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「朝日のような夕日をつれて 2014」
作・演出 鴻上尚史
出演 大高洋夫/小須田康人/藤井隆/伊礼彼方/玉置玲央
2014年 紀伊國屋ホールで収録
元々あまり映画を見ないので手持ちの映画のDVDは早くも尽きてきている(あと2本、「ベルリン 天使の詩」と「星の旅人たち」がある)一方、舞台のDVDは結構な本数を持っている。
その中から何となく気分で「朝日のような夕日をつれて 2014」を見た。
本編と、コメンタリー編と、続けて合計4時間である。
タイトルだけで「もう6年も前になるのかぁ」と何となく目が遠くなる。
のっけから東京五輪の話が出てきて「2020年は今年だったもんなぁ」とまた目が遠くなる。
2014年は、(覚えてないけど多分)2020年オリンピックの開催地が決まった年だったんだろう。
そういう時事の話題と、そのときに流行っているおもちゃ(初演はルービックキューブ、2014年では・・・、もう忘れている。今見終わったのに。開発されたゲームが「Soul Life」という名前だったのは覚えているのに。)とで時代を追っかけたり先取りしたりし、オープニングや「みよこの手紙」で「朝日」としての連続性(一環性?)を確保している。
「朝日のような夕日をつれて」は、パーツに分解できて、初演からずっと変わらないシーン、音楽、ダンスがある一方、時事ネタを次々と突っ込んで行くシーンももちろんあって、それをバランス良く組み合わせているという感じがある。
その取捨選択と取り込み方が朝日の朝日たる所以だ。多分。
6年前の舞台なのに、今年上演されていたとしても不思議でない感じがある。
実際に今年上演されていたらe−Sportsの話題は出るだろうなぁとか、当時は今ほどインスタグラムって流行っていなかったのかしらとか(wikiによると、日本語アカウントが開設されたのが2014年2月だそうだ)、もちろん6年前に上演された作品であることは間違いなく、2020年に上演されたら全く別のパーツが入ることは間違いない。
けれど、2014で語られている内容は今を見据えているし、2014で提起された課題は今以て提起されている課題だと感じる。
そこに進歩はないのか。
コンピュータやソーシャルネットワークの進化は人間が作り出しているものである一方、人間には追いつけない進化を遂げ始めているのではないかとさえ思う。
「誰も自分を傷つけない世界」以上の「おもちゃ」はもう生み出されることはないのかも知れない。
その辺りもまた、昨今の「STAY HOME」や「zoom飲み会」や「あつまれ どうぶつの森」のヒットなどなどに繋がっているように思う。
一方で、こうやって「預言」は成立しちゃうんだろうなとも思う。崇めてどうする、と自分にツッコむ。
「朝日」のいいところは、「先見性」ではなく「同時代から半歩先を行く芝居」であり、どこか高みから見下ろすのではなく今に添おうとする姿勢だ。
DVDで見るのも、コメンタリー編を見る(というか聞く)のも楽しい。
一番「いい」客席から見ることができたり、舞台を真上から見下ろすようなカメラ・アングルがあったり、役者さんの顔がアップになったり、裏話的な話があったり稽古の様子をうかがい知れたり、そこには舞台を生で見るのとは別の楽しみ方があると思う。
それでも、舞台はやっぱりDVDじゃなくて劇場で見たいよと痛感した。
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