「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」に行く
2017年12月、東京都美術館で2018年1月8日まで開催されているゴッホ展 巡りゆく日本の夢に行って来た。
西洋美術館で開催されている「北斎とジャポニスム―HOKUSAIが西洋に与えた衝撃」と、科学博物館で開催されている「アンデス文明展」とどれに行こうか決めずに出掛け、西洋美術館のチケット売場に行列ができていたのでそのまま東京都美術館まで行った。
ゴッホ展のチケット売場も行列ができていたけれど、建物の中で待てるところが有り難い。
入口には「大変混雑しています」の貼り紙があったけれど、少し待てば絵と1対1で向き合えるくらいの混雑具合だった。
今回の「ゴッホ展」は、主に日本の浮世絵との対比で展示がされている。
世界を巡って最後にはゴッホ美術館でも同じテーマで開催されるそうだ。何だか不思議な感じがする。
一番最初に展示されていたのは、ゴッホの自画像だった。
自画像は、日本云々ということではなく、この美術展における「自己紹介」のような感じだと思う。
この自画像が不思議で、恐らくは照明の具合だと思うのだけれど、1点だけ、右目に光が入っているように見える立ち位置があって、それが面白かった。
あれ? と思って左右に少しずつずれて立って見ると、その光は消えてしまったから、やはり多分、照明によるのだと思う。
展示としては失敗なのかも知れないけれど、ちょっと楽しい気分になった。
そして、いきなり、このゴッホ展のちらしにも描かれている「花魁 淫齋英泉による」の登場である。
淫齋英泉の名前は、少し前にNHKで放映されたドラマ「眩」でもその原作小説でも目にしていたので、何だか勝手に親しみを感じる。
淫齋英泉が描いた花魁と、ゴッホが描いた花魁とは、ぱっと見たときの印象が大分違う。
ゴッホが描いた花魁は、背景がまず色鮮やかで描き込まれているけれど、淫齋英泉の絵には背景はほぼない。
そして、振り返る向きが違う。
何故、花魁を振り向かせる向きを逆にしたんだろう、というのが最初に感じた疑問だった。
本当にこの浮世絵をモデルにしたのかしらまで思ったけれど、向き意外のポーズの取り方や、花魁が来ている着物の柄などは同じだ。
もっとも、浮世絵の花魁の着物にはきっぱりと「竜」と判る柄が描かれているけれど、ゴッホの花魁の着物はあまり竜っぽく見えない。竜だというよりも、着物の柄だと捉えられていたんじゃないかしらという感じがした。
いずれにしても、こういう直接にモデルとなった絵と見比べられるのは楽しい。
一番、判りやすい例である。
これが、植物をズームアップして描いたとか、そういう話になってくると「ほんっとうに、それが浮世絵の影響だったの?」と単純な私は疑わしく思えてしまう。
地平線や水平線を高い位置に置いて描くこととか、平面に捉えて陰影を付けないこととか、手前に大きな木や枝を描いて遠近を強調することとか、それらは本当にゴッホが「浮世絵から」影響を受けて始めたことなのかしらと疑い深くじーっと見てしまう。
何だかこじつけくさいなぁと思いつつ、でも、「ちょっとやってみよう」と思い立って描いてみた、ということもあっていいよなと思う。ゴッホ自身が浮世絵を400枚も所蔵していたというから、たまに出してきて眺めたり、部屋の壁に飾ったりしたこともあっただろう。
連作という描き方も浮世絵の影響だという解説がされていた。
富嶽三十六景とか、役者絵のシリーズとか、確かに浮世絵は同じテーマでいくつも作品が描かれていることが多い。
ゴッホが、オリーブの木の林などの絵を、角度等々を変えて描いたのはその延長ではないかといった説明のされ方をしていた。
ゴッホ自身が手紙などで書いているとはいえ、「アルル=日本=桃源郷」みたいな解釈もちょっと眉唾だよなぁと勝手に思ってしまう。
風景として似ていないじゃないかと思う。
もっとも、「こういうモノを描くこともありなんだ」とか、そういう自由度みたいな枷を外すような役割を遠い異国の絵がもたらしたということはありそうな気もする。
ゴッホが持っていた「日本」のイメージは、多分、当時の日本とだいぶ違う訳だけれど、それは現代だって同じだ。
いわゆる「ゴッホらしい」有名な作品というのは、実は来ていない。
例えば「ひまわり」とか、「アイリス」とか、「画面全部が黄色!」「画面全部が青!」みたいな作品群ではなく、もうちょっと穏やかな画風の絵が多い、ような気がする。
それは「日本の影響」という切り口から選んだ結果なんだろうか。
中では「寝室」と題された、アルルでゴッホ自身が暮らした部屋を描いた絵が「ゴッホ!」と私のようなモノ知らずでもすぐに特定できる絵だったと思う。
やはりそこでも「陰影がない」ことが強調されていたと思う。
「水夫と恋人」という絵は、実際は橋のかかった川沿いの道を二人が歩いている、という大きな絵(そのスケッチと色指定の紙が残っている)の、その「水夫と恋人」の二人がいる部分だけを切り取って残されている、という不思議な来歴の絵である。
不思議な来歴の絵というよりは、どうして大きな風景画の一部、人間が二人描かれている部分だけ、切り取って今に残されているのか、その経緯は不明だそうだ。
この「一部だけ」を見ても、原色が大胆に配された絵だったんだろうなということが判る。
その絵全体を復元するという試みが今行われているそうだ。
面白い試みだと思うし、復元途中の絵が展示されていてそれも興味深かったけれど、でも、復元はしなくていいんじゃないかなぁとも思った。
正直に言って、遠近法とか、陰影とか、よく判らない。
この絵が平面的に描かれているのかどうか、よーく考えると何を持って判断すればいいのか自分が判っていないことが判る。
それで「そうかなぁ?」としげしてと見てしまうことが多かった。
このゴッホ展では、ゴッホの死後に日本の画家たちが、ゴッホの最期のときまで世話をしていたガシェというお医者さんの家に行ったり(そこで残された芳名帳が今回展示されている)、テオのお墓と並べられたゴッホのお墓にお参りしたりしていたそうだ。
ガシェの家を訪ねた折の映像が残されていたりして、考えたらゴッホが活躍していたのは19世紀も終わり頃なんだよなと改めて思ったりした。
ゴッホの絵と浮世絵、並べて展示されていて、それを見比べるのも楽しい。
そして、混雑している割に、意外とゴッホの絵と向き合える。
ガラスに入っていない絵がいくつもあるのも嬉しい。(そのためか、会場の温度は21度に設定されていて、ちょっと涼しく感じる。)
たっぷり1時間半、たっぷりのゴッホの絵を楽しんだ。
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