「ボストン美術館の至宝展 ― 東西の名品、珠玉のコレクション」に行く
2017年9月、東京都美術館で2017年10月9日まで開催されているボストン美術館の至宝展 ― 東西の名品、珠玉のコレクションに行って来た。
ちょうど、西洋美術館で開催されていたアンチンボルド展が最終日でもの凄い混雑振りだった。
もちろん、ボストン美術館の至宝展も、日曜の15時半過ぎという時間で、チケット売場や入口こそすんなり通れたものの、中に入ると2重くらいの人だかりになっていた。
今回の美術展の「目玉」は、英一蝶の「涅槃図」と、ゴッホのルーラン夫妻の肖像画だ。
美術展全体の構成としては、古代エジプト美術に始まり、中国、日本、フランス、アメリカと来て、版画と写真、最後に現代美術という7章になっている。
それぞれ、「どのようにしてボストン美術館の所蔵となったのか」というところに着目していて、ボストン美術館とハーバード大学と共同でエジプトの発掘をしていたり、コレクターからの寄贈を受けて展示していたりする。
日本美術については、高校の日本史の授業で名前を聞いた記憶のある「フェノロサ」がコレクターとして名前を挙げられていた。
目玉の一つの「涅槃図」もフェノロサのコレクションだったそうだ。
かなり大きな絵で、縦2.9m、横1.7mもあるため、ボストンでもほとんど公開されたことがなかったそうだ。その絵について、一部は公開で修復を施し、今回初めて里帰りしたという。
あまり人目に触れていない作品、という訳だ。
虎とか豹とか、人々や動物たちが描き込まれているのが「一蝶らしい」ということになるそうだけれど、残念ながら私は「英一蝶なんて名前を初めて聞いたよ」という状態なので、今ひとつピンと来なかったというのが本音だ。
涅槃図よりは、中国の陳容という人が描いた「九龍図」の方が何となく親しみが湧いた。
かなり長い巻物みたいなもの(10mくらいあるらしい)に、龍が空を駆けたり海を渡ったり、老練の龍に教えを請うたりしている姿が描かれた墨絵だ。
身体の真ん中辺りが常にぼかされていて、「中略」みたいな感じでその大きさや長さをイメージさせようという作戦なのかなぁと思う。
ゴッホの「郵便配達人ジョゼフ・ルーラン」と、その妻を描いた「子守唄、ゆりかごを揺らすオーギュスティーヌ・ルーラン夫人」の絵はもちろん並べて展示されていた。
アルルでのゴッホの生活を物心両面から支えたご夫婦だそうだ。
このご夫婦をそれぞれ描いた肖像画は数枚ずつあって、今回やってきた夫バージョンは最初に描いたもの、妻バージョンは最後に描いたものらしい。
あー、何となくそれは判るなぁと2枚を見比べて思った。
ゴッホの頃は、夫婦を一枚の絵に描くという習慣はなかったのかしらとも思った。
ゴッホの絵はフランス絵画に含まれるのかしらというところに若干の疑問を残しつつ、やはり日本にやってくる美術展なので印象派の絵は落とせない。
ルノアールの黒っぽい濃い色をバックにしたお花の静物画や、ドガの踊り子の絵の「描きかけ」、モネのルーアン大聖堂の絵などもやって来ていた。
「アメリカ絵画ってよく知らないよ」と母と二人でほとんど駆け足になってしまったのは申し訳ないけれど、本当によく知らない。名前も聞いたことがないなぁという体たらくである。
アンディ・ウォーホルが描いたジャクリーン・ケネディの肖像画くらいまで最近になると、やっと「知っているよ」となる。村上隆の大きな絵も展示されているのが何となく楽しい。
しかし、現代まで近づいたところで気になったのは、アンセル・アダムスの写真だ。
私の中では、アンセル・アダムスはロス・アラモスを撮った写真とセットで記憶されているけれど、今、ネットで検索したらなかなかそういう関係が出て来ない。私の記憶違いだろうか。
モノクロの写真で白と黒のコントラストが強調され、白が浮き出てきているようにすら感じられる。
静謐という言葉がよく似合う写真だと思う。そして、静謐なのに雄弁だ。
「白い枝、モノ湖」という写真が印象に残って、絵はがきがあったら欲しいなと思って探したけど、そもそもアンセル・アダムスの写真の絵はがきはなかった。残念である。
混雑していたこともあって、80点の作品を見るのに1時間半かかった。
もうちょっと空いているときに見たかったなぁとも思うけれど、もの凄く久しぶりの美術展を充分に堪能した。
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