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KERA・MAP「修道女たち」
作・演出 ケラリーノ・サンドロヴィッチ
出演 鈴木杏/緒川たまき/鈴木浩介
伊勢志摩/伊藤梨沙子/松永玲子
みのすけ/犬山イヌコ/高橋ひとみ
観劇日 2018年11月3日(土曜日)午後1時開演
劇場 本多劇場
上演時間 3時間15分(15分の休憩あり)
料金 7400円
ロビーで色々と販売されていたけれど、チェックしそびれてしまった。
ネタバレありの感想は以下に。
修道院で、修道女たちが賛美歌(だと思う)を歌うシーンで幕開けである。
事情は不明ながら、この修道院では最近40名以上の修道女が亡くなっており、修道院長も新任だ。
そして、最近、高橋ひとみと伊藤梨沙子演じる母娘が特に修行することもなく修道女として暮らし始めているらしい。
彼女たちはこれから巡礼の旅に出かけようとしているところで、しかし、その出発前に誰かを待っているようだ。
待たれていたのはみのすけ演じる男性で、彼は、亡くなった修道女の一人の兄であるらしい。
「でも、別の(ジュリエッタだったか)修道女のお墓にしかお参りしないんです」と口さがない修道女たちが二人様子を見に行こうとし、伊勢志摩演じる修道院長と犬山イヌコ演じる影の実力者風の修道女の二人にたしなめられる。
何というか、この修道院長は見るからに「傀儡」という感じで、判りやすく実権は犬山イヌコ演じるシスター・ノラが握っているようだ。
この修道院長が徹頭徹尾、気の毒である。
シスター・ノラに「修道院長が決めてください」と言われ、何らかの決断を口にするとほぼ毎回「そうなんですか?」的な反論に遭う。そして、シスター・ノラの言うとおりに言い直す。その結果、何らかのあまり上手くないことが起きると、シスター・ノラに「修道院長がお決めになったことでしょ」と責められる。
気の毒すぎる。
もっとも、この修道院長も「だからシスター・ノラが修道院長になれば良かったのに」と思っていることを隠そうともしないし、自分の意思というものがほとんどなく誰かに決めてもらうのを待っているような風情だし、パキパキしているタイプのシスター・ノラがイラっとするのも判る。
でも、どちらかというとこの修道院長タイプの私は、目一杯、彼女に同情的な気持ちで二人の関係を見てしまう。
物語の舞台は、修道女たち一行が巡礼で訪れた、ある村の祠から山荘に作り替えられたという、教会っぽい場所に移る。
そこでは、鈴木杏演じるオーネジーという女の子(という風情である)と、彼女が好きでたまらないらしい鈴木浩介演じるテオという男の二人が、何やら仲よさげな風情を漂わせつつ、でもオーネジーは全く相手にしている気配もなく、修道女たちを迎える準備をしているようだ。
そして、二人の会話からも、次第に、彼女たちが信仰する宗教が国で「邪教」とされ、王家からも敵視され、この村でも決して彼女たちが歓迎されていないことが伝わってくる。
しかし、オーネジーは緒川たまき演じるシスター・ニンニの来訪を心待ちにしていて、テオの判りやすすぎるアプローチも無視(というか、スルー)している。
テオも気の毒なことこの上ない。
シスター・ニンニだったかが、「バザーで売るように」と託された、亡くなった修道女の一人の持ち物だった宝石箱の中からオーネジーに一つ譲ってあげて欲しいと懇願し、他の修道女達も同意して、オーネジーがその宝石箱を開けると、突然、飾られていた聖人たちの像がいきなり三ついっぺんに割れ落ちた。
本来のこの建物の管理人であるらしいドルフという男が、国王の命令に従って建物を閉鎖しようとしたのを押しとどめようと棚に押し込めたのもオーネジーのようだし、彼女には何らかの「力」があるらしい。
そして、亡くなった修道女の一人が、「何か」悪しきものをこの世に残していったことも判る。
この辺りまで来れば、お膳立ては整った、という感じである。
そして、意外なくらい判りやすい。よくよく考えると、大の男一人を空中に浮かべて壁に頭をぶつけさせるオーネジーの力も、亡くなった修道女が黒い煙のような影のようなものになって姿を現すことも、この後で戦争で受けた傷から木が生えてきてしまうテオも、不合理といえば不合理なのに、何故だか「普通の話だ」という印象になる。
「普通の話だ」というのは「不条理ではない」ということなのだけれど、本当に「不条理」ではないんだろうか。実はあまり自信がない。
大体、超能力や死に神は普通なのか。
修道女たち(修道院長と母娘二人はそれほどでもない、かも知れない)のメイクがやけに死に神っぽいのも気になる。彼女たちは、実在しているのか。
この村は、彼女たちが信仰する宗教の聖女が生まれた(のか)聖地であるにもかかわらず、国王の命令は絶対で、彼女たちは実は全く村人たちに歓迎されていない。
というか、むしろ忌避されている。
そんな中でオーネジーだけは、シスター・ニンニとの仲もあって、修道女達に好意的だ。単純に「好意的」と言っていいかどうかは判らないけれど、どう考えてもこの先に迫害される近未来が待っているのに自分も修道女になろうとしている女性だ。
オーネジーが押し込めたドルフを見つけたテオはオーネジーのやったことを知って彼を殺し、雪の中に埋めてしまう。
高橋ひとみ演じるシスター・ダルはそのテオに言い寄ろうとしてきっぱりと殴られて拒否され、娘のシスター・ソラーニはどうやら母に付き合わされて宗教を渡り歩かされているらしく、そちらに嫌気が差しているのとテオに恋していると思い込もうとしている気持ちから、母と決別しようとする。
シスター・ソラーニが、乳歯を連ねたネックレスを暖炉にくべてしまい、そのネックレスを取り戻そうとシスター・ダルが暖炉に突っ込んで顔に酷いやけどを負ってしまう。
松永玲子演じるシスター・アニドーラは地味に冷静な女性だったけれど、宝石箱の持ち主だったシスターと実は「恋仲」であったことが、彼女と何か悪しきものとなった亡くなったシスターとの会話から示される。
この修道女たちって、女同士で恋することしかしていないんじゃないかと思ってしまう。
亡くなったシスターの「力」は強くて、宝石箱を処分しようとしても誰も果たせず、何故か目薬を振りかけるとその力が一瞬弱まるのだけれど、それにしても状況はどんどん悪くなって行っている。
村人達が集団でこの山荘めがけてやってきて、ドアをどんどん叩く。
襲撃されてしまうのかと思いきや、翌朝のシーンに変わり、ドルフの弟である村の保安官がやってくる。彼は修道女達に好意的で、村人達も彼女たちを決して忌避したり追い返したりしようとしている訳ではないのだと語る。
国王に隠れて、数日くらい、あなた方を歓迎しますと語る。
そして、「イチジク入りのパン」を置いていくところが、何とも怪しい。
そして、イチジク入りのパンを食べたネズミが次々と死んでしまった後、「毒が入っているものかも知れない」と教えてくれた保安官が今度はワインを置いて去って行く。
オーネジーは、修道女たちを殺さなければ村を焼き払うと国王から言われているのだと彼女たちに告げてしまう。
腕から気が生えていたテオは、とうとう腕自体が木になってしまう。
ここを出立しようと準備を整えた修道女達と、修道女になることを許されたオーネジーに、シスター・ノラは「私はワインを飲もうと思う」と告げる。
「毒が入っているかも知れないんですよ」と叫ぶ修道院長に非常に共感する。
そもそも、毒が入っているパンを渡し、そのことを告げて、新たにワインを渡す保安官(と村人たち)が酷いではないか。「あなた達は知らずに飲むのではない、ワインを飲んだらそれはあなた達の自己責任だ」という責任転嫁と、「あなた達が死ななければこの村は焼き払われてしまうのだ」という脅迫と、両方を兼ねたやり方である。
シスター・ノラが、修道女達が亡くなった前夜、国王側近の人物から「ワインに毒が入れられているかも知れない」という忠告を受け、修道院長から相談をされて、「そんなことがある筈がない」と答えたことは彼女自身が修道院長に語っている。
そのことが、彼女にとって重い事実であることも語られる。
そして、ワインを飲もうと思った理由として、シスター・ノラがこのことを語っていたのも聞いている。
でも、その決心の寄って立つところは私にはよく判らなかった。
結局のところ、「毒入りかも知れないんですよ!」と叫んだ修道院長も含め、修道女ではないオーネジーも含め、全員がワインを飲むと言い、実際、全員が杯に入れたワインを飲み干す。
そのとき、修道院長がかけたレコード(白鳥の湖だったような記憶だ)が鳴っている。
ここで全員が飲んじゃう気持ちは何となく分かる。集団心理というか、圧力だ。そこに村人をおもんぱかって、というところはなかったような気がする。
実は、ワインを飲み干したところで暗転、幕かと思って見ていた。
なので、あっさりと皆がワインを飲み干し、身支度を調えて出発して行くのを見て唖然とした。
結論を出すのか、と思った。
そこに、ドルフがやってきて、後片付けというか閉鎖の準備を始める。
つまり、そういうことだ。
そして、全身が木になってしまったテオもやってくる。そのテオに、ドルフは「どうして味方を殺したんだ」と何でもないことのように聞く。テオと一緒に戦争に行っていた隣村の男が、最期に語ったという。
テオは、自分たちは翌日には敵に全滅させられることが判っていた、逃げようと言ったのに周りはみんな死ぬ覚悟は出来ていると答えた、自分は死にたくなかったし、一日も早く村に帰って会いたい人がいたから、それで周りの男達を殺して逃げたんだと答える。
テオの「木」は、シスター・ニンニによれば「人に寄生して人の孤独を食べる虫」にやられたことによるものだ。
つまりは、テオに応じられないオーネジーのせいということなんだろうか。
もうしゃべることもできなくなったテオとドルフのところに、そのオーネジーが駆け込んでくる。修道女達が血を吐いて倒れている、助けてくれと叫ぶ。
いや、どうしてオーネジーはそんな「駆け込んでくる」ことができるくらい大丈夫なんだと思っていたら、修道女たちを「見に」ドルフが出て行った後、そこにはずっと「天国に行くための乗り物」として語られていた電車がやってくる。
修道女たちが電車の中で微笑んでいる。
もう声を出すこともできなくなったテオがオーネジーの名を呼ぶけれど、オーネジーは振り返ることもなくシスター・ニンニに迎えられて電車に乗り込む。
電車は出発し、そこで幕である。
自己犠牲の話なのか、宗教の話なのか、無意識と無自覚の話なのか、孤独の話なのか、殺人の話なのか、よく判らなかった。
よく判らなかったけれど、見終わって、何だか何かがすっきりしたような気がした。
村が焼き払われなかったことを祈る。
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コメント
アンソニーさま、コメントありがとうございます。
不条理ではなかった、と思います。
あの置いてけぼりを喰った感じも、モヤモヤし続ける感じもなかったですし。
見終わって、不思議とすっきりしてたんですよね・・・。
保安官、村の人たちが固まっていたって言っていましたっけ?
すっかり忘れ果てているか、そもそも聞けていなかったか(こちらの可能性の方が高そうです)、私の中には残っておりませんでした。すみません・・・。
オーネジーのあの感じは、鈴木杏さんならではだったなぁと思います。
またどうぞ遊びにいらしてくださいませ。
投稿: 姫林檎 | 2018.11.12 22:41
姫林檎様、こんばんは。
私も観ました。不条理ではなくわかりやすい話だったと思ってましたが、感想を読んでいていろいろ思い出すと
改めて不思議な話だったのに妙にすっきり。に
とても共感しました。不条理ではないですよね?笑
そういえば。
村人たちがやってきてドンドン叩いた後にドアの横の窓からオーネジーが出ていって、そのあと保安官が翌朝に
みんな固まっていたとか言ってたような気がするのですが。
なので私はそこでもやはりオーネジーには何かしらの力があるのねと思っておりました。
投稿: アンソニー | 2018.11.12 20:44
みずえ様、コメントありがとうございます。
いえいえ、やっぱりこのお芝居は「女優さん達のお芝居」だったと思います。
タイトルが「修道女たち」ですし、タイトルが「修道女たち」だというからだけでなく。
おっしゃるとおり、出演している俳優さんたち全員が自分以外の全員と必ず絡む、という感じの、会話と掛け合いの妙全開のお芝居でしたね。
最後に山荘に駆け込んできたオーネジーは、私は幽霊というか生き霊みたいな存在なのかと思っておりました。
ニンニたちを雪の中、血を吐いたまま倒れさせておくに忍びなかったオーネジーの心だけが戻ってきたのかなぁと。そのオーネジーを迎えたのは、ほとんど木になってしまったテオと、生還したばかりのドルフという、死の世界に限りなく近い二人でしたし。
またどうぞ遊びにいらしてくださいませ。
投稿: 姫林檎 | 2018.11.06 23:27
姫林檎さま
私も観ました。
女優達(いや、もちろん男優もですが)が、これでもかという演技合戦を繰り広げていた印象です。
私は宗教の話は苦手ですし、おそらく日本自体そういう国だとも思うのだけど、これを観ていて、実話ではなくても、こういうことはいろんな国で起こっていたのではないかと思うと、胸が苦しくなりました。
そんな中で、ケラさんらしい会話の妙というか、特に犬山イヌコさんと伊勢志摩さんの掛け合いや、高橋ひとみさんの少しとぼけたような口ぶりは、私を和ませてくれました。
ところどころファンタジックな要素(ひとみさんの火傷が何故か治ったり、テオが木になってしまったり)は、ケラさんの真骨頂ですね。
ラストに皆が、毒入りかもしれないとわかっていてワインを飲んだのは、どうせ帰っても同じような現実が待っていると思ったからじゃないかと、リアリストの私は考えてしまいました。
杏ちゃんだけワインを飲んでも大丈夫だったのは不思議でしたが。
やはり普通じゃないのかしら。
ケラさん、紫綬褒章を獲りましたね!
今後も楽しみです。
投稿: みずえ | 2018.11.05 11:32