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2018.10.07

「母と暮せば」を見る

こまつ座「母と暮せば」
原案・原作 井上ひさし
作 畑澤聖悟
演出 栗山民也
出演 富田靖子/松下洸平
観劇日 2018年10月6日(土曜日)午後2時開演
劇場 紀伊國屋ホール
上演時間 1時間25分
 
 映画は見ていないので、映画との違いを逆に意識して見てしまったかも知れない。
 終演後、劇作家の畑澤聖悟さんとこまつ座主宰の井上麻矢さんのアフタートークがあった。

 ネタバレありの感想は以下に。

 こまつ座の公式Webサイトはこちら。

 タイトルからも判るとおり「父と暮せば」と対になる作品である。
 恐らく、井上ひさしが「構想」を作っていて、それを元に山田洋次監督が少し前に映画化したのだと思う。さらに、舞台化に際し、畑澤聖悟が戯曲を書き、山田洋次監督が監修を務めている。
 映画版とはそもそもラストシーンが違っているらしい(これはアフタートークで知った)。
 そうなると、映画版とは全く別の作品と思った方が良さそうである。

 そして、「父と暮せば」とつい比べてしまうのも人情というものである。
 畑澤聖悟はアフタートークで「どうやっても映画と比べられてしまう」「ニノのファンに怒られる」等々とリップサービス的な感じもありつつ語っていたけれど、いや、二宮一也のファンは多分ほとんど劇場には来ないんじゃなかろうかと思った。
 実際、この日の客席も年配の女性が多かったように思う。

 「父と暮せば」では、娘一人のシーンから始まり、父が登場してからも父が幽霊であることがはっきり語られるまでの時間が結構ある。そこは「仕掛け」だ。
 しかし、「母と暮せば」では、母一人のシーンから始まり、息子の写真が位牌(クリスチャンの言い方がよく判らない)とともに置かれていて、息子がすでに個人であることは最初から示されている。母も息子の登場に驚く。

 「母を心配して幽霊として現れた息子」だし、医科大に通っていたそうだし、この息子もできのよい親思いの息子らしい。
 ちょっと、できすぎなくらいである。
 富田靖子演じる母親は、少し具合が悪そうな素振りも見せつつ、つつましく健気に暮らしているという感じだ。うーん、富田靖子も白髪交じりの女性を演じる年齢なんだなぁとそちらにちょっとしみじみした。

 富田靖子演じる母と松下洸平演じる息子の身長差が大きい。
 なるほどなぁと思う。
 松下洸平は舞台で拝見するのは初めてかしらと思っていたけれど、確認してみたら、「TERROR」などの舞台で何度か拝見していた。
 随分とあのときの軍人さんとは印象が異なる。

 母と息子の会話は、最初は、息子の婚約者だった娘の話から始まる。
 息子が亡くなってから3年、彼女はもうすぐ結婚するようだ。(その割に、ラスト近くで息子が、彼女の息子は男の子だと言っていたから、もしかすると、息子が言っていたように彼の母親には告げずに結婚していたのかも知れない。
 その辺は、あまり突っ込まれていなかったと思う。

 息子は「どうして母が助産婦の仕事を止めてしまったのか」を少しずつ少しずつ語らせようとする。
 息子は、自分のお祖母ちゃんも長年務め、母も自宅で開業していた助産婦の仕事を続けてもらいたいと思っているし、母が生きて行くためには助産婦の仕事が不可欠だと思っているようだ。
 恐らくは抜けているけど頑固な母の性格を知り抜いていて、最初から絡め手から攻めようとしている。もちろん母はそれを察して、真っ向勝負で「話したくない」と拒否している。

 母も息子もクリスチャンであること、母の作るおにぎりが小学生の息子にとって自慢だったこと、父は早くに結核で亡くなっていること、息子の兄は生後半年で亡くなっていること、母の母で助産婦の大先輩でもある祖母が原爆症で亡くなったこと、原爆投下から息子が亡くなるまでの時間など、1時間半のお芝居にこれでもかと「ナガサキ」が詰め込まれているように感じられた。
 密度が濃い。

 助産婦である母がその看板を下ろしてしまったきっかけは、最初は米国と日本の医学の研究者から「出産について逐一報告しろ」と命じられたことであると語っていて、それはもちろんきっかけの一つでもあるけれど、もう一つの決定打が、彼女自身に原爆症と思われる紫色のあざが生じていること、そしてそのことが原因で出産の手助けを断られたことにあることが、語られる。

 そして、最後は、息子の思い、それはつまり母自身の「生きよう」という思いであり、助産婦という仕事に対する誇りでもあると思うけれど、それが「誰もいなくなったひとりぼっちの生活が辛い」という思いに打ち勝ち、母は病院に行くことを約束し、息子は再び「ただ見守る」存在に戻って、家の階段に腰を下ろす。
 息子の幽霊は、母の見た幻だったのかも知れない。
 でも、息子が「原爆症の治癒に効くと思う」と言って作った塩水がコップに残されている。
 その塩水を口にし、「しょっぱ!」と思わず口に出してしまうところで幕である。

 カーテンコールで、二人のお辞儀のタイミングが合わなかったりしたのはご愛敬だ。
 逆に、コミカルなやりとりをしつつやっぱりほとんど見せることのなかった「かすかではない」笑顔が最後に見られて、この芝居の重さを意識させられ、そしてほっとした気分になれたように思う。

 アフタートークも、この「母と暮らせば」という芝居に込められた様々な思いや「記憶」と「記録」を聞くことができて興味深かった。

 全部ひっくるめて、いいお芝居を観た。

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コメント

 サボテン様、コメントありがとうございます。
 そして、教えていただいてありがとうございます。

 「暮らせば」は「暮せば」に直させていただきました。
 何度も「暮らせば」と繰り返してまして、さぞお見苦しいことだったかと・・・。失礼いたしました。

 そして、ラストシーンの記憶が全く違っていたんですね・・・。
 こちらもお恥ずかしい限りです。
 迷ったのですが、「何故か私の記憶の中ではこう残りました」の記録としてそのまま残すことにいたしました。

 またどうぞ遊びにいらしてくださいませ。

投稿: 姫林檎 | 2018.10.26 18:05

時々お邪魔させていただいております。

演目の表題は「父と暮せば」と「母と暮せば」が正しくあります。
なぜ「ら抜き」なのかは存じませんが・・

またラストは、卓袱台に残った塩水入りのコップをおいて
奥に助産婦の「七つ道具」の入った鞄を取りに行き
中身を確認しながら畳の上に広げていく、
息子の浩二がその姿を見て「母さんが誇らしかった!」と言わしめた
そのシーンで暗転です。
老婆心ながらお伝えいたします。

投稿: サボテン | 2018.10.25 13:29

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