「私たちは何も知らない」を見る
二兎社公演43「私たちは何も知らない」
作・演出 永井愛
出演 朝倉あき/藤野涼子/大西礼芳/夏子
富山えり子/須藤蓮/枝元萌
観劇日 2019年12月14日(土曜日)午後1時30分開演
劇場 東京芸術劇場 シアターウエスト
上演時間 2時間45分(15分の休憩あり)
料金 6000円
ロビーではパンフレットや永井愛の著作が販売され、ご本人がサインをしてくださっていた。
ネタバレありの感想は以下に。
開演前、舞台上に「壁」が一面に設置されている。
開演すると左下から右上に向かって斜めに線が入って上下に分かれ、2mくらいの高さで出来た空間はそのまま階段になったようだ。
手前の空間とその階段、階段の下に扉があって、舞台セットの完成である。多分、ポイントは壁と壁の間から差す光だ。
物語が展開するのは多くが「編集部」だ。
もっとも、青鞜社の編集部はしょっちゅう移転していたらしい。引っ越しのシーンが何回もあったように思う。
物語は青鞜社の創刊から少したったくらい(すでに発起人のうち残ったのは二人だけである)から始まり、平塚らいてうから伊藤野枝に編集が引き継がれ、廃刊直前(いや、廃刊したのかも)くらいまでが描かれている。
主な舞台が青鞜社編集部だから、主な登場人物も青鞜社の関係者だ。そこに、平塚らいてうの事実婚の相手である奥村博が黒一点で加わる。
多分、そこには当然のことながらもっとたくさんの人々が関わっていて、その中から誰にフォーカスを当てるのか、登場人物として舞台に上げ、登場人物たちの会話の中だけで登場させ、全く登場させないのか。
それによって、群像劇というのは随分と印象が違うんだろうなぁと思う。
舞台を見て、平塚らいてうってどんな人だったんだろう、彼女はこの後どんな人生を送るんだろう(ちょっとだけ舞台上でらいてうが見る夢という形で未来は語られる)、青鞜社には他にどんな女性たちが関わったんだろう、男性は全く関わることはなかったんだろうか等々と思った。
そういう興味を生ませることができる舞台は凄いと思う。
そして、そこまでモノを知らない私を最後まで集中させる舞台もやっぱり凄いと思う。
集中させる舞台とそうでない舞台の違いは(見ている私の力量という問題は置いておいて)どこにあるんだろう。
この舞台に結論というか結末はなかったと思う。
平塚らいてうという人の、青鞜社という「活動」の一部を切り取って見せた、という感じだ。
そこに座りの悪さを感じるのは、大団円で終わって欲しいというこちらの我が儘なんだろうと思う。むしろ、この舞台では、舞台の時間が終わった後も平塚らいてうという人の人生は続いて行き、ここで終わりではないということを強調しているように感じた。
青鞜社が何かということもよく分かっていない私のような観客向けに、用語集が配られていた。有難い。
青鞜社は、要するに女流文学を掲載するために発刊された雑誌で、編集も女性が行い、会費を支払った女性は誰でも作品を書けるということになっていたようだ。有名作家の妻達が賛助員だったというところが今ひとつピンと来ないけれど、ある程度の「後ろ盾」みたいなものを必要としたということと、平塚らいてうという人が割と上流階級出身だというところが関係しているんじゃないかしらと思う。
舞台上でもたびたび「お嬢さんたち」と呼ばれていた青鞜社の編集部の人々、特に平塚らいてうは「お嬢さん」という感じに描かれているし、演じられている。
清楚な姿形に高めの声、激したりすることはなさそうで、何か困難なことがあってもキャラキャラと笑い飛ばしている。
いかにも育ちが良いという感じだ。
その彼女が、心中未遂事件を起こし、青鞜社の表紙を描いてもらった画家の少女と恋をし、雑誌に自らの恋愛(というよりも、むしろ性愛なのかも知れない)について赤裸々に書くというところのギャップがもの凄い。
とにかく平塚らいてうという人は、前向きで朗らかで育ちのいい人だったんだな、でもその人当たりの良さとは別に恋愛については自由かつ奔放な人だったんだなという印象だ。
彼女の周りにいる、例えば伊藤野枝は逆にパワフルではあるけれど暗く思い詰める感じの女性として描かれているように思う。境遇も関係しているだろうけれども、何というか「笑い飛ばす」という感じがない。
一時は恋仲であった尾竹紅吉や、発起人の一人でもあった保持研もまた、否定していた筈の「旧弊な結婚生活」に呑み込まれて行ったように見える。やっぱり彼女たちには「思い詰め」たり「追い詰め」られたりしている感じがあったように思う。
ここで描かれている平塚らいてうには、それがない。
考えていない訳ではもちろんなく、むしろ誰よりも「女性のあるべき姿」を考え続けつつ、その困難を笑い飛ばし、自分を嗤ったり攻撃したりする世間というものを笑い飛ばす明るさと強さを持っている。
この強さは最強だよと思う。
そして、実はこっそりと、この舞台では登場する女性たち全員の、敢えて書くならば「男関係」を描いているところが何だか凄い。そして、微妙だ。
そこか! そこは外せないのか! と思う。
実際問題として、結婚・出産を抜きにして「女子の覚醒」は語れなかったし、今も語れないということなんだろう。
そういえば、「仕事と家庭の両立」という感じの言葉が出てこなかった。そこはもう少し時代が下ってからクローズアップされるのかも知れない。
ついでに書くと、文学の話はあまり出てこなかったと思う。「女流文学の発達」よりも「女子の覚醒」に力を発揮したのが青鞜だったということなんだろう。
そう描いたからといってそう考えているとは限らないし、そもそも「そう描いた」というのだって私の勝手な受け取り方である。
さて、どう考えるべきなのか、ということを考えさせるお芝居だった。
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