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2019.05.19

「獣の柱」を見る

イキウメ「獣の柱」
作・演出 前川知大
出演 浜田信也/安井順平/盛隆二/森下創
    大窪人衛/村川絵梨/松岡依都美
    薬丸翔/東野絢香/市川しんぺー
観劇日 2019年5月19日(日曜日)午後2時開演
劇場 シアタートラム
料金 5000円
上演時間 2時間15分
 
 ロビーで上演台本が販売されているのは見かけたけれど、その他に何があったのか、チェックしそびれた。

 ネタバレありの感想は以下に。

 イキウメの公式Webサイトはこちら。

 同じタイトルの芝居(2013年に「獣の柱 まとめ*図書館的人生(下)」というタイトルの芝居を見ている。)があって、その進化版といえばいいのか、基本的な設定や物語は同じだと思うけれども、設定や人間関係などが少しずつ変えられている。
 2019年版と言えばいいんだろうか。
 「図書館的人生」の文字もない。

 何となく、イキウメの舞台は、舞台を縦に使っていることが多い印象だったけれど、今回の「獣の柱」は舞台をフラットに使っていた。段差は多分なかったと思う。
 ちょっと意外な感じがした。
 基本的に、設定としてはずっと部屋の中で、たまに「山の中」が演じられるときには懐中電灯でセットなどはほとんど見えないようにしていたと思う。

 ストーリーはほぼ、2013年の「獣の柱」と同じである。
 浜田信也演じる二階堂望と安井順平演じる山田輝夫が、前回は「高校の時の天文部の先輩と後輩」だったのが、今回は「カルチャースクールの天文部の部長と部員」になっていたり、盛隆二演じる新聞記者と二階堂望の妹の桜が前回は「知り合い」だったのが今回は「離婚した夫婦」になっていたりする。
 これらの違いは、多分、演じる劇団員の年齢が上がったことによるのだと思う。

 他にも違いは色々とあって、例えば、前回は池田成志が演じていた佐久間一郎という役を今回は市川しんぺーが演じていて、彼から「妻が病で苦しんでいる」という設定が剥がされていたりする。
 中でも一番大きな違いは、多分、この「獣の柱」というものを仕掛けた側が、浜田信也と薬丸翔という二人の役者によって演じられていたことだと思う。
 自分が書いた感想を読むと、前回は、仕掛けた側は最後まで姿も現さないままだった、らしい。

 それにしても、やっぱり「獣の柱とは何か」「獣の柱は誰によって世界各地に落とされたのか」「獣の柱を世界各地に落とした存在の目的は何か」「何故、予告編を行ったのか」といったことについては、やはり答えは示されない。
 それを目にした途端、とんでもない幸福感を味わえ、恍惚としてしまい、ただただぼんやりしてその幸福感から抜け出すことが出来なくなる。
 そんなモノをこの世界に出現させたのは何者なのか、知ろうとしつつヒントもないまま、物語は進んで行く。

 しかし、この物語の登場人物たちは、「予告編」を少しだけ能動的に受け止めるようになっている。
 農家である山田輝夫の指導の下、自給自足のいわばコミューンを発足させる準備を進めていたようだ。
 予告編を受け、二階堂望が姿を消した直後から、「これは予告編だ」「聖書の記述に則り、今後、本格的な展開が行われる」といった内容をネットで発信し、注意を促そうとしていたらしい。

 そうして、大都市や人口密度の高い場所に柱が落とされ、そこから逃げる人を追うように落ち続ける柱をにらみつつ、彼らは高知県で自給自足の暮らしをし、「原因は何か」を探ろうとし続ける。
 ネットでの発信が徒となり、予告編の告知に一役買った詐欺師まがいの男に押しかけられるけれど、それをきっかけに山田輝夫は桜と一緒に「自給自足の村を次々と作る」という方針に切り替える。
 そのときに、二階堂望が空から降って戻ってきたのも、きっと何か意味があるんだろう。

 でも、そこは示されない。
 二階堂望は、獣の柱が降ってきた2001年の50年後においても、50年前と同じ姿で「あなたたち人類と私たちは違うんです」という雰囲気をまき散らしつつ健在である。
 山田輝夫は、詐欺師まがいの男が言ったように、妻が認知症に罹患すると妻と一緒に獣の柱の麓に出向いて息絶えた、らしい。

 50年後の世界は一体どうなっているのか。
 ただ、「獣の柱」は「御柱さま」と呼ばれて神格化されており、かつ、獣の柱を見ても幸福感に包まれないタイプの人間が生まれ始めているようだ。
 この物語はその50年後、最初に山田輝夫が自給自足の場を作ったその場所で、人々に「大切なことを伝えに来ました」と演説を始めるところで始まり、そして幕を閉じる。

 いや、だからあなたは誰なんだ、と思う。
 人間なのか、宇宙人なのか、神なのか。それも示されることはない。
 ただ、理不尽なことに対し、しなやかに対応し、たくさんの人の命を救った人がいて、その人が人間であることが示されるだけである。
 意味深である。
 そして、きっとどんな解釈も呑み込んでくれそうな舞台だった。

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