「化粧二題」を見る
こまつ座「化粧二題」
作 井上ひさし
演出 鵜山仁
出演 内野聖陽/有森也実
観劇日 2019年6月15日(土曜日)午後2時開演
劇場 紀伊国屋サザンシアター TAKASHIMAYA
上演時間 1時間35分
料金 6500円
ロビーで販売されているものはチェックしそびれてしまった。
ネタバレありの感想は以下に。
大衆演劇の一座「五月座」の女座長である五月洋子を有森也実が演じる「化粧」から始まる。
私はいつだったか忘れるくらい前に、渡辺美佐子さんの「化粧」を見たことはある。しかし、今回は「化粧二題」で、有森也実が「子を捨てた母」を、内野聖陽が「母に捨てられた子」を演じるということは何かで読んでいて、一人芝居である「化粧」とどういう関係にあるのだろうと思っていた。
造りとしては、「一人芝居の二本立て」だった。
有森也実は、(古いと思いつつ)「東京ラブストーリー」とか「キネマの天地」のイメージが強くて、最初は伝法な言葉遣いや立ち居振る舞いに違和感があったけれど、そのうち気にならなくなった。
内野聖陽の台詞にもあったけれど、やっぱり役者は声が重要で、かつ、演じるキャラクターは容姿というよりはむしろ声によって決まってくるような気がする。
でも、やっぱり有森也実は綺麗すぎるかも、とも思う。
開演前の楽屋で五月洋子は座員たちに気合いを入れ、舞台化粧をし、助っ人に頼んだ役者に口立てで稽古を付ける。
「客入れの始まった開演前の楽屋」と「これから上演される舞台の内容」と「口上で述べる五月洋子の来し方」の三本の内容がくるくると切り替わりながら進んで行く。
開演前の楽屋で、座長はもう本当に座員に次々と指示を与えて行くので、それだけでもめまぐるしいのに、その他の内容も入ってくるから「え? その話に変わったの?」という感じではある。
それなのに、あっさりくっきりとそれぞれの話が入ってくるのが不思議だ。
座長はこれから「母に捨てられて任侠になった息子」を演じることになっている。
その座長に、訪ねてきたテレビ局の人間は「アイドルで最近は俳優としても活躍している**は、かつてあなたが捨てた息子である。その**とバラエティ番組で対面しないか」という話を持ってきている。
持ってきているけれど、この話にたどり着くまでがまどろっこしい。
「これから始まる芝居の内容」があらかた明らかになるまで(座長自身が語り終えるまで)、本来の用件を告げようとしないところがいやらしいと思う。
座長は、テレビ局の人間の言う「親子関係」を断固として否定し、彼を(そういえば訪ねてきたテレビ局の人間の性別は明言されていなかったような気もするけれど、ともかく)叩き出す。
そして、「どの面下げて」と泣き崩れるので、「親子は親子なんだな」と思っていたら、「自分の息子は18歳(だったか?)のときに死んでしまった」と語り、そして、舞台へを飛び出して行く。
そこで、幕である。
何というか、この最後の部分が虚実ない交ぜという感じで、本当は彼女の息子はどこにいるんだろう、誰なんだろうと思うことになった。
そうやってもやもやしている間に、暗闇の中でセットの一部(劇団名が書かれた行李とか幟とか)が変えられ、「座長が楽屋で寝ている」という同じシーンから2本目の一人芝居が始まった。
そういえば、女座長はうなされて跳ね起き、男座長は気持ち良く眠って気持ち良く起きた感じだったのも「対照」である。
男座長の方もこれから「親に捨てられた相撲取り」を演じることになっている。
そして、彼自身も「親に捨てられた」と思っている。
訪ねてくるのは、彼が幼い頃に預けられた(本人の意識としては捨てられた)キリスト教系の乳児院の先生である。彼が、「乳児院にあなたの母親が訪ねてきた」と告げに来たところから物語が動き出す。
「対照」ということで言えば、女座長版は相手の台詞を繰り返すことでどんな会話がそこでかわされていたのか伝えていた。私の感覚だと、「一人芝居の王道」という感じだ。
男座長版は、内野聖陽が相手方の台詞も演じる。一人で全員分の台詞をしゃべっている感じがする。きちんと台本を読めば、多分、「自分の台詞じゃない台詞」をしゃべっているところは少ないと思うけれど、受ける印象としては、声色つけて全員分をしゃべってるよ、という感じだ。ラジオドラマ風ということになるんだろうか。
男座長版を見たのは初めてだ。
最初は、「この男座長が、女座長が捨てた息子である」という合わせ鏡になっているのかと思っていたのだけれど、それは、女座長版の最後の台詞であっさりと打ち消されていて、その鏡に映り込む内容は何回も屈折している感じだ。
女座長版では、任侠の母親がだいぶ「いい人」に描かれていて、男座長版では、関脇の母親が大分「邪険な」感じに描かれているところも、かなり心憎い。
そして、女座長版では彼女の息子はすでに亡くなっており、男座長版では彼の母親について「客席に来ています」と告げられ、一度は怖じ気づいた座長がしかし(恐らくは)座員の視線が自分に集中していることに気づき、悪態をつきながら舞台に出陣して行く。
そこで幕である。
二人がこれから出て行こうという舞台からは、明るすぎるくらい明るい光が差し込んでいて、それが「実は暗かった」楽屋の様子を一瞬であぶり出す。
そういえば、幕開けでは張り巡らされた派手な幕をセピアカラーに見せていて、楽屋はやっぱり「裏」なんだということを、芝居の最初と最後で強調していたのかも知れない。
「化粧二題」でひっくり返し合わせ鏡のような二つの一人芝居を並べ、でも完全な合わせ鏡にしていないところがミソなのだと思う。
そして、多分、女座長版と男座長版では、描かれているテーマは異なる。
それでも見た目や道具立てが似ていることは間違いなく、演じる役者さんたちにとっては、一人芝居を演じるよりもプレッシャーが強くかかるんだろうなと思う。
二本の芝居が同じ強さを持たなくては、多分、それぞれの芝居の持つテーマが際立たず、下手をすれば違うものになってしまう。
カーテンコールではにこやかに並んで礼をしていたお二人だったけれど、多分、そこまでにはもの凄い闘いがあったのだろうなと思った。
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