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2018.05.14

「たいこどんどん」を見る

こまつ座第121回公演「たいこどんどん」
作 井上ひさし
演出 ラサール石井
出演 柳家喬太郎/江端英久/有薗芳記/木村靖司
    俵木藤汰/野添義弘/森山栄治/小林美江
    酒井瞳/新良エツ子/武者真由/あめくみちこ
観劇日 2018年5月12日(土曜日)午後6時30分開演
劇場 紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA
上演時間 3時間50分(20分間の休憩あり)
料金 8500円
 
 ロビーでは、パンフレット(800円、だったような気がする)等が販売されていた。

 ネタバレありの感想は以下に。

 こまつ座の公式Webサイト内、「たいこどんどん」のページはこちら。

 井上ひさし作品でたまに見かける、ような気がする道中ものである。
 かつ、久しぶりに歌と踊り満載の舞台を見たような気がする。振り付けはもちろん違うと思うけれど、歌は初演と同じなのだろうか。
 23年ぶりの再演だそうだ。

 客席に年配の男性が比較的多かったのは、多分、「駆け出しの幇間」を演じた柳家喬太郎目当てだったのではないかと推察している。実際、私の隣の席の方は、柳家喬太郎が落語家として登場した場面で身を乗り出して大笑いしていた。
 舞台上には「たいこどんどん」と書かれたスクリーンが下がっており、そのスクリーンが上げられるとそこには寄席風に作られた舞台があり、「柳家喬太郎」の看板(とは言わないと思う、何という名前なんだろう)があり、羽織姿の柳家喬太郎が座布団に座っていた。
 それが、この舞台の始まりである。

 急病で降板した窪塚俊介の代役で江端英久が薬種問屋の若旦那を演じ、二人は品川宿で薩摩の侍と女郎を取り合い、ちょき船で海に出たところ嵐に遭い、転覆し、東北と江戸を行き来している船に命を救われたけれどもそのまま風任せで釜石まで連れて行かれてしまう。
 若旦那の店に救いを求める手紙を書いたものの、お金を持ってきた手代が追い剥ぎに殺されてしまい、そこから二人の転落物語が始まる。

 どうでもいいようなことだけれど、でも、多分、設定では若旦那も幇間もかなり若いと思うのだ。
 「若」旦那だし、「駆け出しの」幇間である。
 でも、若く見えない。演じているお二人の年相応に見える。
 そこにどうしても違和感を感じてしまい、何だかもやもやしながら見ることになった。そして、そのもやもやは舞台の幕が下りるまで続いてしまったように思う。
 見ているこちら側の問題かも知れないけれど、何だか勿体ない気がした。

 勿体ないといえば、実は歌も気になって仕方がなかった。
 音痴の私が言うのも何だけれど、今の歌、音程は合っていたのかしら、と思うところが何回もあって、もちろん音程は合っていてこちらの予想と違う音の並びだっただけかも知れないのだけれど、こちらも何だかもやもやしてしまった。
 この芝居では歌と踊りというのは、重要な位置を占めていたと思うので、やはりそこに余計な考えを浮かべてしまうのは勿体ない。

 物語としては正しく「浮く」こともありつつも「転落物語」だし、その「転落」を若旦那の頼りなくも馬鹿馬鹿しい性格とか、幇間のあくまでも洒落のめす前向きな姿勢とか、そして何より歌と踊りで緩和していると思う。
 明るい調子と表情で歌われる歌の歌詞でかなりキツイことも伝えているし、この舞台のすべてが凝縮されているとも言えるくらいなので、そこはストレートに歌と踊りに集中したかったと思う。

 若旦那が幇間を鉱山夫として売って自分だけ江戸に帰ろうとしたり、幇間は3年も鉱山で働かされたけれど生き延びて騒乱に乗じて逃げ出したり、逃げ出した先で三味線弾きとして何とか糊口をしのいでいた若旦那と再会したり、再開したら報復してやろうと思っていたのに殴ることすらできなかったり、この辺りの展開は、理不尽極まりない。
 幇間は何故若旦那を許せるのか。そもそも、どうして殴れないのか。

 二人は富田節(だったか)の太夫と三味線弾きとしてお金を稼いで江戸への路銀にし、実際に江戸に向かうものの山賊に襲われたり、山賊一味の女に若旦那が梅毒を感染されたり、若旦那の店に何度も何度もお金を無心したけど届かなかったり、幇間が新潟の大商人に啖呵を切ったところ格好良く決まったかと思ったら「嘘をつくな」と片足を奪われたり、とんでもない展開が続く。
 昨日に引き続いて救いのない舞台を見てしまった、と思ってしまった。

 佐渡島から帰ってくる人々のわらじを新しいものと引き換えに手に入れ、そのわらじに付いていた砂金を売って作ったお金で江戸に9年ぶりに帰ってきた二人は、若旦那の実家の店がなくなり、両親は亡くなり、若旦那の妹が行方不明になっていることを知る。
 若旦那は、これからどうして生きて行けばいいのかと泣き崩れる。
 そこにさらに、明治維新で「ここはもう江戸ではない、東京だ」と町娘に言われてしまう。

 ただ嘆くだけの若旦那に対し、幇間の桃八は、「鼻から息を吸って、口からごはんを食べて、足で歩く。そうやってこれまでと同じように生きて行くだけだ」という意味のことを、前を向き、顔を上げて言い放つ。

 そして、実はこの舞台は再び寄せ風に戻り、落語家 柳家喬太郎が登場する。
 若旦那と幇間の道行きは、雨の間の夢物語、という趣向だ。

 それにしても、最後の幇間の覚悟に救われたけれど、それがなかったら本当に救いのない物語だ。
 物語というよりは、「警鐘」なのかも知れないと思った。

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コメント

 みずえ様、コメントありがとうございます。

 えーと、おっしゃるとおりですね・・・。
 私、コクーンで上演された「たいこどんどん」見ていました。
 そして、すっかり忘れていました。と言いますか、今も思い出せません・・・。
 「たいこどんどん」を見ているときも思い出さなかったし、自分で書いた感想を読み直しても思い出せません。
 お恥ずかしい限りです・・・。

 恐らくは「こまつ座での再演は23年ぶり」ということではないかと思います。

 演出はだいぶ違ったようですね。
 歌はどうだったのかなぁ。こちらも思い出せない私です。

 教えていただいてありがとうございます。
 そして、お役に立てなくてすみません・・・。

 これに懲りず、またどうぞ遊びにいらしてくださいませ。

投稿: 姫林檎 | 2018.05.14 23:15

姫林檎さま

23年ぶりの再演とありましたが、震災後に、橋之介・古田新太主演、蜷川演出でやっていたのは、カウントされないんでしょうか?
あちらは私も観て、古田はうまいなー、鈴木京香は歌は今一かな、なんて思っていたのですが。
姫林檎さんも、そっちもご覧になってますよね?
私は、観ていてちょっとつらくなるお話だったので、今回は観なかったんですが……。

演出も役者も被らないとなると、前作と全然違うんでしょうか?

投稿: みずえ | 2018.05.14 13:29

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