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2018.12.16

「ロミオとジュリエット」を見る

M&Oplaysプロデュース 「ロミオとジュリエット」
作 W・シェイクスピア
翻訳 松岡和子
演出 宮藤官九郎
出演 三宅弘城/森川葵/勝地涼/皆川猿時
    小柳友/阿部力/今野浩喜/よーかいくん
    篠原悠伸/安藤玉恵/池津祥子
    大堀こういち/田口トモロヲ
観劇日 2018年12月15日(土曜日)午後7時開演
劇場 本多劇場
上演時間 2時間20分
料金 7500円

 ロビーではパンフレット等が販売されていた。
 ネタバレありの感想は以下に。

 M&Oplaysの公式Webサイトはこちら。

 金髪マッシュルームカット(という言い方は既にかなり古いのか)、背の高い相手と話すときには舞台上の段差を利用しさらに手持ちの鞄を踏み台代わりに使うロミオはなかなかいない。
 最前列で見ていたせいか、多分、三宅弘城のメイクも「若々しく見せよう」とはしていなかったんじゃないかと思う。失礼ながら、やけに皺が目に付く印象だ。
 何かのインタビューで演出の宮藤官九郎が「まんまやります」と言っているのを読んでいたのに、途中まで「ロミオの設定は三宅弘城の実年齢に近づけたのか?」と思っていたくらいだ。

 ティボルトを演じるのが皆川猿時だったり、マキューシオを演じる勝地涼が「シェイクスピアに灰皿を投げつけられ三幕一場で退場と言われた」的な台詞を言ってみたり、「まんまやる」意気込みは意気込みとして、なかなか「まんまでしかやらない」にはならないようだ。
 それでこその宮藤官九郎である。

 脇を固める俳優陣が個性的すぎるから、初舞台という森川葵のジュリエットが、言ってることもやってることもジュリエットはそもそも破天荒すぎる14歳であるにも関わらず、やけに普通に見えてくるから恐ろしい。
 台詞が聞きやすいのが何よりで、だんだん、三宅弘城演じるロミオよりも大人っぽく見えてくるところが不思議である。

 ロミオとジュリエットは、「一目惚れして恋に落ちたティーンが暴走する話」だと思う。
 大体、この芝居の幕開けでロミオは、ロザラインという女性に恋していて、彼女の美しさを大絶賛し、片思いを嘆いて、この芝居で言うところの「引きこもり」になっているという状況で登場する。
 今回の舞台では、割とこの「ロザラインにぞっこんで片思いしているロミオ」を長めに見せていて、ロミオの惚れっぽい性格を存分に強調しているところが楽しい。
 そうそう、ロミオとジュリエットって決して純愛の話じゃないよね、と思う。

 そのロザラインに片思いしていた筈のロミオは、その日の夜にキャピレット家の仮面舞踏会に紛れ込み、ジュリエットとお互い一目惚れする。
 ジュリエットにとっても、その仮面舞踏会はパリス伯爵とのいわばお見合いの場であった訳で、「結婚に尻込みする14歳の令嬢」があっという間に一目惚れした相手と衆人環視の中でキスしてしまう。これって、「ロミオとジュリエット」が書かれた時代としては、どういう見られ方をしたんだろうと思う。
 「貴族社会では普通」なのか、眉をひそめられる感じなのか、気になるところだ。

 舞踏会がお開きになった後、キャピレット家の周りをうろうろしてジュリエットの部屋の窓の外に潜み、その壁をよじ登ってジュリエットと会話するロミオだって、ほとんどストーカーである。
 それにしても、だんだん舞台上の二人の見え方が逆転してきて、「純真なロミオ」と「恋に長けたジュリエット」に見えてくるから不思議である。ジュリエットがロミオを振り回しているように見えてくる。

 ロミオは田口トモロヲ演じるロレンス神父に相談する。このロレンス神父がまた何となく胡散臭く見えるところがポイントだと思う。胡散臭い割に、ジュリエットからも信頼されているし、「ロレンス神父のところで懺悔を」の一言でコロッと騙されるくらいキャピレット夫妻からも信頼されている。
 そのロレンス神父は、両家の争いに終止符が打たれることを期待して、密かにロミオとジュリエットを結婚させる。

 だから、会ったその翌日に結婚って展開が早すぎるだろうと思うのに、それにOKを出す「街の人々に信頼されている神父」が今ひとつ判らない。
 むしろ、周りの人々からの評価はともかく、この舞台のロレンス神父はダメそうに見える。
 ダメそうに見えると、「落ち着いて考えると、この人のやってることって暴走中のティーン二人の暴走を加速させてるだけじゃん」と思えてくるところが面白い。

 ロミオとジュリエットはこうしてロレンス神父のもとで結婚するが、その直後、親友のマキューシオとジュリエットの従兄弟のティボルトとの争いを止めようとし、結果としてマキューシオを死なせてしまったロミオは、そのティボルトを殺してしまう。
 「復讐を果たした」とまとめられることの多いシーンだと思うけれど、挑発したのはマキューシオであるように見えたし、そのマキューシオはロミオに対して「どうして止めたんだ(だから自分が刺されたんだ)」と詰るし、むしろロミオは自責の念に駆られてティボルトに対して剣を振るったように見える。

 強調するところの違いで、こんなに違うストーリーに見えてくるんだなぁと思う。
 ジュリエットと一夜を共にしたロミオが、大公の追放の命令に従い出発しようとするシーンも、三宅弘城が全裸で登場しただけで笑いのシーンになってしまうところが可笑しい。

 そのロミオとの別れが哀しくて泣きまくるジュリエットに対し、父親が「とっとと結婚させてしまおう」と思いつき、その思いつきが受け入れられないと怒りまくるというシーンも、父親のキャラクターから重厚さが落とされるだけで、こうも馬鹿馬鹿しく見えてくるのかと思う。
 ロミオとの仲を取り持った乳母が、(多分ロミオが追放されたから)手のひらを返して、パリス伯爵との縁談を熱烈に推奨するのも謎だ。両家の争いは気にしないけど、大公から下された処分は気にするということであれば、大人の判断ではあるのかしらとは思う。

 最後にロミオとジュリエットが完全に行き違いになる理由は、ロレンス神父がロミオに当てて「ジュリエットを仮死状態にする」という計画を告げる手紙を送ろうとして果たせなかったためだと思っていたら、この舞台ではジュリエットとパリス伯爵の結婚が一日早まったことも原因の一つであるように描かれていた。
 シェイクスピアの戯曲ではどうなっているのだろう。

 結婚が早まったためにジュリエットも計画を一日早めなくてはならなくなったこと、ロミオの従者がジュリエットの死をいち早く伝えに行ってしまったこと、ロレンス神父が手紙を託した男が疫病の疑いをかけられて街から出られずロレンス神父に事情を伝えることもできなかったこと、すべてが相まって、ジュリエットが仮死状態になって結婚を避け、生き返ってロミオと添い遂げるという計画は破綻する。

 随分と「すれ違い」がクローズアップされていたように思う。
 すべてが裏目裏目に出てしまったという感じが強調され、最後だけはほとんど笑いを封印し、でも何故か悲劇の色は濃くない。
 もの凄い綱渡りでバランスを保ちきったロミオとジュリエット、という印象のお芝居だった。

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コメント

 みずえ様、コメントありがとうございます。

 おっしゃるとおり、やけに明るいロミオとジュリエットでしたね。
 両家がいがみ合うシーンも、マキューシオやティボルトが死んでしまうシーンも、笑いのシーンになっていましたし。
 ロミオとジュリエットって、そもそも明るい話なのか暗い話なのか、判らなくなってきました(笑)。

 シェイクスピアは超絶ご都合主義で、そのご都合主義のまんま上演してみました、という感じなんでしょうか。

 でもでも、楽しかったです!

 またどうぞ遊びにいらしてくださいませ。

投稿: 姫林檎 | 2018.12.18 11:09

姫林檎さま

私も観ました。
クドカンの「まんまやります」は信じてませんでしたが、あれ、「まんま」じゃないですよね?
私はロミジュリは、戯曲を読んだことも映画を観たこともあったんですが、あまりに昔過ぎて詳細は憶えておらず、姫林檎さんと同じ疑問を抱きました。
それに私は、神父がお墓の中の二人を見つけたときは、もう二人とも息絶えていたと思ってたんですが、そうじゃなかったですね。

こんな明るいロミジュリは、他にはないんじゃないかと思いました。

そうそう、ロザラインのこと。
強調されているような気がしましたよね。
神父もそれを覚えているんだから、ロミオが、今度はジュリエットだと騒ぎ出したとき、諌めてくれてもよかったんじゃないかと思います。
更にあの破天荒な計画。
大公が最後に、若い二人は両家のいがみあいの犠牲になったと言いましたが、神父にも責任あるんじゃ……と思いましたよ。
ま、この辺りは、クドカンではなく、シェイクスピアの発想ですけども。

投稿: みずえ | 2018.12.17 13:54

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