「フェルメール展」に行く
2019年2月、大阪市立美術館で2019年2月16日から5月12日までまで開催されているフェルメール展に行って来た。
東京展の前半に行っており、1月9日から展示された「取り持ち女」と大阪展にのみやってくる「恋文」を見るのが目的である。
何しろ、私の「一生の野望」のうちの一つが「フェルメール作品をすべて見る」なのだ。
日本国内で未見のフェルエール作品を見られる機会を逃すわけには行かない。
大阪展では日時指定チケットは採用されておらず、それならば早いうちの方が混雑しないだろうという思惑もあり、また、4月以降は職場が変わることがほぼ確定しているため予定が立てづらかったこともあり、年度内に行って来た。
平日の10時半頃に到着したところ、美術館に向かう人の列が出来ており、入場ではほとんど並ばなかったものの、最初の部屋から結構な人だかりができていた。
「日時指定チケットを採用しないということはそれほど混雑しないという主催側の判断なのだろう」と思っていたら、それはどうやら違っていたらしい。
体力が尽きる前にと、今回もフェルメール作品が展示されている部屋に直行した。
まず最初の部屋には、「マルタとマリアの家のキリスト」と「取り持ち女」が展示されていた。
この2枚、大きさがほぼ同じである。
「取り持ち女」も初期の作品だということなので、フェルメールは画業を始めた頃は大きな絵を描いていたということなんだろうか。
「取り持ち女」は日本に初めてやってきたフェルメール作品である。
絵のタイトルは画家本人が付けた訳ではないようだし、訳による違いもあるとは思うけれど、この絵は昔は「遣り手婆」というタイトルで紹介されていなかっただろうか。
どちらにしても普段使わない言葉だけれど、今どき「遣り手婆」はないだろうと誰かが思ったに違いない。
それにしても、最初の印象は「大きな絵だな」ということに尽きる。
そして、大きな絵の場合、見る側も何となく拡散して見ることになるので、ちょっとゆったりしているのが嬉しい。
近寄ってみると、随分と絵の表面が傷んでいるように見える。ひび割れも見える。
絵の下半分を覆っている布の質感が何とも言えない。
しかし、全体を眺められる位置から見ると、何というかバランスが悪いようにも感じられる。
下半分はひたすら「布」である。
絵には4人の人物が描かれているのに、彼らの下半身は全く見えていないし描かれていない。
そして、絵の上半分に人の上半身が4人分にょきっと並び、しかも何故か向かって左側にぎゅっと詰まっていて、画面右側に隙間がある。
何だか気持ち悪い。
この画面右の隙間のお陰で、赤い服の男と黄色い服の女が絵の中央に寄り、赤い服の男が指に挟んでいる金貨に目が行くようになっている、ような気もする。
そして、全身黒ずくめの「取り持ち女」とフェルメール自身ではないかとも言われている左端の男も黒い服で、画面の奥に引っ込んでいるようにも見える。
その割に、左端の男は4人の中で唯一歯を見せていて、そういう意味では目立っている。
不思議な感じの絵だ。
その次の部屋に、手紙を書く女、手紙を書く夫人と召使い、リュートを調弦する女と、私のお目当ての「恋文」が展示されていた。
この部屋には、フェルメール作品以外の作品も展示されている。
「恋文」は随分と饒舌な絵だ。
でも、それは「結果として饒舌」なのではなく、狙って色々と画家が語らせているように見える。絵を見る人の想像力に委ねたというのではなく、「ほーら、色々と思わせぶりでしょう」と言っている画家の姿が後ろに透けているような構図だと思う。
画面の左側は半開きのドア(だと思った)に隠され、画面右側がどうなっているのか何遍見てもよく判らなかったけれど、多分、壁の前に椅子が置かれているのではないかと思う。
奥の部屋をそのドアと壁の間から覗いている。
奥の部屋は明るく、召使いの女性が女主人に手紙を渡している。
タイトルからして、その手紙は女主人宛の恋文という解釈が一般的なんだと思う。
そうかな? と思う。じゃあ何だと思うんだと言われても困るけれど、そうかなぁ、と思ったのは本当である。
ついでに言うと、私には召使いの女性の表情は、悪辣に見える。手紙を受け取る女主人の顔を意地悪く観察しているように見える。女主人の困惑なのか迷惑そうな感じなのか、むしろこの女主人の表情は小さな驚きだけを表していると思っていて、その心の動きを意地悪く眺めているような気がする。
あと、この絵を見て思ったのは、この黄色い洋服の全身像を見られたのは初めてかも、ということだった。
「真珠の首飾りの女」でも上半身は見られる。というか、ワンピースに上着を羽織っている感じなんだろうか。スカート部分と上着の部分の布が同じ布のような気がした。
でも、家に帰ってから絵はがきをよくよく見たら、上着とスカートの色や布の感じはやっぱり違うようだ。そうすると、この絵の中の女性のコーディネートということなのか。
女主人の黄色と、召使いの女性の青と、この絵は二人でこの二色を分け合っている。
また、この絵は、小物が多い。
女主人に渡されている手紙はもちろん、女主人が持っている楽器、手前の床に放置されている黒っぽい踵のあるサンダル(でも高そうには見えない)、モップなのかほうきなのかとにかく掃除道具、椅子、椅子の上に置かれた楽譜、奥の壁に掛けられた比較的「何が描かれているか」が見えやすい2枚の絵などなどだ。
そのモノの多さが「饒舌」という感じをさらに生むのだろうと思う。
ほぼこの2枚の絵だけで45分。
近寄ったり遠くから眺めたり、たっぷり堪能した。
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