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「危険な関係」
作 クリストファー・ハンプトン
翻訳 広田敦郎
演出 リチャード・トワイマン
美術・衣裳 ジョン・ボウサー
出演 玉木宏/鈴木京香/野々すみ花/千葉雄大/青山美郷
佐藤永典/土井ケイト/新橋耐子/高橋惠子 ほか
観劇日 2017年10月21日(土曜日)午後2時開演
劇場 シアターコクーン
上演時間 2時間30分(15分の休憩あり)
料金 10500円
パンフレット等はチェックしそびれた。
ネタバレありの感想は以下に。
台風も来ているし、見に行こうかどうか迷ったというのが正直なところだったけれど、実際、何故だか面白かった。
見に行って良かったと思う。
舞台はフランス社交界だし、「侯爵夫人」や「子爵」が出てくるし、「修道院」も結構重要なポイントになっているし、現在の私の生活との接点が全くないにも関わらず、不思議と集中して見ていた。相変わらず、登場人物の誰かに感情移入して見ている私にしては珍しいことだ。
鈴木京香演じるメルトゥイユ夫人は、女であることが不満なのか、男に対して敵意しか持っていないのか、あるいは単純に政治力に長けている女性なのか、「社交界」を引っかき回し、男を引っ張り回し、気に入ろうが気に入るまいが自分の周りの人々を傷つけても全く平気、それどころか「自分に傷つけられる方が悪い」と言い放ちそうな感じの女性である。
身分社会で、なまじ身分が高いところも始末が悪い。
そういう彼女の性格を象徴させようというのか、メルトゥイユ夫人はつねに胸元が開いて襟が立ち、膝下丈の膨らんだスカートというワンピースを着ていた。張りと光沢のある生地も共通していて、いかにもだなぁとも思ったし、何となくもっと長いスカートだったんじゃないのとも思った。
このメルトゥイユ夫人と、玉木宏演じるヴァルモン子爵は、元恋人同士で今は友人関係だと本人達は言っているけれど、要するにプレイボーイとプレイガールが一時休戦し、今はそれぞれが獲物を狙う際に協力関係を取っている、という感じらしい。
テレビで見る玉木宏の声がいいなぁと思っていたけれど、舞台でもいい声は健在だった。クリアで聞き取り易い。変な言い方かもしれないけれど、中谷美紀みたいだ。
メルトゥイユ夫人が過去に付き合っていた男性に報復するために、相手の男の婚約者である友人の娘であるセシルを誘惑するようヴァルモン子爵に頼むところから話が始まり、しかし、ヴァルモン子爵は、叔母の屋敷に滞在している貞淑と名高い法院長夫人を誘惑することに夢中になっている。
当然、メルトゥイユ夫人の依頼は断るけれど、紆余曲折の末、結局、ヴァルモン子爵は「二兎」を追い、そして成功する。
メルトゥイユ夫人は全くもって「恋愛」なんてものは超越しているかのように振る舞っているけれど、ヴァルモン子爵が「恋愛ゲーム」の範囲を超えて法院長夫人に本気になっていることに敏感に気付き、セシルが恋している相手の青年と恋愛ゲームを始める。
だから。誰のどの気持ちが本物なの! と叫びたくなるけれど、多分、誰のどの気持ちも本物ではないのだ。
敢えて言うと、「単なるプレイボーイ」と警戒心も露わにしていた法院長夫人が、ひたすら口説かれているうちに惹かれるようになった、というその気持ちだけが本物だったのかも知れない。
彼女の心変わりの様子や、自分を責める感じが、何よりもスリリングだった。
ヴァルモン子爵がどうしてセシルを誘惑する気になったのかとか、最後にどうしてヴァルモン子爵とセシルと恋仲のダンスニーと決闘することになたのかとか、何故かヴァルモン子爵の行動の説明がなかったのが謎だけれど、とにかく決闘が行われ、「勝った」と油断したヴァルモン子爵をダンスニーが撃ち、最終的に刺し殺してしまう。
ヴァルモン子爵はダンスニーに「メルトゥイユ夫人に気をつけろ」という忠告を残し、法院長夫人に伝言を頼む。
ヴァルモン子爵が亡くなったことを聞いた法院長夫人はショックで死んでしまい、ヴァルモン子爵の叔母、メルトゥイユ夫人、彼女の友人の3人が田舎の屋敷に集まる。
ヴァルモン子爵のことも結局は手玉に取って、「法院長夫人に本気になった」と詰り、彼女と別れることを条件に自分との一夜を約束したメルトゥイユ夫人が、ここに来て初めて動揺を見せる。
何に動揺していたのか忘れているところが我ながらマヌケだけれど、動揺した理由は、多分、ヴァルモン子爵の叔母が、メルトゥイユ夫人の何枚も上を行き、彼女の過去の所業を全て判っている気付かれているしかし大全としている、ということに気がついたからだったような気がする。
そうして3人がソファに並んで腰掛けて話しているときも、ヴァルモン子爵が舞台上にいて死に続けている。
このお芝居の舞台セットはずっと同じで、家具を出したり片付けたり、スクリーンを開けたり閉めたりして、場面転換をしていた。場面転換のときに、そのスクリーン開け閉めだったり、家具の再配置だったりしているときに、前後の場所と時間を重ねるようにしていたのが不思議な感じだった。
不思議といえば、ヴァルモン子爵の叔母の家の庭が何故か和風庭園風にしつらえてあったのが不思議だった。彼女の家のシーンでは必ず字幕で「田舎の」と出していたから、日本庭園が田舎の象徴だったのかも知れない。多分、日本人の演出家だったらしないだろう発想だ。
よく判らないし、全く誰にも共感できないけれど、でも、メルトゥイユ夫人と法院長夫人と、二人の女の「この後の展開」が常に気になって集中してしまう、不思議な舞台だった。
この芝居を見て「サド侯爵夫人」が思い浮かんだけれど、多分、2つのお芝居の間には何の関係もないと思う。でも、何だかずっと頭の片隅に有り続けていたような気がする。
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