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2019.03.10

「世界は一人」を見る

パルコ・プロデュース「世界は一人」
作・演出 岩井秀人
音楽 前野健太
出演 松尾スズキ/松たか子/ 瑛太/平田敦子
    菅原永二/平原テツ/古川琴音
観劇日 2019年3月9日(土曜日)午後1時開演
劇場 東京芸術劇場プレイハウス
料金 8500円
 
 ロビーではパンフレットやグッズ等が販売されていた。
 ネタバレありの感想は以下に。

 パルコ劇場の公式Webサイト内、「世界は一人」のページはこちら。

 私は見始めてから見終わるまでずっと、「ハイバイで上演した作品をプロデュース公演した作品」だと思い込んでいて、例えば「松たか子が演じている役はハイバイの誰が演じたんだろう」などと考えたりしていた。
 見終わってからサイト等を見て、今回の公演のための書き下ろし作品だと知った。毎回のことながら、下調べをしないとこういうことになる。

 松たか子を舞台で見るのは久しぶりだぁと思って見ていたけれど、考えてみたら、松尾スズキを舞台で見るのも久しぶりだし、瑛太を舞台で見るのも久しぶりだし、平田敦子を舞台で見るのも久しぶりだった。
 むしろ、ハイバイの役者さんお二人の方が最近の舞台で見ていると思う。
 変な感じだ。

 松尾スズキと松たか子と瑛太が同級生を演じ、平田敦子が松尾スズキ演じるゴロウと松たか子演じるミコ夫婦の娘アイを演じている、というのが基本線で、瑛太だけが(多分)一貫してリョウヘイという役を演じていたと思う。
 この舞台は、多分アイにリョウヘイが3人のこれまでの人生を語って聞かせているという体裁になっていたのだと思う。
 その部分説明がないのと、多分、私の座っていた席の関係でマイクの音が割れて聞こえてしまい、前野健太の歌の歌詞が時々聞き取れなくて、それでさらに大枠を把握するまでに時間がかかったのだと思う。

 ゴロウとミコとリョウヘイの、そして物語の出発点は、修学旅行(林間学校とかかも)で、夜、おねしょをしないように先生に起こしてもらい、でも、3人のうちの誰かが結局おねしょをしてしまった、ことなのだと思う。
 その出来事が、彼ら3人を結びつけ、磁石の同じ極同士のような反発というのか、跳ね返す感じというのか、近づきそうで近づけないというのか、そういう感じを生んでいたように見えた。

 何というか、ゴロウもミコもリョウヘイも、それぞれが一言で言って悲惨な目に逢い続ける。
 その悲惨さというか受難の感じは、もはや語られたくない感じがするくらいだ。
 私はこういう形での悲惨さを味わったことはないし、「酷い」という言葉で表現していいのかどうかも正直に言ってよく判らない。
 私が語ると激しく著しく薄っぺらすぎることになるような気がする。それは私の薄っぺらさそのもので、だから語りたくないと言っている時点で語ったも同然のような気がするけれど、でもやっぱり語れないという気がする。

 とにかく、舞台上で展開する彼ら3人の人生はそういう人生だ。
 回り舞台になっていて、その上には鉄骨だけが組まれていて、椅子があったり枠だけの壁があったりドアがあったりする。
 その回り舞台を出演者たちが代わる代わる回す。
 楽しそうに回したり、疲れたように回したり、する。
 それは強い風に翻弄されている風見鶏のようにも見え、それはそのまま何かに翻弄されて思うように生きて行けていない彼らを象徴しているようにも見える。

 前野健太の歌声はもちろんだけれど、語りの声も何だかもの凄く説得力のある声だった。
 何というか、ただ事実を語っているという感じの語りで声だ。そこに疑問を差し挟む余地はないという感じといえばいいんだろうか。
 そして、その前野健太の歌声に全く引けを取らない松たか子の歌ってやっぱり凄いんだなぁと改めて感じ入った。

 いい曲にとんでもない歌詞が乗っかってたりして、その歌詞のとんでもなさを歌のうまさとか歌い上げる感じとかで全部吹っ飛ばしている。
 うっかり歌声に聞き惚れて歌詞を聞き流しちゃったりすると、しまった、と思う。
 特にラストシーン近くで、松たか子が「世界は一人」と歌ったときに、「しまった、この直前の歌詞は絶対に何かを語っていたのに私の耳は聞き逃している!」と滅茶苦茶焦った。
 でも、もちろん、プレイバックなどはできない。それが舞台だ。

 小学生の頃から好き合っていた、少なくとも意識し合っていたゴロウとミコは、東京で再会して結婚して今や子供がいる。
 3人とも、紆余曲折がありすぎる人生を送っている。
 多分、3人が3人とも、それぞれ「自分から見た3人」を舞台の中で語っていて、それは視点によってもの凄く変わって見えているのだと思う。
 この舞台のさりげない混乱は(と思っているのは私だけかも知れないけれど)、多分、そのことから生まれているんじゃないかと思う。

 最後に、舞台は彼ら彼女らの子供の頃、3人が先生に起こされたシーンに戻る。
 そのシーンで、最初から最後まで「目撃」して一番自由に動いていたのはミコだ。
 すべての出発点は、この出来事なのではなく、このときの彼女だったのかも知れない。
 そう思わせるラストシーンだった。

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コメント

 みずえ様、コメントありがとうございます。

 確かに松尾さんと松さんと瑛太さんの3人が同級生ってあり得ないですね(笑)。
 その当たりはもう「舞台では何でもあり」だと思っているので、私の中ではスルーされておりましたが、改めてご指摘いただくと、確かに変。
 むしろ、親子を演じているときの方が(どちらが親のケースでも)違和感がなかったかも知れません。不思議です。

 リョウヘイの呟きもスルーしちゃっていました。
 概ね、判らないことはスルーするようになっている私の頭って一体・・・。

 松さんの歌は流石ですよね。
 舞台で拝見するのも久しぶりだったので、それが一番嬉しかったかも知れません。

 またどうぞ遊びにいらしてくださいませ。

投稿: 姫林檎 | 2019.03.16 10:01

私は昨夜観ました。
まずはじめに、松尾さんが、松さんと瑛太さんと同級生であるというのはさすがに無理があるんじゃ…と思ってしまいました。
そして、確かにリョウヘイがアイに今までの出来事を語る体(てい)になってはいますが、ラスト近くに、立ち直ったリョウヘイが彼らの家を訪ねたシーンで、「ゴローの中では俺がすぐキレる奴ってことになってる」と苦笑していたので、ということは、あれは事実ではなく、ゴローの主観なの?と唖然とし、何が何だかわからなくなりました。

セットの使い方と、歌は素敵でしたね。
松さんの、軽やかな歌声、大好きです。
平田さんも良かったです。

投稿: みずえ | 2019.03.15 14:10

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