「父と暮らせば」を見る
こまつ座「父と暮らせば」
作 井上ひさし
演出 鵜山仁
出演 山崎一/伊勢佳世
観劇日 2018年6月16日(土曜日)午後5時30分開演
劇場 俳優座劇場
上演時間 1時間30分
料金 5500円
ネタバレありの感想は以下に。
「父と暮らせば」を見るのは、多分、2回目だ。
ところが、自分のブログを今検索してみたら、「父と暮らせば」でヒットしない。このブログを書き始めたのが2005年だから、前回見たのはそれ以前ということになる。
でも、記憶は鮮明だ。
辻萬長と西尾まりの配役であったことも、物語の流れも、お二人の声も、舞台がずっとみつえの家の中であることも覚えている。
全く覚えていないこともあるし、それはそれで悪くないと思っているけれど、鮮明に記憶にあり続ける舞台もある。それってやっぱり凄いことだ。
今回は、父を山崎一が、娘を伊勢佳世が演じている。
二人しかいない登場人物の配役が二人とも変わっているのだから、それは大きな変化だ。
物語の始めに思ったのは、こんなに判りやすかったっけ、ということだった。
昭和23年の広島を舞台にしたこのお芝居では、みつえは一人暮らしをしており、そこに亡くなった父が現れる。
みつえは「おとったん」と父を呼び、「おとったん」がごはんを食べられないことをうっかり忘れたりしつつ、普通に父親と話し、接している。
この「おとったん」がすでに死んでいるということは、もう最初のシーンで判りやすく説明される。
それで、「こんなに判りやすかったっけ?」と思った。
「記憶が鮮明だ」とか書きつつ、この辺りの記憶が曖昧なのだけれど、最初に見たときはもう少し時間がたってから、「そうだったのか」と思ったような気がする。
単純に設定や物語を覚えていて見たから「判りやすい」と思ったのかも知れないけれど、もし、演出として「判りやすくした」のだとすると、それは何だか良くないことのような気がした。
「良くない」というのは、そういう演出が良くないという意味ではなくて、判りやすくしなければならないと思わずにはいられない状況は、多分、良くないのではないかということだ。
上手く書けなくてもどかしいけれど、判りやすくなければ伝わらないというのは、多分、良くないことだと思うのだ。
私は判りやすいものが好きだし、判りにくいと拒否反応を示す方だと自覚しているけれど、それでも、何だかもやもやしてしまった。
そもそも私自身の記憶や感じ方だけのことかも知れないのに、勝手にもやもやして莫迦みたいといえば莫迦みたいだ。
でも、そういうことを考えた。
山崎一も、伊勢佳世も、いいなぁと思う。
辻萬長と山崎一と、父親はどちらにも「軽み」と「重み」がある。そして、その「軽み」は方向は違うけれどもその軽さや明るさがいい感じだと思う。娘を思う気持ちがあり、原爆を憎む気持ちがあり、素の部分での明るさというか剽軽さがある。
伊勢佳世は、「イキウメ」に所属していた頃から見ていて、イキウメでの彼女も好きだったけれど、劇団を辞めてからいい感じで舞台に立っているなぁと思う。こういう言い方はどうかと思うけれど、歴代のみつえの中で一番美人だとも思う。そして、その容姿がみつえを演じるときに邪魔になっていないのがいい。
随分、泣いた。
やっぱり、「父と暮らせば」はいい。
「母と暮らせば」も楽しみだ。
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