「シャンハイムーン」を見る
こまつ座「シャンハイムーン」
作 井上ひさし
演出 栗山民也
出演 野村萬斎/広末涼子/鷲尾真知子
土屋佑壱/山崎一/辻萬長
観劇日 2018年3月10日(土曜日)午後1時30分開演
劇場 世田谷パブリックシアター
上演時間 3時間5分(15分の休憩あり)
料金 8600円
自分で自分のブログを検索してみたら、どうやら、7年前にチケットを取ったものの、何かの理由で見に行けなかったらしい。
ロビーではパンフレット等が販売されていた。
ネタバレありの感想は以下に。
タイトルが「シャンハイムーン」だからか、舞台の背景にはずっと、でも様々な月がずっと浮かんでいたような気がする。
ということは、このお芝居の舞台はずっと夜だったんだろうか。思い返してみてもよく分からない。
幕開けは、作家が魯迅に宛てて書いた手紙だったのか、魯迅が母に宛てて書いた手紙だったのか、その両方だったのか、手紙の朗読だ。出演の俳優さん達が大きなテーブルの周りに集まり、次々と手紙文を読んで行く。
そして、魯迅を演じる野村萬斎だけが舞台に残り、魯迅が母に宛てた手紙を読み、魯迅が国民党政府からの攻撃を免れるため、上海の内山書店に広末涼子演じる夫人とともに「避難した」ということが語られて、舞台は内山書店に移る。
ちなみに、息子の海嬰も一緒に匿われていることになっているけれど、彼は舞台上には一切登場しない。
辻萬長と鷲尾真知子演じる内山夫妻は魯迅を尊敬し、心配しており、内山書店滞在中に医者嫌いの魯迅に何とか治療を受けさせようと考え、山崎一演じる須藤医師と土屋佑壱演じる奥田歯科医師を呼ぶ。
しかし、魯迅は決して治療を受けようとしない。
魯迅の言動は、私には矛盾だらけのように見える。
中国国内で「思想」が相容れないからと争っている場合ではない、まず中国という国が一つになって中国を蹂躙しようとしている日本を追い出すべきだ、というのが彼の主張のように聞こえる。
でも、彼が逃げて行った先は日本人が経営する書店だ。
「日本」という国と「日本人」である内山氏やその夫人とは別に考えるべきだ、個々人について「だから日本人は」という大雑把な括り方は理解を拒絶するし、相手を最初から拒否する物言いだということなんだろうか。
実際のところ、これに近い台詞を言うのは魯迅ではなく須藤医師である。
そこのところは、暗黙の了解ということなのか、須藤医師の言葉から観客には伝わるだろうということなのか、舞台上で魯迅がそこを語ることはない。
何だか意外な気がした。
実はこの芝居に魯迅の登場部分や台詞は意外と少ない。少なかったような気がする。
その代わりといっては何だけれど、熱く強く語るのは須藤医師であり、場をかき回すのはバルチモア帰りを自慢する奥田歯科医師であり、場を和ませるのは内山書店の主人である。
内山夫人はしっかり者で、広平も別の意味でしっかり者だ。
須藤医師を熱く演じている山崎一を見て、もの凄く僭越なことながら、山崎一という役者さんにとってNOVAのCMはもの凄いインパクトだったんだろうなと思ったりした。何故「シャンハイムーン」を見ながらそんなことを考えたのか、自分でもよく分からない。
歯の治療を施すために魯迅に笑気ガスを吸わせたところ、魯迅は周りの人々のことを「別の人間」だと認識するようになってしまう。
「人物誤認症」だ。
そして「誤認」する相手は、魯迅が過去に関わりのあった、「すまない」という気持ちを強く持っている相手ばかりである。
須藤医師は、そうした魯迅の症状から、魯迅が極端な医者嫌いになったのは緩慢な自殺だと断言する。
自分は様々な人を死に追いやり、惨い目に遭わせた、そんな自分がおめおめと生き続けることは許せない、だから医者にかからず、病気になったら粛々と死んでいこう、そう思っているのだと言う。
広平のことを、魯迅は北京に自分の母親とともに置いてきた正妻だと思い込んでいる。
「許すことです」と須藤医師に説得される広平だけれど、正妻として「許す」ことに広平は肯んじることができない。
そして、でも、正妻に対する己の対応を語り続ける魯迅の話を聞いているうちに、広平は、魯迅を許すべきなのかどうか分からなくなってしまう。
ここまでが一幕だ。
二幕を通して、魯迅を取り巻く情勢は、ラジオニュースの音声によって紹介される。
そのニュースを読む声が浅野和之のように聞こえたけれど、気のせいかも知れない。よく分からない。
このお芝居でも、台詞の聞き取りやすい、声と人物の違いが分かりやすい役者さん達が演じていて、それがとても気持ちよかった。このままラジオドラマになっても絶対に分かるよと思う。
そういえば、井上ひさしのお芝居で、演じる役者さん達が全員、最初から最後まで一役を演じるのを見るのは久しぶりのような気がする。こちらも気のせいだろうか。
二幕に入り、魯迅は広平の葛藤にもかかわらず人物誤認症から回復するけれども、上海所払い(という言い方ではなかったような気がする)になって日本に里帰りしていた内山、須藤、奥田の3人が上海に戻り、魯迅が鎌倉で静養できるように取り計らってきたと伝えると、今度は失語症になってしまう。
上手く言葉が紡げない。
最初は「脳梗塞?」と思ったけれど、そういうことではないようだ。
広平は魯迅が鎌倉で静養するということがどうしても腑に落ちないようだ。
しかし、内山夫人にも説得され、「だだをこねて済みません」と謝る。
今度は魯迅の方が、「広平くんはだだをこねている訳ではない」と言い出す。
そして、魯迅は、自分が人物誤認症になったり、今度は失語症になっているのは、重要な局面で自分が常に自分と向き合うことから逃げてきたからだと語る。
広平もまた、内山夫妻や須藤医師、奥田歯科医師にも、それぞれ「上海を離れがたい理由」があるのに、魯迅のためにそれをすべて捨てさせていいのかと語る。
そして、魯迅は、これからも上海で暮らして行くと決める。
鎌倉で静養しようと決めたときに語った「シャンハイムーン」という小説を書くことはもうないかも知れない、上海で物を書くということはずっと体制に闘いを挑み続けるということになる、それでも手術も受け歯科治療も受け、自分はここで生きて行くと魯迅は語る。
そして、内山夫妻も須藤医師も奥田医師も、それぞれ、上海に根ざして生きて行くと語る。元からそうしたかったのだ、ということはもちろん語られないけれども伝わってくる。
そうしてこれからのことを語る須藤医師らに当たっていたスポットが暗くなり、一人、ベランダに出て月を眺めていた魯迅がゆっくりと舞台の向かって右から左へ歩いて行く。
その歩き方は、魯迅の「死」を連想させる。
魯迅が歩き去った舞台に、舞台の冒頭で語られた魯迅から母に宛てた手紙が、魯迅の声で流れる。
そこで終わりかと思ったら、もう一シーンあった。
最後も手紙である。
須藤医師や、奥田歯科医師らの「その後」が彼ら自身の手紙で語られる。
そして、内山書店での潜伏生活から2年の後、魯迅は亡くなり、広平は北京の正妻の元に魯迅の最後の様子を語る手紙を出す。
その最後は、不思議なことだけれども、魯迅の最期を看取った人々は(もちろん広平以外はということだけれども)みな日本人だったと広平は語る。
そこで、幕である。
当時の社会情勢をきちんと理解できていない私なので、きちんとこの芝居の思うところを受け止められたのかはとても不安だけれど、でも、間違いなく伝わるものがある、そういうお芝居だった。
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