« 「獣の柱」のチケットを予約する | トップページ | 「けむりの軍団」の抽選予約に申し込む »

2019.03.03

「はなにら」を見る

MONO「はなにら」
作・演出 土田英生
出演 水沼健/奥村泰彦/尾方宣久
    金替康博/土田英生/石丸奈菜美
    高橋明日香/立川茜/渡辺啓太
観劇日 2019年3月2日(土曜日)午後7時開演(初日)
劇場 吉祥寺シアター
料金 4200円
上演時間 2時間
 
 ロビーではパンフレット(500円)等が販売されていた。
 終演後の挨拶で「まだ全然売れていないので」と言っていらしたけれど、初日なので当然である(と突っ込まれていた)。

 ネタバレありの感想は以下に。

 MONOの公式Webサイトはこちら。

 どこかの島のどこかの2軒の家の裏庭が舞台である。
 女性陣も含め一人称が「わい」なのが、何だかとても気になる。若い女性がずっと「わい」で通すかなぁとそこはツッコミたい。しかし、この芝居の場合は、地元の言葉を使い続けることが郷土愛であり、(疑似)家族愛の象徴のようになっていて、他の選択肢はないというか、考えることもしたくないという感じになっていそうだ。

 この島で20年前に大きな噴火があり、その噴火で多くの人が亡くなっている。
 この日は、その20年目に当たり、慰霊祭が行われることになっているようだ。
 左側のこじんまりとした家は、小学校の先生と両親を失ったその教え子が養子縁組をして二人で父娘として暮らしており、右側のテラスを持った大きな家は、50代とかそれくらいの男性3人と20〜30代の男性一人女性二人が暮らしている。彼らに血縁関係はなく、20年前の噴火で家族を失った人々が集まって暮らしているようだ。

 右側の家に暮らしている若い女性(「やすね」と呼ばれていたような気がする)がその慰霊祭の日の朝に姿が見えなくなり、慌てて皆で探す、というシーンから始まる。
 極端にいうと、我が儘一杯に育った甘えん坊の女の子と家の家事一切を取り仕切っているしっかり者の女の子、若干情けないけれど妹思いの兄(のような男の子)という若い世代3人は、それぞれとてもハマっている。
 隣家の「大人しそうに見えるけど実は気の強い」女の子も加わって、MONOの新メンバーはそれぞれとてもキャラが立っているなぁと思う。

 MONOのお芝居は、常に、もの凄く当て書きな感じがする。
 戯曲の前に役者あり、という感じがする。この役者がいるからこういう人物を登場させよう、こいつとこいつはどうしたって芝居の中で一度はぶつかり合わせなくっちゃ、という風に、役者さんたちの持ち味を最大限に活かすことで舞台上のリアリティというか「あるある」感が醸成されているように思う。
 世代は違うけれど、イキウメも同じような印象があって、男優陣だけの時代がある(あった)というところも共通している。私の中では「似ている」劇団である。

 やすねが、長らく島に帰って来なかった、同じ家で暮らす若者(まさゆき、と言われていたような・・・)の兄であるりくろうと結婚したいと言い出したところから、話が転がり始める。
 隣家の父娘は夫婦みたいだと揶揄し、逆に大人6人の暮らしは歪んでいると言い返され、島を捨てた(かの)ような男との結婚に反対する(疑似)父親あり、よく判らないなと(言いはしないけど)放り出す(疑似)父親あり、この機会にこの暮らしを解散しようと提案する(疑似)父親あり、そんなことは許せないと反発する娘あり、兄と自分が好きだった女の子が結婚するということに二重三重のショックを受ける若者あり。

 それぞれが少しずつ感じていたけれど見なかったことにしていた感情だったり何だったりが、その共同生活から抜け出したいと言う人が一人出てきたことをきっかけに、噴出したりにじみ出たりする。
 「娘を取られる」「こんな島を見捨てた男に娘はやれない」と反発する父親が一番素直にも見えるし、「私が守ってきた家がこの子に壊される」という恐怖心に近いものを抱く女の子を見ていると「このままじゃいけない」と言い出した父親の言いたいこともよく判る。
 この2軒の家はどうやら「災害復興住宅」のようなあり方だったようで、島の財政も厳しく、そろそろ家の提供は終了させ、島に移住してきたアーティストたちをこれからの観光資源にして行こうという役場の考えも、理解できるというよりは、そういう発想するだろうなと想像できる。

 歪んでいるとは言わないけれど、無理はあったんだろうなと思う。
 りくろうというキャラを見ていると、コイツと結婚してやすねちゃんは本当に大丈夫なのかしらと心配したくなりつつ、元から喧嘩っぱやかった父親のうち二人は殴り合いして警察のお世話になったりしつつ、二人は結婚してやすねちゃんは島を出て行くことになり、先生父娘も島を出て行くことになり、この2軒のご近所づきあいと共同生活は「終わり」を迎える。

 その彼女の旅立ちのシーンで、「島の習わし」で彼女が写っている写真を洗いざらい集めて箱に詰め、その箱を旅立つ本人に渡すというセレモニーが行われる。
 彼女に向かって「この家はなくなるけど、自分たちが実家だ」と言う父親の言葉がいい感じだ。
 りくろうが彼女に「自分には写真がない」と呟いて羨ましがり、その瞬間だけ、コイツもいい人だったのかも知れないという気がしたような気がする。

 そういえば「はなにら」の登場シーンが(多分)ワンシーンしかなくて、もしかしてそのシーンはなくても良かったんじゃぁと思うけれど、その辺りはご愛敬だ。
 「はなにら」は「旅立ち」と「はじまり」の物語である。
 定石にやられた、という感じだ。でもそれは気持ちのいいやられ方だった。

|

« 「獣の柱」のチケットを予約する | トップページ | 「けむりの軍団」の抽選予約に申し込む »

*芝居」カテゴリの記事

*感想」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「はなにら」を見る:

« 「獣の柱」のチケットを予約する | トップページ | 「けむりの軍団」の抽選予約に申し込む »