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「仮面山荘殺人事件」
原案・原作 東野圭吾
劇作・脚本・演出 成井豊
出演 平野綾/木戸邑弥/伊藤万理華
畑中智行/坂口理恵 /星乃あんり
鯨井康介/筒井俊作/原田樹里
オレノグラフィティ/関根翔太
佐藤豪/辰巳琢郎
観劇日 2019年10月5日(土曜日)午後1時開演
劇場 サンシャイン劇場
上演時間 2時間20分
料金 8200円
ロビーではグッズ販売にも力が入れられており、キャラメルボックスの公演を彷彿とさせた。
配役表が配られないのがちょっと寂しい。
ネタバレありの感想は以下に。
演劇集団キャラメルボックスの公演ではないけれど、成井豊作・演出で、かなりキャラメルテイストな舞台だったと思う。
グッズの種類が多いところに始まって、開演前の舞台の佇まいや、開演直後の踊らないダンスシーン、最後の挨拶といった周辺の雰囲気もそうだし、役者のひとりが(今回は代わる代わるに)舞台の端に立ち、物語を進めて行くという手法まで、やはり「テイスト」はあちこちに漂う。
しかし、劇団の公演ではないことが、やはりちょっと寂しい。
この公演にはダンスシーンはない。山荘に集まった男女や、そこに侵入した強盗犯や、そこにやってくる警察官達に踊られても困る、というところである。
ただ、他の芝居だったらこのままダンスが始まるよ、という感じのストップモーションと明かりのシーンがあって、そこもやっぱり成井演出だなという感じがした。
東野圭吾の初期の作品だという「仮面山荘殺人事件」を舞台化している。
私は原作を読んだことがない。というか、東野圭吾作品自体をあまり読んでいない。キャラメルボックスで「容疑者Xの献身」を舞台化した際に、事前に原作を読んでいたのはかなり希というか希有な状況だったと思う。
今回も「どうやらラストにどんでん返しがあるらしい」という雰囲気だけ持って出かけた。
舞台はどんな内容の舞台でも、「結末がどうなるか判らない」という点において全てミステリーだと思う。
この「仮面山荘殺人事件」もそういう意味でのミステリー色が強かったと思う。
推理小説的には「製薬会社の社長令嬢ともみの死は、事故なのか、殺人なのか」という謎が用意されていて、死後3ヵ月って割と早すぎないかという時期に関係者が山荘に集まり推理が始まりそうになったところで、山荘に強盗犯が逃げ込んで来る。
山荘に集まっていた8人はそれぞれ強盗犯から逃れようとするものの、一方で「8人のうちの誰か」がその逃亡を邪魔しようとしており、そのうち謎は「裏切り者は誰か」に変わる。
ともみの従姉妹のゆきえが殺されるに至り、「ゆきえは何故、誰に、どうやって殺されたのか」という謎が加わる。
物語の進行は早すぎるほど早いし、かなり色々な要素が詰め込まれている。
だからやっぱり「この先はどうなるのか」という興味だけでも観客の興味は引っ張れるし(原作を読んでいたらどういう見方をしていたかは今ひとつ自分でも予測が付かないけれども)、実際に私はその興味で最後まで引っ張られた。
ただ、舞台としてはともかくとして、推理小説としてこの物語の「出来はいいのだろうか」と考えると、決してそうではないような気がする。
ネタバレをしてしまうと、ともみの死は自殺である。
ともみの自殺の理由は、婚約者が自分を殺そうとしたことに気がついたからである(ということになっている)。
ともみの家族は、彼女を死に追いやった婚約者に対し、その殺意を確認し、復讐するために一芝居打つことにした。
「仮面山荘」に到着してから彼が見聞きした全ては、彼女の家族とその知り合いの劇団員たちによる「芝居」であり、彼は彼女に対する殺意を認め、そして山荘を後にする。
うん、だから無理がありすぎだろう! と思う。ツッコミどころがありすぎて、もはや、どこから突っ込んでいいのかも判らない。
そして、見ているときは「この強盗犯の行動は変過ぎる」(何しろ、ともみの死に異常に興味を持ち、ひたすら「謎解きをしろ」とあおり続けるのだから不自然極まりない)ということと、「この婚約者の男は善人過ぎて気持ち悪い」という2点が気になり続ける。
ラストになって、あぁそうだったのね、とは思う。
しかしである。
「あぁそうだったのね」と思わせればいいというものでもないと思う。
「全部、お芝居でした」「全部お芝居だったので、不自然なところもありました」だけじゃだめだろう! と思うのだ。
もっとも、これは舞台に対する不満というよりは、(読んでいないので確実なことは言えないけれど)原作に対する不満ということになると思う。
でも、どうしてこの作品を舞台化しようと思ったのか、舞台化したのか、舞台化するに当たってこのモヤモヤをもう少し解消する方法はなかったのか、という気はする。
例えば、この劇中劇では、「20時に停電になる」と思っていた人と、8人の男女の逃亡を阻止するための工作をして「20時に停電にはならない」と知っていた人がいた、という設定になっている。
しかし、その劇を外から見ると、実際には「山荘にいる人間で、ともみの婚約者以外は全員が20時に停電にはならない」と知っていることになる。
20時になった瞬間、舞台にいた役者さん達はどういう動きをしていただろう。そこはちょっと気になる。
「ちゃんと、20時には停電になると思っていた人の振りをできた人」と「つい、ともみの婚約者の姿を見てしまった人」と色々な要素がありすぎて、どういう演技を選べばそれぞれの「迫真」に迫ることができたのだろうと思う。
そこで、役者さんたちがどういう動きをすれば、観客のこちらが納得する動きということになるんだろうと思う。
何というか、「夢オチは反則」というのと同じくらいのモヤモヤが見終わって残った。
見ているときは、(私は、犯人にも「全部芝居でした」枠組みにも気がついていなかったので)そんなことは考えずにひたすら「それでどうなるんだろう」としか思っていない、なかなか集中した時間を過ごしていたので、余計にこのモヤモヤが気になる。
原作を読もうかどうしようか、迷っているところである。
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コメント
みずえ様、コメントありがとうございます。
みずえさんは、原作をお読みになっていたのですね。
みずえさんのコメントを読んで、小説の「誰視点」とか「一人称」とかを舞台で表すのは難しいんだなぁと思いました。
お芝居を観ているだけだと、原作が多視点なのか、地の文は三人称なのか、判りませんでした。
そして、雪絵が凄く美人だとは思わなかったです。というか、従兄弟同士だから二人とも似ている美人さんなのね、と思っていました。
婚約者の彼が一目惚れしたというよりは、雪絵が分かりやすくアプローチしてましたよね、と思っていました。(だから、彼女が「ともみをよろしくって言ったのに!」と叫んでいるのを聞いて、それは自分のやったことを棚に上げすぎでしょ、と思いました。)
この小説(舞台)を雪絵悪女バージョンで作り替えられそうだなぁと今思ったのですが、いかがでしょうか(笑)。
またどうぞ遊びにいらしてくださいませ。
投稿: 姫林檎 | 2019.10.11 23:35
姫林檎さま
私も観ました。
そして私は東野圭吾ファンなので、原作も読んでおりました。
なので、私は初めからあの婚約者の男性が犯人、と呼ぶのはおかしいかもしれないけど、朋美に未必の殺意があったことを知っていたので、ずっと彼ばかり観ていました。
小説だと、犯人がわかりそうな描写を避けるでしょうが、舞台だと全員が見えるのでね。
私にとって不満だったのは、朋美も美人だったことです。
原作では、とにかく雪絵が美人であることが強調されていたので、てっきり高之は、お金(というか自社の仕事)目当てで足の不自由な不美人と結婚するのかと思っていたんですよ。
あんなに朋美も美人なら、雪絵に一目惚れってちょっとおかしくないか?と思いました。
それと、木戸役の筒井さんには救われたというか、和ませてもらいました。
木戸は原作ではもっとねちっこい感じで、私は痩せた神経質な雰囲気の男性を想定していたんです。
いい意味で裏切られました。
カテコは三回ありましたが、特に挨拶などはなく、キャラメルだったら皆さんのおしゃべりも楽しめたのに、とちょっと寂しくなりました……。
投稿: みずえ | 2019.10.08 10:13