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2019.11.27

「オランジュリー美術館コレクション ルノワールとパリに恋した12人の画家たち」に行く

 2019年11月、横浜美術館で2019年9月21日から2020年1月13日までまで開催されているオランジュリー美術館コレクション ルノワールとパリに恋した12人の画家たちに行って来た。

 横浜美術館に行ったのは初めてである。
 KAATで芝居を見た翌日、せっかく横浜まで来て宿泊もしたのだからと、10時の開館に合わせて出かけた。開館10分前に到着したら、「チケットを持っている人」と「チケットを持っていない人」を併せて30人くらいが並んでいたと思う。
 チケットは予め購入しておいた方が良さそうである。

 「オランジュリー美術館コレクション ルノワールとパリに恋した12人の画家たち」は、サブタイトルのとおり、画家ごとに作品が展示され、「13人」以外の画家の作品は全く展示されていない。
 ちなみに、13人の画家は以下のとおりである。

 アルフレッド・シスレー 1点
 クロード・モネ 1点
 オーギュスト・ルノワール 8点
 ポール・セザンヌ 5点 
 アンリ・ルソー 4点
 アンリ・マティス 7点
 パブロ・ピカソ 6点
 アメディオ・モディリアニ 3点
 キース・ヴァン・ドンゲン 1点
 アンドレ・ドラン 13点
 マリー・ローランサン 5点
 モーリス・ユトリロ 6点
 シャイム・スーティン 8点

 ドンゲン、ドラン、スーティンの3人は、私は今回初めて名前を意識した。
 この13人の選出の基準は何だろうと思う。

 一つは、オランジュリー美術館のコレクションの基礎となるコレクションを築いた、ポール・ギョームとの関係(彼が好んでいたか、彼の肖像を描いていたか)というところにあるような気がする。
 画家に注目しているように見せて、実はこの美術展の中心は、画商であったポール・ギョームにあるように感じた。

 そもそも、オランジュリー美術館のコレクションの名前が、ポール・ギョームの夫人ドメニカの夫二人の名前であるとも言える。
 こう書くとややこしい。
 ポール・ギョームとドメニカの夫婦は美術品をコレクションし、邸宅美術館を開館したいという希望を持っており、ポール・ギョームの死後もドメニカは美術品のコレクションを続け(ついでに、気に入らないものは売り払い)、再婚もした、ということになると思う。
 この邸宅美術館の発想は、アンティーク家具も好んでいたというドメニカ夫人の希望が強かったんじゃないかしらと思った。

 ちらしなどにはルノワールの「ピアノを弾く少女たち」が使われていたけれど、今回出展された絵はいわゆる「習作」である。
 ルノワールは国家の依頼を受けて描くことになり、今回出展された絵を含め6枚の習作を描いたらしい。
 確かに、人物はいかにもルノワールな少女たちだけれど、背景などを見るとそもそも絵の具が乗っていない箇所もある。雰囲気を見るために、真っ白だと寂しいので人物の周りだけ色を付けてみました、という感じに見える。

 ルノワールの作品では、ピアノの少女たちよりも、私は「バラをさしたブロンドの女」の方が可愛いと思った。
 タイトルが「女」だから、ピアノの前にいる少女達よりも年上なのかも知れない。
 絵全体がバラ色で描かれていて、暖かい雰囲気の、可愛らしい少女(に見える)の絵だ。何というか、この絵が飾ってあったらその部屋はとても幸せそうな部屋だと思う。

 ルノワールは、1点しかなくて寂しかったクロード・モネとともに、印象派の画家としては珍しく「生前に成功した」画家なんだなと思った。
 ルノワールは国家の依頼で絵を描いているし、モネだって、オランジュリー美術館にある睡蓮の絵はフランス国家が買い上げて展示しているものだ(ったと思う)。

 アンリ・ルソーの絵を見た感想は「みんな、おじさんだよ!」に尽きた。
 「人形を持つ子ども」というタイトルの絵もあったし、集合写真みたいな「婚礼」という絵もあって老若男女が揃っていたけれど、顔だけみると、全員が同じ「おじさん」の顔に見えてくる。
 それも、あまり好ましいとは言えない雰囲気のおじさんである。
 どうしてまたこんな顔に揃えちゃったんだろう、と思った。

 パブロ・ピカソの絵はドメニカがあまり好んでいなかったらしく、結構売り払われてしまったらしい。
 勿体ないことである。
 それでも売り払われなかった絵たちは購入したポール・ギョームの先見性を証明しているといった説明板があって、そういうものかしらと思ったりもした。
 そういう説明があると、逆に、この企画展を企画した人は、ドメニカがあんまり好きじゃないのかしらとも思えてくる。好き嫌いというよりは「評価するかしないか」ということなのかも知れない。

 ポール・ギョームの肖像も色々な画家が描いていて、モディリアニが描いた肖像は20代の頃のギョームだと説明があったにも関わらず、どう見ても50歳になるくらいのおじさんに見えて、可笑しかった。
 多分、若い頃から老けていて、そのうち実年齢が外見を追い越していくタイプの人だったんだろうなぁと思う。

 ポール・ギョームの肖像といえば、アンドレ・ドランの描いた「アルルカンとピエロ」という絵の説明板に「ピエロのモデルはポール・ギョームと書いてあったけれど、私には描かれた二人のうちどちらがピエロなのか、どちらがポール・ギョームなのか、判別ができなかった。
 ピエロとアルルカンの違いは何なのか。
 写真も肖像画も何枚も見て来ているのに、「どっちがポール・ギョームをモデルにしているか」という意味でも区別ができなかった。
 この辺りが、私の顔覚えの悪さに繋がるんだわと一人で納得した。

 ポール・ギョームはドランを気に入っていたらしく、自宅の壁の一部をドランの絵で埋めていたらしい。
 そのうちの何枚か(私が確認できたのは3枚)を、自宅の壁と同じ配置で展示し、その向かい側にポール・ギョームの自宅の一室の写真を展示しているのが面白い試みだと思った。
 この美術展では、ポール・ギョームの自宅内部を復元したドールハウス(ドールなし)も展示されていて、それもなかなか楽しい。
 こういう美術館(とりあえず思い浮かぶのは、イザベラ・ステュワート・ガードナー美術館である)に行ってみたいなぁと思う。

 マリー・ローランサンの絵は、私にとってはイラストに近い。
 シャネルの肖像画がブルーを基調にしていて、ちょっと寂しげな色使いで、でもなかなか可愛らしかった。
 しかし、ドランの描いたドメニカの絵が「岩下志麻さんだ!」と思ったくらい強気な女性に描かれているのに比べて、マリー・ローランサンの描くドメニカはピンクを基調にさらに可愛らしく描かれていたから、マリー・ローランサンは何でも可愛く描いちゃう人だったのかも知れないと勝手なことを考えた。

 ユトリロの作品の中に、ノートルダム大聖堂を描いた絵があって、今は本物はないんだよなぁとしみじみと見入ってしまった。
 そういえば、ノートルダム大聖堂の再建は今どういう状況になっていただろうか。
 美術展に寄付を受付する場所があれば、結構、集まったのじゃないかしらとこれまた勝手なことを考えたりした。
 できれば、元の姿に戻す形で再建されるといいなぁと思う。ただ、骨格部分は木造だったとニュースで見たような記憶もあり、耐震や耐火のことを考えると「完全に元に」戻すのは難しだろうなとも思う。

 1時間以上かけてゆっくり堪能した。
 久々に美術展に出かけて、やっぱり、たまには美術展にも行こうと思った。

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