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2020.03.08

「死の泉」を見る

スタジオライフ「死の泉」
原作 皆川博子
脚本・演出 倉田淳
出演 笠原浩夫/馬場良馬/松村泰一郎/竹之内景樹
    松村優/滝川広大/宮崎卓真/松本慎也
    澤井俊輝/宇佐見輝/山本芳樹/曽世海司
    船戸慎士/大沼亮吉/吉成奨人/伊藤清之
    鈴木宏明/前木健太郎/富岡良太/倉本徹
    石飛幸治/藤原啓児 他
観劇日 2020年3月7日(土曜日)午後6時開演 Aチーム千秋楽
劇場 紀伊國屋ホール
上演時間 3時間10分(10分の休憩あり)
料金 7500円

 ロビーではDVDの先行予約の受付等が行われていた。

 この回はAチームの千秋楽ということで、カーテンコールに役者さんからのごあいさつがあった。
 役者さんたちは口々に「公演できることの感謝」をおっしゃっていて、上演に当たって劇場内の消毒や換気などにかなり意を用いてくださっている様子が伝わってきた。
 本当にたくさんの色々な立場の方達が「上演しよう」と思って努力して初めて上演できるのだなということが伝わってきた。
 感謝である。
 客席からも自然と拍手が沸き起こっていた。

 ネタバレありの感想は以下に。

 スタジオライフの公式Webサイト内、「死の泉」のページはこちら。

 皆川博子氏の原作は読んだことがなく、ちらしの「あらすじ」だけを読んで、何となくおどろおどろしい感じのお話っぽいなぁと思って見に行った。
 主人公はマルガレーテなんだろうと思って見始めて、見ているうちにクラウスが主人公なのかもと思い始め、見終わったときにはやっぱりこの舞台の主人公はマルガレーテだったように思えた。
 自分でも訳が分からない。

 第二次世界大戦中のドイツが舞台で、物語にもナチスドイツやヒトラーの優生政策が関わってくる。
 未婚で身ごもったマルガレーテが、乳児院というのか身寄りのない母子や子どもを保護する施設に身を寄せ、出産を控えて看護助手として働いているうちに、施設の所長で医師のクラウスに結婚を申し込まれるところから物語が始まる。
 クラウスは、カストラートを偏愛していて、ポーランドで教会の聖歌隊にいたという兄弟を保護しており、その兄弟と仲良しのレナという女の子がマルガレーテを「看護師の中で一番優しい」と兄弟に推薦したらしい。

 マルガレーテが割と世事に疎いという設定で、彼女にクラウスや同僚たちが説明する形で、ナチスドイツ、優生思想、アーリア人種、カストラート、ツィゴイネルといった物語に不可欠なモチーフが語られて行く。
 原作を読んでいる人には、「この部分をピックアップしましたよ」という説明にもなっているのかなと思う。

 マルガレーテという女性が今ひとつ掴めないのがもどかしい。
 世事に疎いというのは逆に空気を読んでいないということでもあって、その時代にあっては異端だけれども今から見るとごく普通の感覚の持ち主に見える。でも逆にその「普通の感覚」がその時代に虐げられていたレナやフランツたちからは「庇護者」として見られる要素になる。
 マルガレーテ自身は自覚的ではないので、覚悟もない。
 本人は普通にしているつもりで、それがある種の人たちには裏切りに見え、ある種の人たちには優しさと受け取られる。そこが、彼女の「悲劇」の理由なんじゃないかと思わせる。

 物語は、カストラートを偏愛するクラウス、その歌声をクラウスに見込まれて養子となったエーリッヒ、エーリッヒとともに養子になった兄のフランツ、マルガレーテが生んだミヒャエルという男の子という、マルガレーテとミヒャエル、フランツとエーリッヒという血のつながりのある二人ずつと、どちらとも血のつながりのないクラウスという「疑似家族」の生活が描かれる。
 クラウスは、一応マルガレーテや子ども達を愛しているようで、クリスマスには不器用にプレゼントを用意したりする。

 この「家族」を作ったのはクラウスで、そもそも動機がエーリッヒの声一本の訳だから、歪んでいるといえば歪んでいる。
 このクラウスを、マルガレーテやフランツが拒絶しまくっていれば多分、歪んで不幸ではあるものの、それ以上歪み続けることはなかったように思う。

 しかし、実際はマルガレーテは何となくクラウスを「ミヒャエルと自分の母子の庇護者」としてだけでなく「夫」として受け入れているように見えるし、フランツもクラウスを憎む以前に受け入れてもらいたいという気持ちを持っているように見える。そのフランツに「姉と弟として暮らしましょう」とかマルガレーテが言うものだから、余計に歪むこと必定である。
 むしろ、この家族の歪みを加速したのはマルガレーテに見えるし、歪まそうとしてやったことではないにせよ歪むことを分かっていてやっているように見える。

 マルガレーテが優生政策に異を唱えるような発言をしたことを看護師仲間に聞かれており、それが原因でクラウスはブリギッテという看護師との間に子どもをもうけるし、モニカという看護師はクラウスの家で家政婦をしつつマルガレーテをネチネチと追い詰めるようになる。
 さらに、一緒に暮らすうちにモニカはマルガレーテにツゴイネルの血が流れていることに気づき、それもさらに脅迫のネタになって行く。

 そのうちにクラウス一家は、ナチスドイツ中枢の疎開に合わせてマルガレーテの故郷でもある田舎の町に移り住む。
 その移り住んだ先は元塩鉱を広大な地下壕にした場所で、クラウスはフェルメールを始めとする美術品を多数持ち込んでいるらしい。クラウスが偏愛していたのはカストラートだけじゃなかったのか、と思う。

 モニカに脅迫されたマルガレーテがついに逆ギレしてモニカに応戦し、そのことに怒ったモニカがミヒャエルを殺そうとするのを見て、フランツがモニカを刺し殺す。
 モニカの死体を処分しようとしてクラウスに見つかったマルガレーテは、最初こそ「自分がやった」と言い張るものの、クラウスに見捨てられそうになると「フランツがやったんだ」とあっさりと陥落する。
 そして、クラウスに我が身の保護を引き換えに、エーリッヒの手術を手伝うように言われ、それを受け入れる。

 クラウスたちがいた場所はナチスドイツの中枢が疎開していた場所でもあって、連合軍の攻撃に遭い、手術直後だったエーリッヒを連れて逃げようとしたフランツはマルガレーテに助けを求めるけれど、マルガレーテの反応は芳しくない。
 果たして、というところで一幕は終わる。

 二幕の始まりに見慣れない少年が出てきて、何だ何だと思っていたら、二幕の始まりは一幕の終わりから15年後だったらしい。
 戦争が終わり、アメリカに亡命していたクラウスがドイツに帰国し、知ってか知らずかミヒャエルの父親であるギュンターのところにやってきて「あなたの持ち物である城を売ってもらいたい」とかなり強引に商談を始めるところから物語が始まる。
 二幕が始まってしばらくは???という感じで、展開に付いていくのがやっとである。

 クラウスは、フランツとエーリッヒ(というよりも、エーリッヒ)を探しているのと同時に、自分が地下深くに隠した美術品を再び手に入れようとしているようだ。
 マルガレーテとミヒャエルは今もクラウスとともにいる。
 ギュンターの事務所にミヒャエルと連れたクラウスがやってきて、祭り行列の向こうにフランツとエーリッヒを見かけたことで、また物語(というよりもクラウスの狂気)が動き始める。

 ギュンターはミヒャエルの父親だし、ミヒャエルはそのことを知っているし、フランツとエーリッヒはクラウスへの復讐を誓っているし、最初に出てきた少年は実はクラウスとブリギッテの息子らしいし、その少年ゲルトはナチスドイツの思想を受け継ぐ青年体育団(と聞こえたけど違ったかも)に入っていて、その親玉がクラウスの元部下ヘルマンだし、狭い人間関係が炸裂している。
 フランツとエーリッヒは、ゲルトを利用してクラウスの行方を確かめて復讐を果たそうとし、そのゲルトはヘルマンに何やら利用されそうな雰囲気である。

 クラウスは、ギュンターの持ち物であるところの城(地下施設付き)に家族を伴って向かい、そのクラウスたちをフランツとエーリッヒが追い、ゲルトからの情報を元にヘルマン達も集結する。
 もの凄く端折ると、エーリッヒは実は死んでいて、本人も「自分はエーリッヒ」と信じていた青年は実はフランツがマルガレーテの手から奪ったミヒャエルで、ミヒャエルをあらゆる意味でカストラートにしたのはフランツで、ミヒャエルと呼ばれていた少年は実はクラウスとマルガレーテの間に米国で生まれた子どもだったことが明らかになる。

 結構、怒濤の展開である。
 こうなってくると、やっぱりマルガレーテの(言ってしまうと)中途半端な優しさが悲劇の源という感じがする。
 クラウスが隠し持っていた美術品を狙ったヘルマンもやってきて撃ち合いになり、ゲルトを(何故か)守ろうとしたヘルムートという青年の手助けもあって、フランツはクラウスを殺し、ギュンターに二人のミヒャエルを託し、マルガレーテと4人で脱出させる。
 フランツが、クラウスが美術品倉庫の入口に仕掛けた爆薬を爆発させようとしたところに、記憶その他を取り戻したマルガレーテが戻って来て共に爆破する。

 ここで幕かと思ったら違っていた。
 最後は、フランツとエーリッヒと一緒にいたレナとアリツィアという姉妹が、フランツたちの帰りを待っているというシーンだ。
 ここで泣いている人が周りに結構いることに気がついたけれど、私の泣きのツボは押されなかった。何故だろう。

 倉田淳がフライヤーの中で語っていたけれど、やはり長大な原作からかなりテーマを絞って構成している作品なのだと思う。
 小説は未読だけれど、そのあらすじなどを読むと、レナとアリツィアの姉妹は舞台で描かれている以上に訳ありだし、クラウスという人物の狂気も舞台版ではだいぶ控えめに描かれていたらしい。
 小説を読んでから舞台を見たら、また違った世界が見られたようにも思う。読んでいなかった自分が惜しい。

 マルガレーテという女性にかなり腑に落ちないところがありつつ、すっかり物語世界に引き込まれて最初から最後まで集中させられた舞台だった。
 見られて良かった。
 上演されたことに感謝である。

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