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2020.03.20

「その鉄塔に男たちはいるという+」を見る

MONO「その鉄塔に男たちはいるという+」
作・演出 土田英生
出演 水沼健/奥村泰彦/尾方宣久
    金替康博/土田英生/石丸奈菜美
    高橋明日香/立川 茜/渡辺啓太
観劇日 2020年3月20日(金曜日)午後2時開演
劇場 吉祥寺シアター
上演時間 2時間25分(10分の休憩あり)
料金 4200円

 ロビーではパンフレットや過去公演のDVDなどが販売されていた。

 新型コロナウイルス感染症対策のため、開場時間が開演の30分前から15分前に変更されていた。

 ネタバレありの感想は以下に。

 MONOの公式Webサイトはこちら。

 初演は見ていなくて、カーテンコールでの話のよると初演は20年前だったそうだ。
 その初演と同役で「その鉄塔に男たちはいるという」を上演し、そこに遡ること20年とか30年くらい前の同じ場所でのエピソードを若手4人の芝居として付け加えている。
 時系列順に上演されていたけれど、これは逆順でも面白かったんじゃないかしらと思った。しかし、逆順にすると皮肉な感じが強まったかも知れない。

 その若手4人の芝居は、夫婦と夫の妹、妹の友達の4人で「その鉄塔」に観光しに来ているワンシーンが描かれている。
 ワンシーンといっても人は入れ替わるし、結構長い。時計は見ていなかったけれど、30〜40分くらいだったように思う。
 何というか、ベテラン勢5人と同じ空気を醸し出す4人である。
 ヒリヒリした感じというのか、ピリピリした感じというのか、和気藹々ではない感じが似ている。和気藹々でもいいじゃないか、芝居の中でくらい、みたいな感じだ。

 妻は離婚を決意していて、この旅行中、この鉄塔の上で夫にそのことを伝える。夫の方は、家族に「妻と上手く行っていない」ということを度々話しているようで、それを聞いた妹がこの旅行を企画し、兄妹の母が旅行の費用を援助してくれたらしい。
 それを「イヤだ」という妻の気持ちは何となく分かるし、その気持ちを分かってくれない、むしろ母や妹の肩を持つ夫にますます愛想を尽かす気持ちも分かるような気がする。

 それで、兄妹と妻の対決のままかと思いきや、妹の友達であり、この鉄塔がある国に住んでいる女性が「明日は一日一緒に小旅行に行くし、今日この後は付き合えない」と言ったことから妹との間の空気がギクシャクしたり、概ね「その場にいない人をくさす」方向で、くるくると攻撃対象が変わって行く。

 対象は、人ではなくこの「国」になったりもして、そうするとこの「国」に住んでいる女性としては面白くない。
 その場にいない人だったり、誰も文句を言わなさそう(だと思った)モノだったりを攻撃することで、残りの側が結束しようとしたり、仲がいいんだよねという気分を味わおうとする感じは、日常でも割とよくある気がする。
 しかし、それが露骨に示されると、うー、ごめんなさい、という気持ちになる。この際、何に謝っているのかは自分でもよく分からない。

 多分、そこで言いたいことのほんの一部を口に出したからといって、いっぺん壊れかけた人間関係が修復されるものでもない。
 だけれど、ちょっとだけすっきりした、ちょっとだけ前向きな気持ちになった風で、「プラス」は幕を閉じる。

 この夫婦の8歳になる息子はるのすけが、「その鉄塔に男たちはいるという」で、鉄塔にいる男たちにうちの一人だ、という仕組みだ。
 怖がりで、戦争なんかに行ったらどうなるか分からないと大人達に噂され、父親に「はるのすけが生きている間くらいは戦争は起こらないだろう」と言われていたそのはるのすけが、戦争の渦中にいる。
 しかし、兵士としてではなく、慰問に来た芸人としているようだ。

 こちらの4人は4人で、やっぱり和気藹々な4人ではない。
 慰問にきたものの、その場でやるように言われた内容に納得できず、「1週間後に大規模な戦闘が行われてこの戦争は終わる」という噂を聞いて、駐屯地を逃げ出してきた4人、らしい。
 駐屯地の近くにあったこの鉄塔に潜み、戦争が終わったら日本に戻ろうと思っているようだ。

 だからどうやって? とツッコみたい気持ちが山々である。
 慰問に来て、1週間後に大規模な戦闘があると分かっていて、そこで「逃げ出す」という発想がよく分からない。
 何故そんなことを思いついた! そして、どうしてそれで無事に済むと思ったんだ! と言いたい。
 一方で、井上ひさし原案の「木の上の軍隊」を何となく思い出した。

 4人が「ルールを決めて規則正しく暮らそう」という考え方と「こんなときだからこそそれぞれが自由にしかし協力してやっていこう」という考え方とに割れる感じも何となく分かる。というか「あるある」だ。
 多分どちらもありで、ただ、この4人の場合はどんどんどちらも極端になっていって、どちらも自分たちだけでそうするだけでは足りずに「この場にいる全員がそうするべきだ」と思っているから、その対決はどんどん極端になって行く。

 そこへ、「駐屯地から逃げ出してきた兵士」が一人たどり着いたことから、さらに場の空気はおかしくなって行く。
 その「第三者」が両方から陣営に取り込もうとされ、一方で中立的な立場から間に立とうとする感じも分かる。これも「あるある」だ。
 いや、だから、このシチュエーションはおかしいでしょう! という気持ちは見ている内に、「ま、いっか」という風に変わってくる。
 そもそも、おかしいと思っている私の常識が、この舞台の上で起こっている戦争の中で通用するかどうかだって、全く保証の限りではないのだ。

 1週間後、大規模な戦闘が行われ、それは自分たちの側の勝利に終わったようだ。
 しかし、その勝利後、この鉄塔の下には味方である筈の兵士が集まり、鉄塔の上にいる自分たちに機関銃を向けているのが目に入る。
 最初は、「脱走兵」を捕まえに来たのかと思われたけれど、自分たちのリーダーだった男がその場に連れてこられているのを見て、彼らは「逃げ出してきた自分たち全員」が兵士たちの標的なのだと悟る。

 戦争中だったらそうなるでしょう、というのと、慰問に来てただ少し離れた場所に移っただけなのにどうして銃殺までされなくちゃいけないんだ、というのと、両方の考えが浮かぶ。
 そこから出てくるのは、つまるところ「この状況は理不尽だ」という思いだ。
 それは戦争だったらそうなるだろうということは想像できる。しかし、そういった状況が想像されてしまうという戦争は理不尽だ。そう繋がる。

 機関銃を向ける兵士達に対して、彼らは脱走兵の一人も加わり、いつも舞台の最初に演じているオープニングを彼らに向かい鉄塔の上で演じる。
 舞台が暗転し、機関銃の乾いた軽い音が響く。
 サーチライトのような光が当たり、5人が並んで横たわっている様子が見える。それは、寝ているようにも死んでいるようにも見える。
 そこで幕である。

 その鉄塔は、昔、この国で戦争に反対して風刺の効いた人形劇を上演して殺されてしまった劇団が、その劇を上演していた場所だという。
 そのことは「+」の芝居の中で語られている。
 もしかしたら、この部分は、今回、付け加えられたエピソードなのかも知れないと思う。
 そこにあるのはやっぱり「皮肉」なのだと思う。

 カーテンコールで「上演することが正しいことなのかどうか分からない」と言っていたけれど、少なくとも私はこの芝居を楽しんだ。
 キャンセルする人も多いのではないかと思っていたけれど、客席のほとんどは埋まっていた。
 見られて良かったと思う。

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