現在の、「忖度」が求められて自分の心情を自分の言葉で語ることを自主規制することが暗黙に求められているような状況も、同じように辛いし、打破されるべきだよと思う。
そういうことを「思わず」考えさせられるところが、井上ひさしの芝居の真骨頂と思う。
ウィキペディアを見たら、実際は、志ん生よりも円生の方が先に帰国したらしい。
しかし、この芝居では逆に円生が「大連での妻」との関係の整理のために残り、志ん生は先に帰国している。
これまで遠かった祖国が、おかみの方針一つで明後日には辿り着ける近さになっている。そんなのはおかしいと言う円生の言葉にも、やはり、今の日本の政治状況に対する「言うべきこと」であるという気がする。
もちろんこのお芝居が史実に基づく必要はないと思うけれど、しかし、わざわざ「帰国の順番」を変えたことにどんな意味があるのだろう。
「円生と志ん生」は帰国後、「名人」と呼ばれる落語家になる。
「名人」と呼ばれるようになった裏には、大連から帰国できずに「九死に一生を得た」ことが関係している筈だ。それも、噺家二人が一緒に「九死に一生を得た」ことが関係していない訳がない。
そこで、「言葉」の力を改めて思い、「笑い」の力を再認識し、落語の力とする。
そういう話であると同時に、「今の日本」「今の私たちが語っている日本語」のことを考えさせるお芝居だった。
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