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2018.02.25

「ドレッサー」を見る

加藤健一事務所「ドレッサー」
作 ロナルド・ハーウッド
訳 松岡和子
演出 鵜山仁
出演 加藤健一/加納幸和/西山水木/石橋徹郎
   金子之男/岡﨑加奈/一柳みる
観劇日 2018年2月25日(日曜日)午後2時開演
劇場 本多劇場
上演時間 2時間40分(15分の休憩あり)
料金 5400円
 
 ロビーではパンフレット(540円)が販売されていた。

 今、このブログを検索してみたら、私は10年以上前に「ドレッサー」を見ているらしい。
 全く覚えていなかった・・・。

 ネタバレありの感想は以下に。

 加藤健一事務所の公式Webサイト内、「ドレッサー」のページはこちら。

 この芝居の中で「役者は観客の記憶の中にしか残らない」という台詞があるけれど、私は、この芝居を前に見たことがあるということを全く忘れていた。
 自分が当時書いた感想を読んでも、申し訳ないことに全く思い出せない。

 第二次世界大戦中のイギリスが舞台である。
 若者たちは戦争に取られ、シェイクスピアを専門に上演しているらしい劇団は、座長とその妻、老境の俳優や足を悪くしている俳優、新人女優などぎりぎりの人数で何とか旅公演を続けている状態だ。
 加藤健一演じる座長ももはや精神的に限界で、この日も雨の中を一日歩き回り、外套を脱ぎ捨て帽子も脱ぎ捨て、その外套と帽子を踏みつけているところを、加納幸和演じる付き人のノーマンに発見されたようだ。

 ノーマンはこの日の「リア王」の公演を何とか実現させたいと一人で焦っているけれど、西山水木演じる妻も(結婚はしていないようだけれど)、一柳みる演じる舞台監督のマッジも、座長を舞台の上に引っ張り出すのは無理だと考え、上演中止の算段を付けようとしている。
 そこに座長が病院を抜け出してきて、ノーマンは座長をたき付け、女性陣二人を説き伏せて、何とか上演にこぎ着けようと奮闘する。

 その上演までの奮闘と、上演中の奮闘が、この舞台の主なシーンだ。
 座長は「止める訳にはいかない」と言いつつも、精神的に酷く不安定で、台詞が思い出せないと呻いたり、頭を抱え込んでなかなかメイクや着替えを始めなかったり、新人女優にちょっかいを出そうとしたり、弱気になったり、八つ当たりをしたり、とんでもない。
 その座長をなだめすかし、持ち上げ、褒めまくり、自分の話で気をそらし、ノーマンは他の誰も彼もを控え室から追い出して、何とか舞台に立つところまで持って行こうとする。

 ノーマンが座長に惚れているのは確かなようだけれど、そこに性的な意味が含まれるのかどうかまでは分からない。
 女優の妻は、半ば呆れつつ複雑な感情を持て余しつつ、何とか座長を支えようとしているようだ。
 新人女優は、座長を踏み台に何とかして女優としてやって行こうとしているように見える。
 あまりはっきり語られることはなかったと思うけれど、この座長はシェイクスピア俳優としてはけっこう評価されていて、しかし、彼の率いる劇団はあまり評価されていない。そこに妻の葛藤があり、新人女優の作戦がある、ように見える。

 空襲警報や爆撃の音に怯えて(当然のことである)なかなか舞台に登場しようとしなかった座長が何とか舞台に出て、台詞を語り始めれば、それは朗々とした声のいかにもシェイクスピアな舞台が展開される。
 やはり、「一流の役者だ」という設定なのだ。
 舞台に登場してからも弱気になったり強気になったりする座長に、ノーマンは気付けの強そうなお酒をかっくらいながらも、自分の感情を抑え、ご機嫌を取り、何とか芝居を続けさせようとする。
 この異様な「show must go on」への執着がどこから来ているのか、よく分からなかった。

 上演中、しばらく出番のない座長は楽屋で休み、そこにやってきたマッジに感謝を伝え、大きなサファイアの指輪を渡そうとする。
 マッジは座長に惚れていて、そのことを座長も分かっていたし、座長が分かっていたことマッジも分かっていた、らしい。
 何だかマッジが切ないなぁと思う。そして彼女は、指輪を左手の薬指に嵌めてみるものの、その姿を座長には見せず、すぐに外して返してしまう。
 マッジも、多分、座長の芝居を壊したくないんだろう。

 妻が「カーテンコールで舞台を止めると言って」と懇願したにもかかわらず、座長はどうにかこうにから幕切れまで持ってきた芝居の後のカーテンコールで、明日以降の公演の予定をアナウンスする。
 座長は、「これは義務だ」「止める訳にはいかない」「信念を貫き通さなくてはならない」と妻に語っていたけれど、その理由は最後まで語られることはない。
 役者が天職だというのはこういうことなんだろうか。

 終演後、控え室で化粧を落としている座長のところに、妻を含め役者たちが次々と挨拶に訪れる。
 もちろん、挨拶以外にそれぞれが言いたいことを言って帰って行く。
 残ったノーマンに、座長は「俺がいなくなったらどうするんだ」と聞く。船主に知り合いがいるから、ボーイ長に雇ってもらえるように頼もうなどと言っている。
 ノーマンは相手にしない。

 座長は回顧録をノーマンに読ませ、ノーマンが謝辞に自分の名前や「付き人」が書かれていないことに文句を言おうとして、座長が亡くなっていることに気がつく。
 ノーマンは最初は信じようとせず、半狂乱になり、マッジを呼び、泣き、回顧録に何やら書き足し、「舞台監督も書いていなかった」と回顧録を読み直し、座長を罵り、マッジを罵り、大混乱だ。
 大混乱の振りをして積年の恨みをぶつけているのかも知れない。

 マッジは、一足先にホテルに戻った座長の妻に連絡し、「リア王のマントをかけてやってくれ」と言われてかけようとして一度は返した指輪が座長の指にあることに気がついてそれをそっと自分のポケットに忍ばせる。
 このシーン、客席からは笑いが上がっていたけれど、笑うシーンなのかなぁと疑問だった。

 ノーマンがあっちとこっちに振り幅の大きい揺れ方を見せる中、マッジは何を思ったのか座長とノーマンだけを控え室に残して去って行く。
 そして、どういう幕切れだっただろう。
 死んでしまった座長とノーマンが控え室に残り、舞台の照明が消え、そしてもう一度照明が付いたときに、ノーマンを演じた加納幸和が本当に無表情で椅子にかけていたのが印象に残っている。

 この芝居が第二次世界大戦中であることにどんな意味があったんだろう。
 見終わって最初に思ったのが、何故かこのことだった。
 ノーマンは、座長を好きだったのか嫌いだったのか、惚れていたのか恨んでいたのか、尊敬していたのか見下していたのか。
 座長はノーマンのことをどう思っていたのか。
 随分といろいろな見せ方ができる芝居なんじゃないかしらとも思ったのだった。

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