「お気に召すまま」を見る
Kawai Project vol.5「お気に召すまま」
作 ウィリアム・シェイクスピア
訳 演出:河合祥一郎
出演 太田緑ロランス/玉置玲央/釆澤靖起/小田豊
鳥山昌克/山崎薫/三原玄也/遠山悠介
岸田茜/峰崎亮介/荒巻まりの ほか
観劇日 2018年9月8日(土曜日)午後1時30分開演
劇場 シアタートラム
上演時間 2時間45分(15分の休憩あり)
料金 4000円
ロビーで物販があったかどうか、チェックしそびれた。
ネタバレありの感想は以下に。
そういえば前に「お気に召すまま」を見たときも思っていて、今回もやっぱり思った。
この芝居は、小っ恥ずかしい。
太田緑ロランスが、くっきりした目鼻立ちと長い手足を生かして、力一杯「恋する乙女」のロザリンドを演じるものだから、目も当てられないくらい小っ恥ずかしい。
でも、「お気に召すまま」はその小っ恥ずかしさを味わうお芝居だと思う。
「お気に召すまま」がシェイクスピア作品の中でメジャーな方になるのかマイナーな方になるのか、今ひとつその辺りの位置づけがよく分からない。よく分からないなりに、シェイクスピア作品の中では私としては結構見ている作品である。(ストーリーはこれまでの感想で書いてきたので、ここで書くのは割愛する。)
歴史劇よりも見やすいということもあると思う。
今回の演出で面白かったのが、ロザリンドの父親である追放されたファーディナンド前公爵と、シーリアの父親である兄を追放したフレデリック公爵を、鳥山昌克が一人二役で演じていたことだ。
あるいは、この二役を一人が演じることはよくあるのかも知れない。
しかし、公爵のお城とアーデンの森と、場面転換の際に舞台奥の「暗いけれども客席から見える」場所で着替え、明るい場所に出てきた途端に、他の貴族役の役者さんともども演じる役をガラッと変える。
特に弟のフレデリック公爵に変わるシーンでこの早変わりを多用していて、マントのような上着を翻した途端に役が変わる感じが何だか楽しかった。
客席からも、毎回必ず笑いが起きていたと思う。
多分、この一人二役が際立ったのは、もう一つ、舞台上で分かりやすい一人二役があったからだと思う。
森に住み着いているらしい皮肉屋のジェイクィズという男と、ロザリンド達と一緒に森にやってきた道化のタッチストーンを、釆澤靖起が演じている。
このジェイクィズとタッチストーンは、どうしても同じ場面にいなくちゃならないらしく(あるいは、その方が面白いと思われたらしく)、ジェイクィズは帽子を深く被って別の役者さんが演じ、道化を演じている釆澤靖起がジェイクィズの台詞もしゃべるという演じ方をしていた。
これも可笑しい。
どちらも分かるように一人二役をやっているのが可笑しみを誘ったのだと思う。
うろ覚えだけれど、シェイクスピアの書いた戯曲では、どの役とどの役を一人二役で演じる、みたいなことまで指定されているのではなかったろうか。
そこを逆手に取ったのかなと思う。
ただ、逆に普通の一人二役や一人何役という役者さんもいて、そういうときに「これは何かの仕掛けがあるのか?」とうがった見方をしてしまうのが、観る方としては困ったところである。
ロザリンドが男装し、森で出会ったオーランドーに「自分のことをロザリンドと呼んでくれ、恋の手練手管の練習相手になってあげましょう」と言うあたりで、オーランドーは何故気づかない! とあきれ果てる気持ちになるのも毎度のことである。
そして、オールメールで演じられていただろうシェイクスピアの時代に、この「女性が男装して女性っぽく見せている」役を男性が演じるということはどういう意味があったんだろう、観ている方はどう受け止めていたんだろうと思う。
やっぱり可笑しくて笑っていたんだろうか。
このお芝居では、シーリアが「あきれ果てている」こちらの気持ちに寄り添ってくれて、二人のやりとりを見ながら聞きながら、草原に寝転がったり、あきれ果てたという顔をしてみたり、昼寝を始めちゃったり、もの凄く共感できるリアクションを繰り返していた。
それも、可笑しい。
そして、改心したオーランドーの兄オリヴァーは、オーランドーが怪我をしたと伝えたときの男装したロザリンドのリアクション一発で彼女がロザリンド本人だと気がついているのに、繰り返すが、オーランドーは何故とことん気がつかないんだ! と思う。
ロザリンドの正体を一発で見抜いたところは褒めるとして、しかしオーランドーをいじめ抜いていた兄が突然改心したり、その兄オリヴァーとシーリアが森で会った途端に恋に落ちたり、「お気に召すまま」の終盤はとにかくご都合主義の嵐だ。
恋する若者たちをたくさん集めて、恋を成就させて、ハッピーエンドで決まりさ! というシェイクスピアの心の声が聞こえてきそうなくらいである。
そこに加えて、兄を追放しその娘も追放したフレデリック公爵が改心して隠遁して、我が物としていた領土や財産を元の持ち主に戻すという知らせがダメ押しである。
「大団円だ、文句があるか!」というくらいの怒濤の展開だ。
でも、それがシェイクスピアである、多分。
そう思って、ご都合主義や大団円や若者達の恋やハッピーエンドを楽しむのが正解だと思う。
そう思ったから、多分、「お気に召すまま」という芝居の最後には、演じた役者としての台詞が残されているのだと思う。
堪能した。
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